8 / 24

新たなる奇妙な同居人 其の一

龍神の頼みとはいえ、それを住まわせることに俺はどこか胸がちくりとした。  あの山の出来事から数年が経った。氷雨は独り身……いや俺といることを決めたのか、断固として一切の縁談を受け入れなかった。あの藩主となった八雲もそれに気づいているのか、よく氷雨を遊学やら他の藩の学者との交流などを命じた。  勿論俺もそれに同行し、氷雨と共に多くの経験を積んだ。外つ国のこと、他の藩の情勢や人間どもが必死に積み上げてきた学問の数々。そういったことにより、氷雨は藩でも名高い学者となり、藩校でも幾度か講師を勤めた。八雲も氷雨を自分の派閥の人間として扱う為、敵も多くなり、刺客も何度か現れる。俺が退けて役人の元に放り投げていた。  秋也なども藩主の味方の一人であるのだが、京の都から帰ってこない。噂によると、父親である頭領に逆らって勝手に妖怪を自らの式神としたせいで父親からの怒りを買い、京の方へ仕事と言う名目で飛ばされたとか聞いた。  まあ、俺がいれば刺客など一掃出来るのだが。それでも氷雨の友人がいないのは可哀想だ。 「あの馬鹿が、文ぐらいも寄越せばいいものを。最後に来たのは二月前ではないか」  俺がぼやくと、氷雨は苦笑した。 「銀雪、便りが無いのは良い便りと言います。それに彼のことです。簡単には死にはしませんよ」  そういうものだろうか。まあ紅原の現当主は、氷雨の家と己の実の息子を嫌っている訳だから、秋也が死んでいればあいつの遺髪(もしくは首)をこの家に送りつけるなどもやってのけるだろう。  それに、あいつを可愛がっているあの年増狐も何も言ってこないものだから、大丈夫かもしれない。そう思っていた矢先、何故か意外な来訪者が蒼宮の家にやって来た。  それは俺達が睦み合いを終えて、1つの布団の中に入っていた時である。俺の胸に頭を預けて微睡んでいる氷雨の髪を撫でている最中、俺は突然神気を感じとった。 「おい、氷雨。起きろ」  本当は眠りかけている氷雨を起こしたくなかったが、氷雨があの神の怒りを食らう方が嫌だ。俺は氷雨の肩に羽織を掛けてやり氷雨が立ち上がるのを支える。俺と氷雨が庭に降りたと同時に、人型の龍神が庭へと降臨した。 「久し振りだね零月」 「お久しゅうございます、龍神様」  氷雨がその場に片膝を突こうとしたが、龍神はそれを制止した。 「そんなにかしこまらなくていい。特に今日は急な来訪をした僕が悪いのだから」  龍神はにこりと笑い縁側に座った。 「おい、龍神。何の件があって此処に来た」 「ああごめん。睦み合っていたところを邪魔をしたようだな」  かっと顔が熱くなるのを感じる。この下世話龍が……! そう言いたいのを押し殺しておると、龍神は話し始めた。 「実は君達に預けたいものがあって」 「預けたい物とは?」  氷雨が首を傾げると、龍神がにこりと微笑む。 「ああ正確に言えば、匿ってもらいたいのだよ。僕の同胞にして、神の域に達しておらぬ……女性(にょしょう)の龍」  俺達は絶句するしかなかった。 「どういうことだ、龍神よ……」 「そのままの意味だよ、妖狐よ。深手を負った龍を阿蘭陀(オランダ)の近くの国で見つけてね。此処に連れ帰ってきた。」  よりにもよって何故龍の、しかも女の世話をこの家に任せる。銀雪は苛立ちを隠せず牙を向けた。 「すまんが、その時僕も深手を負ったのだ。彼女を殺そうとした連中にね。あいつら下手したら海を渡ってきそうだし……お願いできるかな?」  そう言って龍神が見せたのは、手首から肩先まで白布で幾重にも巻かれた腕。血が止まらないのか、布はじんわりと血が染み込んでいた。 「龍神様、そのお怪我は大丈夫なのですか!?」 「うーん、調子に乗ってたせいかな。巫女に手当してもらったけど、中々傷が塞がらなくて……」 「しかし、それだと我が主を危険に晒すのではないか!」  ぐるると唸る銀雪を見て、龍神はすまなそうに笑った。 「そうなんだよね……。でも僕、神気が殆んど消失して………高龗神にでも相談に行かないと……」 よく見れば、龍神の顔色は蒼白で今にも倒れそうな程であった。 「それは龍神様の願いをお聞き入れしたいところですが……何せ鬼祓い達と違って、僕は非力で銀雪だけで対抗しうるかどうかなど……」  氷雨の眉間に皺が寄った。