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新しい存在

血も繋がっていないが愛おしくて守りたい貴方の子  赤子の成長とは早いものだ。寝床から出られなかった子供が這いずるようになり、やがて立ち上がるようになっていく。氷雨の仕事が休みの時は、俺も子守をすることが習慣になっていった。 「夕霧、最近は一人で立てるようになったらしいな。だが俺とお前のとと様には見せないとはどういう了見だ」 「とと?」  もうすぐ数えで2歳となる夕霧は俺を大きな瞳で見上げる。それが可愛らしくて抱き上げた。 「そうだよ。お前のかかの前でお前のとと様はしょんぼりとしていたぞ。あといい加減俺の事も呼んでもらいたいな。ぎーんせーつ。ほら、言ってみろ」   夕霧は分からないと言いたげであったが口を開く。 「いーえーう?」 「惜しいな。ほらぎーんせーつ」 「随分と親馬鹿になりましたね。銀雪」  ぎくっと俺が振り向く。そこにはおかしそうに笑っている氷雨がいた。 「夕霧も貴方に懐いていて何よりです」  氷雨は近寄ると、夕霧の翡翠と同じ金糸の髪を撫でる。すると夕霧は嬉しそうに笑う。 「髪は翡翠の色だが、顔や目の色はお前にそっくりだな」 「そうですか? 私としてはどちらにも似てくれているなら嬉しいです。……ただ、藩校に通わせる場合、髪の色を隠す必要があるでしょうね」  夕霧は俺の袖にしがみついたまま寝息を立てる。そんな夕霧を愛おしそうに氷雨は撫でた。  同時期に、ようやくあの秋也と晴子が夫婦(めおと)となった。その年の初夏数年振りに再会した彼等は前よりも明るい表情であった。そして夕霧を夕霧を紅原夫妻に顔見せすることになった。 「ではこの子が二人の……」  秋也が夕霧の方に視線をやると、翡翠の後ろに隠れて様子見していた夕霧は背中に隠れる。 「夕霧くん、怖くないよ。此方にお顔を見せてくれないかな」  その時、秋也は今までに聞いたことの無いような声で呼び掛ける。それに俺と氷雨と翡翠は目を見開いた。 「ゆーう?」 「そうだよ。夕霧を呼んでいるんだよ。あの人は怖くないから大丈夫。ほら行ってごらん」  腕を広げる秋也と、父である氷雨の声に誘導され恐る恐る秋也の方へと近寄ると、秋也がそっと抱き上げた。絶対に泣くだろう。大丈夫なのか。秋也の目つきは怖いし、生業が血で濡れる仕事。此方がはらはらしていると、夕霧がにこっと笑った。 「これはこれは。鬼祓いの頭領を恐れぬとは、夕霧くんは胆の据わった童だ」  秋也も優しげな表情で微笑む様に、俺達はあんぐりと口を開けるしかない。横に座っている晴子と影縄はただニコニコと笑っていた。 「秋也は……意外と子供が好きなのですね」  氷雨の言葉に秋也は頷いた。 「養父の家に預けられていた頃、里の子供達の子守をしていたからな」  そう言いながら秋也は夕霧を観察するように見つめ始める。それが終わると、夕霧を下ろした。とたとたと氷雨の元に戻る様子を微笑んで見た後、秋也は真面目な顔つきになった。 「零、夕霧君に何か異変は無かったか?」 「そうですね……。熱を出した時、人とは少し霊力の感じが違う気がします」 「そうか……」  秋也は眉間にしわを寄せ、考え始める。そして顔を上げた。 「零、安倍晴明が狐と人の子であるという逸話は知っているだろう?」 「はい、知っておりますが」  人と狐の異類婚譚。その中でもそいつの話は狐の間でも有名な話だ。 「あの人は陰陽道に長けておられたから良かったものの、それでも狐の血で人の道から外れそうになったことがあったそうだ。事実、半人半妖は人と妖の魂の均衡が崩れると鬼に堕ちる。過去に私はそのような者を手に掛けたことがある」  氷雨の顔が暗くなる。 「とと?」  それを感じ取った夕霧は不安げに見上げた。 「夕霧、僕は大丈夫だよ」  氷雨は微笑むと夕霧を膝の上に乗せた。 「秋也、夕霧を鬼に堕とさない方法はあるのでしょうか」 「陰陽道などを修めて、自らの力を使いこなすことぐらいだな。正直、頭領である私としては夕霧くんは垂涎ものの逸材だが……そこは我慢して、自らを守る術のみを教えていこう。でもまだ先の話だ。もし何かあれば、私が駆けつけよう」  秋也の言葉に安堵したのか、氷雨はほっと息をついた。夕霧も氷雨の安堵する様子に安心したのか、再び動くと俺の元へと駆け寄ってきた。そういや、晴子と影縄は夕霧に触れてないな。俺は夕霧を抱き上げると、晴子に近づいた。 「晴子、あんたも夕霧を抱いてみないか。あと影縄も」 「いえ……私は子が苦手なもので。