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第6話

 成留の予想よりもはやく、奏は静まり返った部屋にさみしさを感じていた。店を閉めて二階に上がると、室内は暗くひんやりと静まりかえっている。  まずそれで初日に違和感を覚えたが、すぐに慣れるだろうと奏は高を括っていた。だが、日が経つにつれて、じゃれてくる相手のいないさみしさは日に日に募り、十日もすれば落ち着かなくなった。 (前の生活に戻ったってだけじゃねぇか)  たったひと月半ほど前の生活に戻った。それだけなのに落ち着かないのは、成留の名残がそこかしこにあるからだ。だから存在を意識して、さみしいと思ってしまうんだ。  そう結論づけた奏は、なんとなく成留の部屋に入った。冷え切った室内に顔をゆがめて、ベッドに倒れ込む。 (あ。成留の匂いだ)  深く胸に吸い込んだ奏は、そのままギュッと枕を抱きしめた。自分を呼ぶ成留の声が鼓膜によみがえる。 (犬コロみてぇに、うっとうしい)  唇を笑みの形にゆがめた奏は、成留の残り香に安堵する。おなじシャンプーや石鹸を使っているのに、どうして匂いが違うのか。そんなことを思いながら、奏は安堵に包まれて眠りに落ちた。  そんなことになっているとは予想だにしていない成留は、こちらも奏のいない日々が物足りなくて、奏が眠る時間を見計らってこっそりと戻ってきた。  慎重に鍵を開けて足音を忍ばせ、奏の部屋を目指す。 (先輩の寝顔を見たら、ホテルに戻る)  そう決めて襖に手をかけた成留は、もぬけの殻な室内に驚いた。音を立てないよう部屋に入って確認しても、狭い室内に奏が隠れるスペースはない。念のため押入れを確認した成留は首をかしげた。 (先輩、どこに行ったんだろう)  玄関に戻って奏の靴があることを確認した成留は、風呂場やトイレ、ベランダを見てまわり、残るは自分の部屋だけだとドアの前に立つ。 (まさかな)  ドアを薄く開けて覗いた成留は、まさかの光景に硬直した。思わず悲鳴を上げそうになり、両手で口を抑えた。 (落ち着け、俺!)  深呼吸をしてから、ふたたび部屋を覗き見る。 「っ!」  言葉にならない気持ちをわなわなと全身から発し、成留はそうっとベッドに近づいた。ドキドキしながら顔を近づけ、寝息に耳を澄ませる。 (くそかわいいかよ!)  枕を抱きしめ眠る奏にときめきもだえて、床を踏み鳴らしそうになる体を押さえ、鼻息荒くじっくりと観察した。寝間着の上着の裾がめくれて、腰が見えている。やや背中を丸くして、脚に布団を挟んで眠っているので足首が見えていた。 (くるぶし、かわいい)  キュンとしながら、奏の大きな足の裏をつついてみる。起きる気配はない。気をよくした成留は、耳元に唇を近づけた。 「先輩」  ささやいても反応はない。 「先輩……、奏」 「ん、ぅ」  わずかに漏れた奏の息に、成留は仰け反った。 (むぉおおおおっ!)  自分を抱きしめ身もだえて、ニヤニヤしながらまた顔を近づける。なんだか前にも似たようなことをしたなと思いつつ、成留は奏の耳朶を唇で軽く噛んだ。  反応はない。 (でもなんで、先輩ってば俺のベッドで寝てるんだろ? さみしくて……、とかだったらうれしいんだけど。先輩のことだからベッドで寝てみたかったとか、そういう俺の期待にかすりもしない理由なんだろうなぁ)  落ち込みつつも、成留はいそいそ添い寝する。 (そもそもなんで、先輩は俺を受け入れてくれたんだろ)  痴話げんかに遭遇し、これはチャンスと強引に納得させて転がり込んだ。喧嘩の熱も冷めないうちにペースを掴んで、畳みかけて強引に付き合うことにさせたけど、あのときの奏は成留をそういう対象にすら見ていなかったはずだ。 (ノンケのくせにって鼻の頭にシワを寄せて怒った先輩、かわいかったなぁ)  フフフと思い出し萌えをしながら、成留はそっと奏の二の腕を撫でた。 「先輩」  ささやき、うなじにキスをする。 (先輩は元カレにまだ未練があるのかな。だから俺に心を開いてくれないのかも。……まあ、別れてから、まだ二か月くらいしか経ってないもんなぁ)  絶望的な気持ちになりつつ、成留はキスを繰り返す。 