6 / 24

山奥へ

人目を避けた山奥へ潜る理由とは  出掛けた先は城下の外の山。山の奥へと氷雨は進んでいくが、両親が死んでから殆んど仕事以外に動かなかったせいかぜいぜいと息を荒げる。 「氷雨、無理をするくらいなら山を下りないか?」  氷雨は木の幹に手を付いて笑った。 「大丈夫……です……どうしても……行かねばならないのですから……」  何がなんでも進みたいようだ。氷雨が諦めなさそうなので、俺は氷雨の前にしゃがんだ。 「無理をせずに、俺の背中に乗れ」 「え? でも……」  背負われるのが恥ずかしいのか、氷雨はかあっと頬を染める。 「無理をするなよ。足がもう震えているじゃないか。さっさと乗れ」 「はい……」  恥ずかしがってはいても、疲れていたようで氷雨はおずおずと俺の背中に乗る。人型では不自由なので、俺は一旦狐の姿に戻った。 「ところで行き先は?」 「一度家族で行った屋敷があるでしょう? そこまでお願いします」 「ああ、彼処か。……分かった」  俺は記憶を辿りながら、そこへと駆けていった。確か山奥に蒼宮の屋敷があった。いざというときの為に、藩主にも隠した秘密の屋敷。龍神を祀るために建てた等と、氷雨の親は言っていた筈。氷雨と龍神が住むという泉の近くの川で、水遊びと水練をしたっけな。そんなことを思い出していると、森の開けた場所に大きな屋敷が見えてきた。  屋敷の中は時間の経過など無視しているのか、一切の埃など無かった。人型に戻って氷雨を縁側に座らせると、水を汲みに行く。水は濁りなく山の澄んだ霊気が含まれている。この上なく心地好い場所なのは、龍神が氷雨を歓迎しているのだろうか。氷雨にその澄んだ水の入った竹筒を渡すと、氷雨は微笑んで受け取った。 「ありがとうございます……銀雪…」  氷雨は水を飲むと、楽になったように息をつく。 「ところで氷雨。何のために此処に来たんだ」 「龍神様に代替わりしたとお伝えする為ですが……銀雪とゆっくりするためですね。丁度、3日もお休みを頂けましたし。親戚からも離れたいのです」  氷雨はごろんと仰向けになる。 「銀雪……もう春なのですね……」  氷雨の視線の方向を見ると、満開の桜。強い風が吹いて花吹雪が俺と氷雨に向かって吹く。 「そうだなもう春だな」  氷雨の両親が亡くなったのは桜の咲き誇る季節。もうあれからそんなにも時が過ぎたのか。時の過ぎるのはあまりにも早い。吹雪のように白い花は暖かな風に乗って舞っている。氷雨に視線を移すと、氷雨の青い髪を彩るように淡い色の花びらが付いていた。  「氷雨、髪に花弁が付いているぞ」  氷雨の髪を撫でると、氷雨は青い眼を柔らかく細めた。  城下の屋敷で働いている三十路の鈴が握った握り飯を氷雨と一緒に食う。十数年屋敷に奉公している事もあり、握り飯は形良くて美味い。その上に満開の桜を見ながら食べるとなると、質素な握り飯が御馳走に思えてくるほどだ。普段は少食な氷雨も今回ばかりは2つも握り飯を食べる。握り飯を食べながら氷雨と他愛ない話をするが、昨日とは打って変わり時折肩を震わせて笑ったり、無垢な顔で微笑む氷雨が眩しい。やはり昨日酔っ払って悲しみを吐き出したのが良かったのだろうか。氷雨の笑う顔を見ると、俺も心なしか気分が良くなる。最後の握り飯に手を付けようとすると、見慣れない童女がむしゃむしゃと握り飯を頬張っていた。 「な………!? 貴様は何者だ!?」  俺が立ち上がって大声を出すが、童女は驚く様子もなく此方を向いた。