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新たなる奇妙な同居人 其の弐

気まずい空気になって氷雨を泣かせたばかりだと言うのに……! 俺は歯噛みしたがこのまま氷雨の親友である秋也を死なせるのも気分が悪い。俺はすぐに屋根から飛び降りると、氷雨の部屋の障子を開いた。 「銀雪。何故屋根の上に龍神様がおられるのです。何かあったのですか」  氷雨は先程のことで泣いたのか、目元が若干腫れている。それでも平静の素振りをすることに、胸がつきりと痛んだがそれどころではない。 「氷雨、俺の背にさっさと乗れ。説明している時間が惜しい」  俺が本性の四つ足に戻ったことで、大事が起こったことを悟ったのだろう。氷雨は表情をいつも仕事で見せる冷静なものへと切り替えると、俺の背に乗る。俺は氷雨を乗せたまま、屋根の上へと駆けあがった。  そこでの惨状に氷雨は言葉を失った。唯一、気兼ねなく話せる友人が、血を衣が吸いきれない程に流して目を瞑っているのだ。そこに、京の都にしかいなさそうな貴族姿の娘。それで全てを悟ったようであったが、血を見るのが苦手な氷雨は目眩がしたのか、倒れそうになった。そんな氷雨を俺が支えると、龍神が氷雨に対して問う。 「零月、この二人を助けたいかい。それとも手離すかな」  当たり前のように氷雨は即答した。 「勿論助けます。紅原の次代は私の友で、友が大切にしているであろう(ひと)まで助けねば、本当に助けたことにならないでしょう」  龍神は仕方ないなとでも言うように苦笑した。 「本当に君はお人好しだね。丁度私は、高龗神のお陰で一応神気が使えるようになった。なので鬼祓いや陰陽師どもが近づかないように結界を張っておこう」  龍神が腕を振るうと、水が湧き出でたように水色の透明な神気で屋敷全体が覆われる。 「本当はこの男の身体を癒すべきなんだろうが…蛇神に僕が文句言われそうだしな。翡翠やってくれるかい?」  翡翠はこくりと頷いた。 『はい。時間が掛かりますが死なせはしません。ご安心を。しかしまずは屋敷内に入らねば』 「そうだね。銀雪、翡翠、零月、後のことは頼んだよ」  そう言い残し、龍神は去っていく。 「銀雪、空き部屋がありましたよね。そこに秋也を運んでください」 「……分かった」  先に俺と翡翠が、秋也と娘を下ろし、最後に俺が氷雨を下ろす。俺と氷雨が秋也のいる部屋を訪れると、そこには4人の人がいた。傷の治療の為に、血塗れの上半身が剥き出しになっている秋也と、傷に霊力を注ぎ込んで治癒を行っている翡翠。震えた手で秋也の手を握っている娘と、傷だらけで長い黒髪を無理矢理切られたような若い男……否。妖怪なのか神なのかよく分からない人の形をしたものが、秋也の傍で悔しげに唇を噛み締めていた。 「もしや……貴方は秋也の式神ですか?」  氷雨がそう問うと、その男は顔を上げた。 「貴方が主のご友人の…」 「はい。私が蒼宮零月です。秋也とは幼い頃からの既知ですが…貴方の名を尋ねてもよろしいでしょうか?」  氷雨が穏やかな声音で訊ねると、男は背筋をしゃんと正して此方に会釈した。 「私は影縄と申します。この度は主様をお救いくださってありがとうございます」  蛇の異称は朽縄であるが…変わった名だ。秋也のやつ、見た目と同じくらい風情が無いとは。起き上がったら、嫌と言うほど文庫に納められている短歌や俳句を読ませてやろうか。 『まだ予断は出来ない状況です。本当は桔梗殿もお呼びすることが出来れば良いのですが…それでは秋也とご令嬢の居場所が知られてしまいますね…翡翠殿、秋也の具合はどうですか』  翡翠の方は険しい顔で、秋也の傷口の方から視線を動かさずに答えた。 