「前の男より、俺のほうがずっといいって、どうやったら思ってもらえんのかなぁ」  ぼやく成留は奏を抱きしめ、額をうなじに擦りつけた。 「ああもう。こんなに愛してんのに、なんで伝わらないかなぁ!」  思わず叫んでしまった成留は、「やべっ」と頬をひきつらせた。耳元で叫ばれた奏が起きないはずはなく、成留は殴られることを覚悟しながら奏にしがみついた。  ぎゅっと目を閉じ衝撃に備えて待っても、手のひらも肘も飛んでこない。おそるおそる目を開けて、成留は様子をうかがった。 「先輩?」  バッと枕に顔をうずめて、奏は下唇を噛んだ。 (なんなんだよ、いまの叫びは)  聞き間違いでなければ、成留は「愛してんのに」と言っていた。 (あっ、愛してって……。そんなこと、いままで言われたことなんてねぇぞ?!)  困惑しながら、笑みくずれてしまう顔を成留に見られまいとする。 (ていうか! なんで成留が家にいるんだよ。出張中だろう)  まったくわけがわからない。 「ああ、ええと……、先輩?」  つつかれて、奏は体をまるめた。 「ダンゴムシみたいになってないで、ちょっとこっち向いてもらえませんか?」  これはこれでかわいいんだけど、と思いながら、成留はベッドの上に正座した。奏の耳が赤いので、照れているのだとわかる。 (ばっちり聞こえてたってことだよなぁ)  正直にあらいざらい、きちんと気持ちを伝えろってことかもな。そう考えた成留は、咳払いをして胸をそらした。 「バイトで働いているときから、先輩のこと気になってました」  なんかのテレビ番組の、学生が告白をするコーナーみたいだと思いつつ、成留は続ける。 「そんでも俺、男相手ってのがはじめてで、まさか先輩がそうだなんて知らなくて、気づいたら先輩バイト辞めてて。……それで、ええっと。そうそう、会社の連中にうまい店があるって連れてこられたのが先輩の店で、なんか運命かもって思って。そんで、チャンスないかなぁって、通ってたんですよね」 (そうだったのか!)  枕を抱きしめる腕に力を込めて、奏は成留の話に胸を震わせた。やばい、うれしい。けれど顔を見せるのは恥ずかしい。 「そんなときに、先輩が痴話げんかしてるところに遭遇して……。あ、ラッキーなんて。いや、先輩からしたら不謹慎って思うかもしんないですけど。これ逃したらヤバイなって、強引に押し切ったんですよね。……先輩が俺に許してくれないのって、もしかして前の彼氏を引きずってるとか、そういう理由ですか?」  不安そうに落ちた成留の声に、奏の胸がキュンとなる。思わず飛び起き、「そうじゃねぇ」と否定した奏に、成留は「よかったぁ」と相好を崩した。 「あれ? でも、じゃあなんで先輩、俺に許してくれないんですか。俺が頼りないからとか、俺のこと好きじゃないとか、そういう理由ですか」  すぐに情けない顔に戻った成留に、奏は困った。雨に濡れた子犬みてぇな顔すんじゃねぇよ、と心の中で毒づく。そんな顔されちゃあ、ごまかせねぇだろうが。 「それは、その、あれだ」  ガリガリと後頭部を搔きながら、奏は唇を尖らせて視線をそらした。 「あれって、なんです?」 「ああ、その、なんつうか……。オッサン相手におまえが本気になるわけがねぇって思ってたんだよ」 「は? なんでですか。俺、めっちゃアタックしてましたよね。あれを冗談だと思ってたってことですか。うわ、すっげぇショック」 「だっ……、し、しかたねぇだろ?! だいたい、なんでずっと先輩って呼ぶんだよ。恋人だとかなんだとか言うんなら、名前で呼びゃあいいだろうが」 「もしかして、そんなところにこだわってたんですか? うっわ、かわいい」 「なんだよ、その反応はっ」  照れ隠しに牙を剥く奏に、成留はニヤつく口許を両手でおおった。 「だって先輩。きっかけないと、いきなり呼び捨てとか難しいですって。呼び方が急に変わったら、お店のお客さんも妙に思うでしょ?」 「う……。そりゃあ、まあ、そうかもしんねぇが」  下唇を突き出してうつむく奏の太ももに手を置いて、成留は顔を寄せた。 「奏」 「っ!」  耳元でささやかれた奏が真っ赤になって仰け反ったので、成留はそのまま体重をかけて押し倒した。 「おわっ。……おい、なんだよ」 「特別なときだけ呼び捨てとか、エロいなぁって思って」 「わっ、ちょ……、っ!」  