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第5話
その就任の際に道元は若頭へ昇格する。彼とともに桜河会を盛り立てていくためだ。
時期はおそらく、高山組が分裂し、千成組(せんなりぐみ)が独立するのにまぎれるだろう。
「なぁ、美園。俺を遊ばせようってのは、ありがたいんだけど……」
「そういうつもりで言ったんやない。あの女がそっちに流れて、どっちみち居心地が悪いんやろう。それやったら、しばらくこっちへ来い、って話や」
「……行けると思って言ってんの?」
飲み干した猪口に、知世が酒を注いでくれる。
確かに、いまの暮らしは窮屈だ。知世もいなくなるし、気の利かない護衛に囲まれるぐらいなら、いっそ身軽な関西暮らしも悪くはない。
ただ、そこには、肝心の周平がいないのだ。
「二、三日の気軽な旅行じゃないだろ。……俺は、責任取れないよ」
佐和紀が答えると、美園はふっと息を吐き出して笑った。周平の恐ろしさを知っていても平気でいられる、数少ない人間だ。
「あんたが浮気するような尻軽やなんて思ってへんやろ。こっちでなんかあっても、家に押し込められたまんまは、つまらん。そう思わんか? 関西の騒ぎも一瞬の花火や。このご時世やしな。昔ほど長引くことはない」
そのあとは、道元が継ぐ。
「俺たちは、あんたの腕っぷしを利用したいわけじゃない。桜河会は火の粉をかぶりたくないし、美園さんは、独立するだろう千成組に流れる組の数をできる限り減らしたいと思ってる。そういうそれぞれの思惑の上で、御新造さんの、その……」
「なに? 言葉なんか選ぶなよ」
佐和紀の視線を真正面から受け止めた道元は、ごくりと生唾を飲んで背筋を正した。
「……だから、色気と人たらしの絶妙さで……、うっとうしい年寄りを、言いくるめてもらいたい」
「言ったなぁ……。腕っぷしを頼りにするのと変わらないと思うけど」
笑ってしまった佐和紀は、ちらりと知世を見た。
「どうしようか」
ふざけて聞くと、座布団の上にちょこんと座った知世はうっすらと微笑んだ。
「男なら行くべきです」
臆せず言い切る。意外な味方の登場に驚いた男たちには目もくれず、つらつらと続けた。
「このおふたりは、関西ヤクザのエースですよ。今後を握る立て役者です。上へ手を回さず、じきじきに頭を下げて迎えられるなんて、整いすぎているほど完全なひのき舞台じゃないですか。……と、結婚されていなければ、言いたいです」
「言いたい放題だな、知世」
そこも気に入っていたところだ。佐和紀の気持ちさえ勘定に入れずに現状を把握する冷静さが惜しい。
「ここで答えを出さなくてもいいと思います。今夜のことは、俺の胸に留めておきますので。話だけは伺ったということでどうでしょう」
「ほな、そういうことにしよか」
あっさりと美園が引く。破談にするぐらいなら、宙に浮かせておきたいのだろう。
「御新造さん、彼にも飲ませたらどうですか。食事の用意もさせましょう」
道元が立ちあがり、次の間へ消える。
「飲んでいいよ、知世。どうせだし、美園の部屋に泊めてもらおう」
佐和紀が笑うと、美園は猪口の酒をグイッと飲み干した。
「アホ言いさらせ。誰が泊めんねん。俺はあと一時間もしたら、帰ってあいつの機嫌を取るんや。数ヶ月分は抱く」
あけすけな美園を土鍋越しに見つめ、佐和紀は目を細める。
「セックスのヤリ溜めって……。美園、おまえね、そこだよ。そういうとこが、ダメなんだ。たまになんだから、濃厚なのは、ひと晩でいいんだよ」
「なんでやねん」
「昨日も今日も抱き潰される身にもなれって言ってんの。だいたい、この前会ったのは七月だろ? 二ヶ月しか経ってない。来月も来るんじゃないだろうな。仕事しろよ、仕事」
佐和紀の説教に、美園は顔を歪めた。気安いやりとりだ。
美園は聞きたくないと言わんばかりに首を振り、手酌で酒を注ぐ。その顔に幸福の甘い色が見え、佐和紀は席を立つ。
「トイレ、行ってくる。……道元、トイレまで連れていけ」
戻ってきた男を捕まえて客室を出た。用を済ませているあいだも外で待たせ、ついでにタバコを吸おうと誘った。ふたりで庭へ下りる。
「おまえら、やり方が汚い。人の結婚生活をなんだと思ってんだ」
「せっかくのお祭りだから誘おうって話になったんですよ」
抗争で死人が出るかもしれないと報道されているのに、当事者たちは気楽なものだ。
「本音はどっちですか」
取り出したタバコを一本、佐和紀のくちびるへ差し込み、スーツ姿の道元はライターの火を向けてくる。ジリジリと先端が燃えた。
「制圧される快感って、存在するだろ?」
佐和紀は遠回しに答える。