「正直に言って、この方を見守っているであろう神のご加護で命を繋いでいる状況です。ですが、そのお蔭でまだ命を助ける余地はあります」  傷口はかなり深いようだが、それでもほんの少しだけ死相が薄くなっているような気がする。このままいけば、助かるのであろうか。 「翡翠……殿、蒼宮殿、私にも秋也殿の為に出来ることはありませんか?」  その時、秋也の手を握っていた貴族の娘が口を開く。おや、貴族の娘とは消極的な存在だと思っていたが、この娘は違うのか。翡翠も驚いたように目を見開いて娘の方を見たが、すぐさま視線を傷口の方に戻した。 『貴方は出来るだけ清潔な布と、湯と塗り薬を用意してください。零月様も出来ればその方と一緒に。影縄様はこの方が傷を負った具体的な経緯を教えてください。そして銀雪様、万が一の為に傍で見張りをお願いします』  いつもの翡翠とは思えないほど、てきぱきと指示をしていく。その指示に皆は言われた通りに行動し始めた。そんな中、俺はすることが無いのでちらちらと秋也の為に行動する彼らを見ていた。  影縄という男の話だと、秋也とあの娘は身分違いの関係であるが、夫婦として結ばれることを娘の家の者達に認めさせる唯一の術すべを見つけた。その為に二人(と一匹)は屋敷から出たものの、追っ手に追われて、秋也と影縄が応戦することになった。その際、攻撃が貴族の娘の方に向き、それを庇った秋也が身体を切り裂かれたという。  深手を負った秋也を抱えて影縄と貴族の娘が逃げたが、影縄も怪我を負い、都の外へと何とか逃げ出した所に、龍神が現れたのだとか。そう話す影縄の足に目を移すと、その足は歩けない程ズタズタになっていた。 「お前の方もまずいだろうが!! 何故言わないのかこの蛇!」  俺が怒ると、影縄はムッとした顔で俺を睨んだ。 「主様の命より重要なものなどないでしょう。それに私の場合、妖力さえ戻れば元通りに…」 「秋也の霊力が底を尽きているようだが、それだと一月は歩けないままだが」 「それでも良いのです。私は別に…」 「良くないだろ。翡翠、妖怪の治癒は出来るか?」  翡翠は出来ますと頷く。 「そういう訳だ蛇。あとでお前も大人しく治癒を受けるがいい」  影縄は納得していなさそうな顔をしていたが、やがて渋々と頷いた。  それから秋也の怪我の手当てが終わるまで、時間がかなり掛かった。翡翠が霊力を注ぐ中、貴族の娘は血も恐れぬとでも言うように傷の周辺を拭いて、傷に布を巻き、血が落ち着くまで何度も布を取り替える。……本当に、貴族の娘なのか? そう思ってしまった。影縄も式神として、不安定で肉体から離れそうになっている秋也の魂を妖力で繋ぎ止める。そして氷雨の方は倉から薬を取り出したが、大怪我のこれでは全然足りない。そこで俺と共に薬問屋まで行って真夜中にも関わらず何とか交渉し、薬を用意することが出来た。  手当てが終わったのは夜明け。それでも秋也は目覚めない。貴族の娘は死相が殆んど見えなくなった秋也の顔を、泣きそうな顔で見つめている。そう言えばこの娘の名前を聞いていない。 「で、あんたは誰なんだ。貴族の嬢さん」  娘は真面目な顔つきになると俺と氷雨の方を向いた。 「申し遅れました。私は土御門家の長女……晴子と申します」 「つ……土御門………!?」  氷雨が滅多に上げないような素っ頓狂な声を上げる。その意味が分からず、俺と翡翠は首を傾げた。 「土御門の生まれと言っても、既に私は家を捨てた身。もう貴族ではありません。ですから、どうかお気遣いなどなさらないでください」  氷雨は困惑を隠せずにいたが、何とか己を無理矢理納得させたのか、いつもの仕事の顔つきになった。 「分かりました。