桜のように淡い色の髪と桃色の着物を風に靡かせている。 「ふぁふらのふぇいですふぇど」 「頬張りながら喋るな」  童女はムッと睨むとごくんと口の中の物を飲み込んだ。 「桜の精です。龍神様に貴方達をお呼びするように言われたのですが。流石人間の飯。中々美味です」  俺が折角楽しみにしていた握り飯を食っておきながら、あっけらかんとしやがって。 「俺達の握り飯を勝手に食うんじゃねえよ!!」 「まあまあ、銀雪」  童女は氷雨の後ろに隠れ、あっかんべーと俺に舌を出す。そんな童女の様子に苦笑して、氷雨は桜の精の頭を撫でた。 「桜の精殿。龍神様の元へ案内していただけませんか」 「勿論です。蒼宮さん、着いてきてください」  童女は氷雨ににこりと笑うと、氷雨と俺達の前を歩いて案内し始めた。  案内された先は、清い水を湛える泉。童女が泉の水面に触れた途端、凄烈な神気が風となって俺達を包み込む。そして目を開けると、泉が湖畔へと変貌していた。 「龍神様ー。蒼宮さんが来ましたー!」  童女が大声で湖畔に向かって呼び掛ける。すると湖畔の水面が震え、湖畔が光に包まれた。 「2回も目潰しって必要あるのか?」  俺が童女に聞くと、童女はすぐさま返した。 「仕方ないでしょ。龍神様は演出好きなんです」  龍神が演出好きとか、随分俗世に染まっているものだ。俺が再び目を開けると、湖畔のそばには見慣れない青年がいた。氷雨よりも澄んだ青い髪の色と、傍の湖畔の色によく似た瞳。 「演出好きで悪かったね。僕を祀る人間の前では輝きたいものだろ?」  男は人とは思えないほど美しい顔で微笑んだ。 「龍神様。お久しぶりです」  氷雨が片膝をついて龍神を見上げると、龍神は氷雨に慈愛の目を向けた。 「ああ氷雨。お前に会えて嬉しいよ。確か零月と名を改めたんだっけ。良い名前だ」 「有り難き幸せ」  氷雨はどこか緊張しているのか、顔が強張っている。それに気づいたのか、龍神は氷雨の肩に手を置いた。 「ところでお前の父と母はどうした。毎月、我が元へ供物を捧げに来ていたのだが」  龍神の問いに氷雨の目が陰る。それで全てを悟ったのか、龍神は苦しげな顔をした。 「どうやって亡くなった。病か?それとも……」 「両親は屋敷に忍び込んだ賊の手によって殺されました……龍神様、ご存じではなかったのですね」 「ああ、迂闊に城下に入ることは出来ん。それでも信心深いお前の父だから家からの祈りすら届かない時点で何かがあったことは分かっていた」  すまななかったなと龍神は氷雨の頭を撫でる。氷雨はもう言葉を紡ぐのも辛いのか、下を向いてされるがままになっていた。 「零月、お前が望むなら山の獣どもにその賊どもを食い殺させてしまおうか」   慰めるためかそれとも龍神自身が賊どもが憎いのかそんなことを聞く。しかし氷雨は首を横に振った。 「いいえ、父から仇討ちなど考えずお前らしく生きよと言われました。確かに私は賊のことが憎いです。……それでも、私は争い事が嫌いな私のまま……私らしく生きたい」 「零月………お前は変わったな」  龍神は目を細めて微笑む。 「ならば、詫びの代わりにお前達に加護を授けておこう」  龍神が指を鳴らすと、天女の羽衣の如き神気が俺達を包んだ。 「零月の狐。我が子を頼んだぞ。我が子は清らかな水の如き美しさ。それを情欲によって穢したお前は責任を取って、我が子を一生支えるがいい」 「龍神っ………何でそれを!?」  氷雨も俺も一切互いの恋仲を他言しなかった筈だ。何故それを龍神が知っている。 