形は違えど、道元も感じたはずだ。圧倒的な存在感で有無を言わさずに従わされる瞬間、形なく奪われていくものがある。そして、剥き出しになった場所は、敏感に人生を感じ取ってしまう。生まれ変わったように、ものごとの新しい側面が見える。
佐和紀にとって、それは周平だ。
「……従う快感は、ないでしょう」
道元もタバコを吸った。ふたりの煙が重なって、景色がかすむ。
強いばかりでは生き残れないのが、この社会だ。独りでも無理がある。
打たれ強いしなやかさと人を巻き込む弱さと、そして、快感に流されるしたたかさがなければ、他人の思惑の渦で溺れてしまう。どぎつい世界だからこそ、誰かのためと決めなければ生きられない。そうしなければ、自分のことさえ見失う。
「ひとつ、頼まれてくれ」
佐和紀はタバコをふかして言った。
「真柴の結婚式で、木下(きのした)って男の使いが来てた。真柴への祝い金を持ってきたヤツだ。名前は『西本(にしもと)直登(なおと)』。このふたりを調べてくれ」
「木下と西本ですか。どこかで聞いた気がします。真柴の知り合いなら、大阪に住んでいるのかもしれません」
「うん。特に、西本って男が、関西へ流れた経緯が知りたい。元は関東にいたはずだ」
「わかりました」
事情を探ろうともせず、道元は素直に請け負った。
「道元、携帯電話……」
出せと命じる代わりに手のひらを見せると、おとなしく乗せてくる。片手でタバコを遠ざけ、佐和紀はジッとそれを見た。
「結果は俺に直接連絡して。組事務所に伝言してくれたら、折り返す。……おまえさ、今夜もどうせ、横浜に宿を取ってんだろ。岡村とはどういう段取りになってんの? ここで俺が電話しなくても会うことになってんじゃない?」
「……断られてますから」
低い声が唸るように答えた。アプローチはかけたということだ。
「いったい、なにして遊んでんの?」
顔を覗き込むと、道元は黙りこむ。
「セックスしてんの?」
「ちが、います……」
息を詰まらせた道元は目を泳がせた。おいそれとは言えないことをしているのだろう。しかし、セックスでないことは事実だ。佐和紀の第六感が閃く。
「岡村にストレスかけられるのも困るんだよな……。イジめるほうも疲れるだろ。あいつ、SMが好きなわけじゃないと思うよ」
「してませんよ。なにも」
「じゃあ、会うことないだろ」
そのまま携帯電話を返そうとすると、
「あ、あ、あっ……」
スーツをスタイリッシュに着こなした男が情けない声を発した。慌てふためいて取りすがられ、佐和紀は身をかわした。道元はぐったりとうなだれる。
「ただ、話してると落ち着くんです。信じないでしょう。そんな憐れむような目で……」
「なんかさ、おまえもかわいそうな男だよな。わかった、わかった。電話してやるから」
そう言って、電話をかけるように促す。あとの段取りはつけた。
「佐和紀さん、道元と岡村さんを会わせないでくださいよ」
連絡したことは知っていますと、知世が眉を吊りあげる。
夕食会はそのあと二時間弱続いて散会になり、佐和紀はやはり美園についていった。さすがに部屋に押しかけてはいない。真幸を呼び出し、ラウンジで一杯飲んだだけだ。幸せそうなふたりのやりとりを満喫して、上機嫌で護衛の運転する車へ乗った。
もう少し遊んで帰ろうと知世を誘い、地元に戻って行きつけの焼き鳥屋へ入る。
「セックスしてるわけじゃないんだって」
軽い口調で言うと、酔った知世の眉がぴくぴく動いた。
「知ってます……っ」
イライラした口調で答えながら、焼き鳥屋のカウンターをさする。都内を出る前に連絡を入れたのでカウンター奥の定席が空けてあった。陽気な笑顔がトレードマークの若い女性店員が、いつもの元気さでチューハイを運んでくる。つまみがいくつか並んだ。
「おまえのこと、よくできた『お付き』だって」
利用できるなら手元に置いておけと暗に言われ、『どうにもならないんだ』と答えた佐和紀の心はかすかにきしんだ。
ヤクザの言いざまを嫌悪したわけではない。佐和紀も同じ思考回路を持っている。
それでも悲しい気がしたのは、知世が単なる駒として見られてしまうことに対してだ。
知世のこれまでの人生は、まさに、その『駒』として生きることだった。兄に利用されているだけじゃない。父親や親族、兄の嫁、そして周りの男たち。すべての人間が、知世を利用価値の高い『駒』だと思っている。そんな気がするから物憂い。
「余計なお世話だよな。おまえの優しさはさ、俺なんかのために使うものじゃない」
枝豆を歯でしごき、中身だけを食べて皮を捨てる。
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