ですが、貴方が秋也にとって大切な方。此方としては出来る限りの丁重な扱いをさせていただきます」  氷雨は奉公人に指示をして部屋の準備をさせる。晴子が奉公人に案内されて部屋を出ていくと、氷雨は溜め息を吐いてその場に崩れ落ちた。 「氷雨、おつかれ」  俺が氷雨の背を撫でてやると、氷雨はいくばかりか安堵したのか疲れた表情をしながらも、俺に微笑んで見せた。 「銀雪もお疲れ様です。そして、影縄様と翡翠様も」 「いえ……私は何も出来ておりません…」  そう言って申し訳なさそうに俯く影縄。それとは逆に、翡翠は頬を赤くして下を向いた。 『零月様のご友人を助けるのは、居候させて頂く身として当然のことです』  ………やはりこいつは氷雨のことを。そう思った瞬間、ふらりと氷雨の身体が傾いだ。 「氷雨、おいどうした!?」  何とか倒れる直前で氷雨の身体を受け止めると、氷雨は弱々しく笑った。 「一晩中眠ってなくて……すいません、ひ弱で……」  そう言い残し、氷雨は俺の腕の中で気を失うように眠った。  氷雨は次の日に目を覚ました。だが、秋也の方はまだ目を覚まさず、高熱に魘されていた。 「会うのも久しぶりで、積もる話も沢山あるんですがね…」 氷雨が心配しているというのに、秋也は起きる気配すらない。 「氷雨、大丈夫だ。この男は簡単に死ぬようなやわじゃない」 「ですが……!」  俺の方を向いたとき、氷雨は泣きそうな顔をしていた。瞳は濡れ、今にも涙が零れ落ちるのではないかと思うほど。氷雨は友の今の状態から両親を喪った時の悲しみを思い出してしまったのだろうか。……大切な者が命を喪うかもしれないという状況ほど胸と胃が痛むことはない。 「少なくとも翡翠やあいつらのおかげで死からは遠ざかった。だから目覚めるまでの辛抱だ」  苦しそうな顔をする氷雨の姿に耐えられず、俺は氷雨を抱き締め、安心させるように額に口づけをする。もうその身を抱きしめまい、口づけなどするまいと決意していたのに、今の俺にはそんなことなど出来なかった。氷雨は俺の腕の中で肩を震わせると、嗚咽を漏らす。あいつらがやって来てから気丈に振る舞っていたとは考えられないほど、腕の中の氷雨は子供の時のように小さく見えてしまった。    それから10日が過ぎたころであろうか。俺と氷雨が仕事から帰ってくると、翡翠が慌ただしく出迎えた。 『零月様、ご友人がお目覚めになりました!』  俺と氷雨は顔を見合わせると、すぐさま秋也の部屋へと駆け込んだ。 「秋也……!」 部屋に入ると、秋也は氷雨の方を見た。 「零……久しぶりだな。そして…この度は私の命を救ってくれてありがとう。何とお礼を言ったら良いものか」  秋也は晴子の手を借りながら半身だけ起き上がろうとしたものの、身体が痛むのか顔を苦痛に歪めた。 「秋也、無理をしないでください。私は貴方が生き延びただけでも嬉しいのですから」  氷雨は今にも泣きたいのか笑いたいのか分からない表情をしている。 「本当にすまないな。皆に迷惑を掛けてしまって……」 「全くだ。一時はどうなることかと思ったぞ」  下手すれば死んでいた。いやむしろ普通なら死んでもおかしくないだろう。それなのにこいつが生き延びたのは運が良かったとしか言い様がない。 「ああ、私もあの時はもう駄目かと思った。それでもこうして生きていられるのは皆のおかげだ。かたじけない」 「蒼宮殿、銀雪殿…ありがとうございます」  秋也の代わりに晴子が頭を下げる。その晴子の手の中には秋也の手があった。もう離すまいと言いたげなその仕草に、俺は目を奪われてしまった。

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