鬼祓い達は人外の者との闘いを得意とするが、氷雨はそもそも争い事が好きではないし、いくら剣術が強いと言っても実戦経験も積んでいないので危険でしかない。それに、俺も故郷で愛用の剣を置いてきてしまって、故郷に戻らない故、あまり大勢を一度に相手にすることは難しいのだ。 「僕が隠蔽の結界を張っておくから、君は鬼祓いに結界の強化を頼めばいい。鬼祓いはいけすかないが、長の跡取り息子と友なのだろう?」 「言っておくが、あいつは長の不興を買って京に飛ばされたぞ」  龍神は大したことないと言うように笑う。 「何、貴船から京の都は大して距離はない。連れてこよう。では頼めるか?」 「まあ、はい………」  氷雨にしては歯切れの悪い返事をする。それを是と判断したのか龍神は安堵のため息を吐いた。 「迷惑だろうから、詫びに阿蘭陀で買った書物をやろう。あと……」  その後は龍神が小声で氷雨に耳打ちする。本来ならそれも聞き取れる筈なのに、龍神は俺が聞こえないようにしているようだ。龍神が離れた後、氷雨は顔を真っ赤にした。 「そ、そんなのするわけないじゃないですか! 書物だけで十分ですので!」 「ええー本当か? まあいいか。心変わりしたら報告するように」  龍神はからかうように笑うと、屋根の方を見上げた。 「承諾してくれたよ。来なさい」  俺達も屋根を見た瞬間、金色の何かが舞い降りた。まるで天女のような人影。それは月に照らされながらきらきらと光っている。やがて地面に足を着けた。それは女であった。腰まで伸びた金色の髪に白い肌。衣は龍神かまだ顔も見たことのない巫女が誂えたのか、神代の衣服を纏っている。女は衣の両端を摘まんでお辞儀をした。 『初めまして、■■と申します。ご迷惑をお掛けしますがどうぞよろしくお願いします』  口元を動かしていないというのに美しい声が脳に響く。………待て、名前は何と言った。通力で通訳できているようだが、肝心の名前が理解できない。氷雨もそのようなのか、困惑していた。 「そうか。すまない、この国には存在しない言葉のようだ」  女もそれを察したのか、申し訳なさそうに顔を俯かせる。氷雨はその顔に気づいてこんなことを言い出した。 「ならば私が、代わりの名を付けてもよろしいでしょうか」 「ああ、構わんぞ。お前にはそれをするくらいの権利はある。そうだろう?」 『ええ』  女は静かに頷いた。 「では、その瞳から……『翡翠』様と。この名でよろしいでしょうか」 「まあいいんじゃないか」  俺の言葉に龍神も女も頷く。 「では翡翠様。これからよろしくお願いします。僕は蒼宮零月、そしてこの者が僕の式神の銀雪です」 『れいげつ様、ぎんせつ様。こちらこそよろしくお願いします』  互いに頭を下げる。その時、忘れかけていた何かが俺の頭に浮かんだのであった。  それからは同居人として翡翠が加わり、今までとは少し違う日常が始まった。氷雨は翡翠に衣を与え、空き部屋に住まわせた。氷雨は女のことが好きではないと今まで思っていたが、どうやらそうではないらしい。翡翠とはすぐに親しくなり、日ノ本や異国の話について花を咲かせるようになっていった。端から見れば恋人同士にしか見えないほどに。 「零月様も遂に嫁を貰われたのか」 「しかも氏神から嫁を貰い受けたらしい。真に目出度い」  奉公人達もそう噂しているが、氷雨は俺との関係は続いたままで、身体を重ねる頻度も相変わらずだ。そのことに、俺はどこかもやもやとしたものを抱えていた。氷雨が変わらずに俺を愛してくれることは嬉しい。しかし氷雨自身の立場を考えると……。部屋で考え込んでいる銀雪の尻尾は、頼りげなく揺れていた。  月の輝く夜、氷雨と俺は縁側で寛いでいた。氷雨は酔いたくないのか、甘酒の入った湯飲みを片手にして月を見ている。その横顔が美しくて触れたくなったが、俺は堪えた。 「氷雨、お前は翡翠のことをどう思っている?」  俺の問いに、氷雨は月から視線を外した。 「友人のようだと思っておりますよ。ただ、念による会話ですので、あの方の声が聞けないのは残念ですが」  氷雨の瞳には一切の嘘は無さそうに思える。凪のように全くの動揺はなく、ただ青く美しい双眸がそこにあるだけだ。 「そうか……。氷雨、翡翠を龍神から預かった際、何と言われたんだ?」  問うた瞬間、瞳が僅かに震えた。