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第5話

「なんでぇ、その荷物は」  成留を起こしに来た奏は、部屋の真ん中にこれ見よがしに置かれたカートを足でつついた。 「ああ。俺、出張です」  もそもそとベッドから出てきた成留に警戒しつつ、奏はけげんな顔をした。 「出張? 聞いてねぇぞ」 「急に決まったんですよ」 (というか、急に思いついたんですけど)  成留は心の中で付け加えた。出張が発生するような職場ではない。ウソの出張で不在にし、奏にさみしがってもらおうという作戦だった。 「ふうん」  唇を尖らせてカートを一瞥する奏に、成留がニヤニヤする。 「俺がいなくなるのが、さみしいんですか?」 「バカか。うっとうしいのがいなくなって、せいせいすらぁ。おら、とっとと朝飯に来い」  鼻を鳴らして部屋を出ていく奏に、ひどいなぁとぼやきつつ成留は頭をかいた。チラリと横目で成留の様子を見た奏は、困惑気味に台所に戻ってご飯とみそ汁をよそう。 (出張か)  あの日から、奏は成留のスキンシップを露骨に警戒していた。いままで許してきたハグを避けるどころか、テレビを観るときも距離を取っている。あからさまな奏の態度にめげることなく、成留はアタックを繰り返してきた。それに安堵をしながらも、なかなか素直になれない奏にとって、成留の出張は冷静に関係を見直せるきっかけと思えた。 (俺は、どうしてぇんだ)  成留の味を知ってしまった体は、ふたたび彼を欲しがっている。それは予想通りなのだが、成留の本心がまったく見えない。あれは肉欲を満たすために夢中になっていただけなのか、それとも心から抱いてくれていたのか。  呼び捨てにされた記憶に体が熱くなる。乱れた成留の息がうれしくて、もっと彼を気持ちよくさせたいと無意識に体を動かした。成留は幾度も奏の中で果て、そして――。 「先輩」  物思いに沈んでいた奏は、ビクリと背筋を伸ばした。いつの間にか、成留はちゃぶ台の前に座っていた。 「どうしたんですか? ボーっとして」 「お、おう。その、なんだ……、出張って、どんぐらいなんだ」 「ああ、ひと月です」 「そんなにか」 「やっぱ先輩、さみしいんでしょ」 「んなわけあるか」 「俺は、さみしいですよ」  箸を取った成留の声が予想外に重たくて、奏はじっと彼の横顔を見つめた。そうか、とつぶやき食べる成留をながめる。 「出張先でも、ちゃんと朝飯は食えよ」 「ホテルのモーニング、ちゃんと食べます」 「なら、うまい飯が食えるんだな」 「先輩の作るもののほうが、おいしいですよ」 「まだ食ってねぇだろ、ホテルの飯」 「食べてなくても、わかります。俺にとっては、先輩の飯がなによりも最高にうまいんですよ」 「そういうのは、女に言ってやれ」 「俺の恋人は先輩でしょう?」  非難の目をまっすぐに向けられて、奏は言葉に詰まった。じゃあなんで、いまだに先輩って呼ぶんだよ、と言いかけてやめる。そこが成留の本心だと奏は思っていた。よそよそしさの残る呼び方が、成留は本気で付き合う気ではないと奏に思わせている。だから体を重ねたときに、呼び捨てられたことがうれしく、魂ごと官能に包まれたのに。 「そういうことを、いちいち言うんじゃねぇよ」 「だって先輩、俺のこと恋人扱いしてくんないじゃないですか」  ぷうっと成留はむくれてみせた。こうして甘えた態度を取れば、奏は無意識に手を伸ばして頭を撫でてくれる。ほかの誰かにされるのは情けなかったり屈辱的だったりするが、奏にされるのはうれしい。期待をして待つ成留は、奏の腕がすこしも動かないことに落胆した。 (先輩、あれからすっごい俺を避けてる)  いつもなら、軽くいなすように「はいはい」と言いながら、グシャリと髪を混ぜるように撫でるか軽く頭に手を置いてくれるのに。  あの日、疲れ切ってそのまま眠り、裸身で目覚めた奏は真っ赤になって、じゃれつく成留を足蹴にしてから妙な足取りで風呂場へ行った。あのときの先輩、めちゃくちゃかわいかったなぁと浸りつつ、あれから必要以上に避けられていることに落ち込む。 (朝、起こしてくれるときもすげぇ遠いし。寝起きで飛びつくとかできない上に、普段もぜんっぜんスキがないとか……。どんだけ俺、避けられてんだよ)  いままでは誘うように無防備な格好もしていた奏が、一分のスキも見せてはくれない。 (俺、そんなに下手だったのか? それで愛想をつかされた?)  女との経験はそこそこあるが、男とは奏がはじめての成留には、どうにも具合が掴めない。けれど奏はとても乱れていたように記憶している。甘い声で啼いて、腰を振っていた。あれはサービス的な、感じているフリだったのだろうか。 (先輩なら、ありうるかも)  ひっそりと落ち込む成留は、ウソの出張で奏の反応を試してみようと考えていた。一か月の不在を通して、奏が自分に対する気持ちを深めてくれればいい……、というか、さみしがってもらいたい。そして帰宅したときに熱く激しい抱擁を、とまでは言わないが、ツンながらもあたたかく迎え入れてもらいたい。  けれど、その前に――。 「ごちそうさま。――ねえ、先輩」 「ん?」 「これから一か月も会えないんですし。いってらっしゃいのキス、くださいよ」 「はぁ?」 「いままではヌいてくれたりしてくれたのに、あれからちょっとしたスキンシップもしてくんなくなったじゃないですか」 「そ、それは」  そんなことをしたら最後まで欲しくなるからだ、とは言えずに、奏は目をそらした。 「だから、せめてキスください。ねえ、先輩」 「バカなこと言ってねぇで、とっとと行け」 「先輩」  逃げようとした奏の腕を捕まえて、成留は全力ですがりついた。 「ねえ、先輩」  ジリジリと迫られて壁に追い詰められた奏は、かすかに伝わる成留の体温に身をこわばらせた。 「キス、してくださいよ」  触れた奏の肌が意外に熱くて、成留は期待に胸をふくらませた。奏の顔が赤い。腰に手を置き脚の間に膝を割り入れると、奏の瞳がとろりとにじんだ。 (あ、エロい)  このままイケると思った成留は、首を伸ばした。キスができる距離まで顔を近づけ、声を低めてねだる。 「ねえ、先輩」  ゴクリと奏の喉が鳴った。嫌われているわけではないと、成留はホッとする。偽の出張をでっちあげてよかった。これでキスができたら、奏とひと月も離れなければならない計画のなぐさめになる。 「キス、してください」  呼気がかかるほど唇を寄せているくせに、あとすこしを詰めてこない成留に奏は困った。ものすごくキスがしたい。けれど自分からするのには抵抗がある。コイツはこうやって女と駆け引きをしてきたのか。相手に選択権をゆだねて、自分への気持ちを確かめてきたのか。 ――なんて、ずるいヤツだ。  自分も成留を試してきたくせに、奏は不機嫌になった。わずかに伏せられたまつ毛の隙間から、甘える瞳が見えている。心の奥をくすぐる視線に、奏は負けた。 「んっ」  軽く唇を重ねれば、成留がグイッと顔を寄せる。舌を伸ばされ受け入れて、口腔をまさぐられた奏は股間を熱くした。そこを成留の太ももが押してくる。 「んっ、んぅ」  鼻にかかった奏の声に、成留も熱くなる。太ももに確かな存在を感じて、成留はほくそ笑んだ。先輩ってばもしかして、乱れたのが恥ずかしくて俺を避けていたのかも? 「先輩、かわいい」 「っ、あ、バカ」  成留の手が奏の胸元に伸びる。的確に服の上から乳首を探られ、奏は思わず成留にしがみついた。ニヤニヤしながら成留は奏の首に吸いつこうとし――。 「ぐふっ」  腹部に重い衝撃を受けて、よろめいた。 「せ、先輩」  腹を押さえて涙目で見上げると、真っ赤な奏がわなわなとこぶしを握りしめていた。 (うあ、かわいい)  痛みにうめきながら、そんなことを思う成留の横をすり抜けて、奏はカートを掴むと玄関に出した。 「おら! さっさと行け。遅刻すんぞ」  顎でしゃくられ、成留はヨロヨロと歩いて靴を履いた。 「先輩、もっかいキスください」 「もう一度、殴ってやろうか」  にらまれて、ヘラッと笑った成留は「いってきます」と出て行った。階段を降りる足音を聞きながら、奏はふうっと息を吐く。 (あぶなかった)  あのまま流されていたら、嬌態をさらしていただろう。あのときは背後から突かれたので顔を見られなかったが、乱れた顔を見た成留は萎えるかもしれない。そうなったら、しばらくは立ち直れない自信がある。  奏は片手で顔をおおった。 (もうとっくに、引き返せなくなってるじゃねぇか)  成留がいない間に、なんとか気持ちを整えておかないとな。  そんなふうに思われているとは夢にも思わず、成留は痛む腹をさすりつつニヤニヤしていた。あの調子なら、しばらく離れている間に先輩は俺が恋しくなるに違いない。一週間くらいは、うるさいのがいなくてせいせいする、とか思われそうだが、半月も過ぎたら静かすぎる生活にさみしくなって、戻るころには会いたかったと迎えられるかも――なんて都合よくはいかないだろうが、そこそこには歓迎してくれるだろう。そうであってほしい。 「はあ。……けど、先輩の飯としばらくお別れとか、つらすぎる」  途中で音を上げそうだなぁと早々に気弱になりつつ、成留はカートを引いて駅へと向かった。

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