耳に噛みつかれ、奏は慌てて成留の襟首を引っ張った。 「離れろ!」 「いいじゃないですか、恋人同士なんだし。――ていうか、先輩の気持ち聞いてないですね」  奏の腹にまたがって、成留はじっと見下ろした。 「ねえ、先輩。元カレにまだ未練あります?」 「ねぇよ」 「じゃあ、俺に惚れてくれてます?」 「う」 「俺はちゃんと告白しましたよ。先輩も男らしく、いろいろ白状してください」  さあさあとうながされ、奏はしぶしぶそっぽを向いて告白した。 「……オ、オッサンのエロ顔なんて、萎えるだろうと思ったんだよ」 「なんです、それ」 「だ、だから……」  奏は腕で顔を隠した。 「成留はもともと女専門だから、オッサンがあえいだら萎えると思ったんだよ」 「はぁ? なんですかそれ。ちょっと、腕を外して顔を見せてくださいよ」  グイグイと奏の腕を顔から離そうとするも、ビクともしない。引くのを止めて軽く叩きながら、成留は「ねぇねぇ」と続きを促す。 「先輩、俺がノンケだって言ってましたよね。それを気にしてるんですか? さっき俺、告白しましたよ。男に惚れるのははじめてですけど、先輩のことずっと気になってたって。俺、本気で先輩をエロいって思ってて、それこそエロ漫画みたいにトロットロにさせたいとか思ってるんですけど」 「ッ?!」  ビクリと震えて、奏は全身を真っ赤に染めた。 (な、なに言ってやがんだ。コイツは……)  けれどもし、それが本心からの言葉ならと、奏はそっと腕ごしに成留を見上げた。視線が合って、成留はニッコリする。 「俺がきっちり正面きって告白しとけば、しょっぱなから先輩とイチャイチャできてたってことがわかってよかったです。――そういう解釈で、いいんですよね?」  体を折って、成留は奏の腕越しに視線を絡めた。 「ねえ、先輩。次の土曜に先輩が店を休むか、店の定休日に俺が有給を取るか、選んでください」 「……なんでだよ」  低く奏がうなると、成留はニヤリと含み笑いを満面に広げた。 「これまでのすれ違いを埋めるエッチをするんですよ。男同士はどうすればいいのか、いろいろと情報を集めて勉強しましたから。先輩のことトロットロにして、俺が萎えるかどうかを体の深いところに教えてあげます」 「~~~~ッ!」  言葉にできない悲鳴を上げて総毛立つ奏に、成留はニヤニヤする。 「さあ、どっちがいいですか? 選んでください、先輩。まさかここまで来て、しないとかイヤとか言わないですよね?」 「……ど、土曜に店を休む」  喉の奥から絞り出した奏の返事で、そういうことに決まった。  ◇ 「おかえりなさい、先輩っ!」  頬を紅潮させた成留に出迎えられて、奏は面食らった。 「さあさ、先輩」  腕を掴んで、靴を脱ぐ間も与えずに部屋に上げようとする成留の頭をポカリと殴る。 「うぜぇ! なんなんだよ」 「なんなんだって先輩。まさか、忘れたわけじゃないですよね?」  頭をさすりながら念を押されて、奏は言葉に詰まった。 「わ、忘れてねぇよ」 「だったら、俺のテンションが高い理由、わかりますよね」  むっつりと押し黙った奏に、成留が「ねぇねぇ」とすり寄る。顔面を手のひらで押しのけた奏は、「わかってんよ」と乱暴な声を出して成留の横をすり抜けた。 (だから店で、しこたま酒を飲んできたんじゃねぇか)  素面でなんていられない。酔っぱらって帰ろうと思ったのに緊張のせいか、ちっとも酔いはまわってくれなかった。 「とりあえず、風呂に入ってくっから」 「ええー。お風呂なんていいですよ。先輩の匂いが薄まるじゃないですか」  奏の腰に抱きついて、成留はフンフンと鼻をうごめかす。 「いいから、おまえは部屋で待ってろ!」  怒鳴ると、成留はキラキラと目を輝かせて、クククとうれしそうに喉を鳴らした。 「部屋で待ってろって、すんげぇエロイですね」 「くだらねぇこと言うんじゃねぇ」 「あいてっ」  げんこつを食らった成留は、ゴキゲンなままニヤニヤと奏に言う。 「風呂から出たら、マッパで部屋に来てくださいね。どうせ脱ぐんだし」  顔面を大火事にした奏がこぶしを振り上げる。成留は胸と股間をキュンキュンさせつつ、足取り軽く逃げ出した。

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