表情も陰り、動揺を隠せないと言ったところか。 「……今はまだ、言いたくないです。少なくとも、あれは命令でなく許可に近い。だから従う気など……」 「翡翠を嫁に迎えても良いと言われたか」 「っ…!?」  氷雨は危うく湯飲みを取り落としそうになった。やはりか。そりゃあもう氷雨は嫁を迎えても良い歳なのだ。このままでは一生独身になってしまう。 「良いんじゃないか結婚しても。少なくとも、翡翠は龍神から預かった女だ。親戚どもも文句は言えまいし、お前ら仲が良いじゃないか」 「しかし……!」  氷雨は此方に身を乗り出す。それを避けようとした拍子に、俺の傍にあった湯飲みが転げて中身がこぼれた。 「いいか氷雨。お前と俺が愛し合おうが、世間はそれを良しとしないんだよ。それにお前は藩を支える学者だ。お前の跡目を継ぐものの誕生を、皆が欲している。お前は賢いのだから、しっかり賢く生きろよ」  氷雨の瞳が大きく揺れると、瞳が濡れて、やがて頬から涙が伝っていく。いつもなら、そんな氷雨を抱きしめて頬から伝う涙を拭っただろう。だが俺にはそんな心の余裕がない。 「明日は城通いだろ? さっさと寝ろ」  俺は氷雨の悲痛な表情を見たくなくてさっと屋根の上へと飛び上がる。 「銀雪、待ってください!」  氷雨が俺を引き留めようとした声すら俺は振り払った。  風が冷たいのはもうすぐ冬になるからか。俺が屋根の上に腰をかけていると、視界に金色の光が入った。 「翡翠、何故ここに上ってきた」 『少し文句を言いに』  念話の声からするに、翡翠は怒っているようであった。 『いくらなんでもあんな言い方はないです。どうして零月様を傷つけるような言動を取るのですか』 「ああでもしないと一生独身だろあいつは」  氷雨の家は戦乱の世から藩主に仕えてきて、藩でも優秀な知恵を持つとされる家系。だからこそ血を絶やすことは許されない。 「数年前、あいつが嫁を取るのですら許せないほどの独占欲を抱いていた。しかし、そんな独占欲は氷雨の幸せを邪魔するものでしかない」  氷雨の従者として振る舞ってきたつもりだが、結局は獣。主すらを所有物として独占している俺がいる。 「俺は今もあいつを愛している。しかし、それはあいつの為にはならないんだよ。どこぞの知らぬ女に氷雨を渡すくらいなら、あんたがいい。氷雨の家柄や財産ではなく、氷雨そのものを見てくれる女がな」  本当は異類婚はよろしくないが、家柄に縛られぬこの龍の方が人よりましだ。翡翠は困惑していたようだが、やがて口を開いた。 『零月様は人にしては良質の魂の方です。私を人外ではなく「私」として扱ってくれる。なので……何と言うのでしょうね。あの人の傍に居たいとは思います』 「ほう、なら良いじゃないか」  平静を保つつもりだというのに、翡翠の返答に何故だが心が痛くなった。 『ですが、あの方が愛しているのは貴方であり私ではありません。私は無理矢理愛を奪うことなど出来ない』  龍どもの矜持は雲より高いと聞くが真であったか。俺は安堵のような感情と罪悪感で胸がいっぱいになる。 「分かったよ。しかし、氷雨の伴侶となれる女はお前しかいないと俺は思っていることは忘れるな」 『伴侶を決めるのは零月様であって貴方ではないでしょう。あの方と愛し合っている貴方が女性に化けては如何です』 「残念だが女に化けられないし、俺と氷雨は主従の立場と夜の立場は逆なんだよ」  意味も分からず首を傾げる翡翠に俺はそっぽを向いて、屋根の上に仰向けに寝転がった。 「ん? 何だあれ」  空から何かが此方に近づいてきている。まさか……。銀雪が立ち上がった途端、龍神が屋根の上に降り立った。 「龍神、久しぶ……って何でこいつがそんな怪我を負っている!? それになんだその女は!?」 龍神は飄々とした顔で笑った。 「だから結界を張らせるために一応紅原を持ち帰ったんだよ。でも、ちょうど駆け落ち中に重傷を負ったらしい。このままでは使い物にならぬが、まあ死なせるも生かすも零月次第だね」  龍神の傍には、大量に血を流して気を失っている秋也と、彼を抱きしめている美しい貴族の格好をした女がいた。 「お願いします、秋也殿を助けてください!」  秋也の顔は死相が濃い。目の前の彼に死が迫っているせいか、女の顔色は蒼白かった。

ともだちにシェアしよう!