「お前達を見れば分かるぞたわけ」  龍神は、にやにやと笑いながら俺と氷雨を交互に見た。 「桜よ、我が子達を送ってやれ。あと、我が子達を歓待してくれれば日照りしないようにしてやる」 「かしこまりましたー」  桜の精が大きな声で言うと、風が強く吹いて気づけば泉の傍に戻っていた。 「貴方……蒼宮さんを手籠めにしたのですか……」  じっと疑いの目を向ける童女の何と憎たらしいのだろう。俺が言い返そうとすると、氷雨が俺の口を塞いだ。 「桜の精さん、大丈夫です。同意の上ですし、彼は優しいので……」  氷雨の言葉に、童女は怪訝そうな顔をしていた。しかし納得したのか微笑んで俺達の屋敷の方角に歩きだす。屋敷に着いた後、ふわりと桜の精が消える。   そして夜が更けるまで二人で釣りや何やらで食料を調達したのだが、その間美しい桜の花弁が俺達に降ってくるのであった。  月が眩しく、降ってくる桜の花弁が雪のようだ。銀雪と零月は縁側に足を出して酒を飲んでいた。 「やはり此処に来て良かった」  そう言って笑う氷雨の頬は赤く染まっていた。やはりこいつは酒に弱い。  ふわふわと笑う氷雨の笑みに、銀雪は中心部と頬に熱が溜まるのを感じた。いやいや、こいつの父が亡くなって以降、一切肌を重ねていない。そんなことをする訳には………。俺は思わず顔を桜の方に向けた。 「あれ? 銀雪酔っちゃったんですか?」  氷雨の方を見ると、氷雨の顔は目と鼻の先にあり、俺は思わず酒を噴き出しそうになった。 「ひ、氷雨っ………近い……!」 「良いじゃないですか………銀雪、もうちょっと近づいてください」  鼓動が煩くてたまらない。俺が動けずにいると、氷雨が頬に指を添えてきた。 「氷雨……まさか俺を煽っているのか?」  氷雨は無言で微笑むと、軽く唇を重ねてきた。 「銀雪、僕は寂しかったんです」  昨夜のように、氷雨の瞳が濡れていた。 「父も母も亡くなってしまった。秋也は京の都に飛ばされ、僕の傍には貴方だけ。だから二人っきりになって、貴方と再び情を交わそうと思ったのです」  お前の想いは痛いほど嬉しくて、痛いほど苦しい。 「言っておくが、お前は蒼宮家の当主だ」  お前は将来誰かを娶る。龍神が言った通り、俺は一生氷雨を支えていくつもりだ。 だが………。 「これ以上情を交わせば………っ……お前が嫁を娶るのを許せなくなる」  人の姿に化けようが、俺は獣だ。独占欲など人よりも強い。そして想い人が他人に取られることなど許せなくなってしまうのだ。 「銀雪がそう思うならば僕は一生独り身でもいいですよ」 「お前なあ……自分が何を言っているか分かっているのか」  氷雨の想いがあまりにも真っ直ぐで、俺の目頭が熱くなる。 「分かっていますよ。それが周りから見れば批判の対象でしかないことも」  氷雨は俺の目尻を拭いながら微笑む。 「ですが僕は出来る限り、貴方と共にいたい。私の代で血が途絶えるとしても………貴方とずっと愛し合っていたい。」  人というものは脆弱なくせに、欲望は何よりも強い生き物だ。そしてこの氷雨も……。俺は観念して氷雨の唇を奪った。 「ん………ふっ………ぁ……」  舌を絡めると、氷雨が応えるように背中に腕を回す。どのくらい経っただろうか。気が済んでから唇を離すと、ふらりと氷雨の身体が傾いで俺の胸に倒れ込んだ。 「氷雨、続きは褥でしよう」 「はい……」  涙を一筋溢して氷雨がこくりと頷くと、俺は氷雨の身体を抱き上げてから部屋に入った。

ともだちにシェアしよう!