晴子様はどうですか?」  影縄は苦虫を噛み潰したような顔をして即座に断る。その一方、晴子の方は目を輝かせた。 「よろしいんですか!? わあ、嬉しいです」  夕霧は少し躊躇っていたが、晴子の膝に座ると大人しくなった。 「目と髪が綺麗です。将来は光の君にも負けない程の色男になるのでしょうね」  晴子は壊れ物を扱うように繊細な手つきで夕霧の頭を撫でた。 『晴子様、以前私に作ってくださった外見を隠す呪具を作ってくださいませんか?この子の将来の為に必要だと思うのです』  それは以前、氷雨が懸念していたことであった。まさか翡翠までもが考えていたとは。晴子は頷いた。 「勿論です、秋也殿を救ってくださった恩がありますから。この子の美しさを損ねてしまうのは勿体ないですが、そうは言ってられないのが現状ですよね………」  切なそうに夕霧の髪を撫でる。そんな大人達の悩みも知らず、夕霧は俺の方に腕を伸ばすので、俺は晴子から夕霧を戻してもらう。すると夕霧は屈託のない笑みを俺に向けるのであった。  夕霧は身体が弱いのか、何度か熱を出すことがあったものの、無事に成長していき、5歳となった。 「ちちうえ、ぎんせつおかえりなさい!」 『零月様、銀雪様おかえりなさい』  江戸への用事があって2ヶ月程振りに家に帰ると、翡翠と共に夕霧が笑顔で出迎えてくれた。 「翡翠様、夕霧ただいま」 「夕霧、見ない内に大分大きくなったんじゃないか?」  俺が夕霧を抱き上げると、夕霧はきゃっきゃと笑う。 「夕霧、銀雪がいなくて寂しかったですか?」  氷雨がそう言うと夕霧はうんと頷いた。 「ちちうえがいなかったのもさびしかったけど、ぎんせつがいないとさびしいです。ねむるときふかふかがないもん」  夕霧が寝る際は俺は、本性に戻ってこの子の枕代わりになっている。 『銀雪様がいないと、中々夕霧が眠れないんですよ』 翡翠が言うほどなのか。俺は夕霧に必要とされていることに顔がにやつきそうになる。 「そうかそうか。よし、今夜は思う存分ふかふかを触らせてやるからな」  家に上がると、久々に皆で食事を摂った。  「ちちうえ、おえどはどんなところですか?」  そうだねと氷雨は顎に手を当てた。 「人がいっぱいで賑やかなところだよ。そしてお殿様のお子さまである若様と、お殿様の奥方が住んでおられる」  すると夕霧は興味津々といった顔をする。 「わかさまはどんなひとなんですか」  氷雨はやわらかく笑った。 「鳶丸様といってだな、夕霧と年が近い御方だ。優しくて真面目な方だから、きっと夕霧と仲良くなれるだろう」  その言葉に夕霧は目を輝かせた。夕霧はまだ外には出られず、仲の良い友達がいない。紅原の子供達もまだ物心がついていない。一度も会ったことがないのだ。そんな夕霧にとって「仲良く」なれるであろう対象は憧れの物に違いない。 「おおきくなったら、わかさまにおあいしたいです」 「ああ、大きくなったら君を江戸に連れていこう。それまで勉学に励むんだよ」  はいと大きく返事をする。  夕霧はどんな大人になるのだろうか。ふとそんな考えを持った。 「私達がいない間、夕霧はどうでしたか?」 夕霧が寝静まってから、氷雨は翡翠に問う。 『一度酷い熱を出した時、霊力が暴走しそうになりました。すぐに秋也殿が来てくださいましたが、もうそろそろ術を学んではどうかと勧められました。零月様と銀雪様はどう思われますか』 「妖怪の立場から言わせてもらうが、上質な霊力を持つ氷雨と、神に近いお前の血を引く夕霧は、御馳走そのものだ。いつ取って食われるか分からんし、教えてもいいだろう。氷雨はどう思うか」  そうですねと氷雨は考え込む。 「私は構いません。身を守る術を身につけるのは必要だと思います。ただそれを良く思わない親戚が多いかもしれません」 『どういうことですか?』  氷雨は渋い顔をする。 「代々蒼宮と紅原は古くからの因縁があります。私はともかく父が紅原を毛嫌いしておりました。今までにも何度も親戚に叱責されてましたし」  それに覚えがあって俺は苦虫を噛んだ。わざわざ家に来ては、紅原と付き合うのはやめろだの。あんな人でなしどもと、一緒にされるぞと唾を飛ばして説教してくる親戚がいる。それを黙って聞く氷雨の顔は辛そうでしかなかった。 「ああ……あいつらか。和解したと公言すれば良いんじゃないか」 「和解する証として婚姻を結ぶのが最適でしょうが……夕霧やあちらの娘さんの気持ちを無視することになりそうで……」  暗い顔で氷雨は夕霧を見下ろす。夕霧は寝息を立てて俺の毛に顔を寄せていた。 「婚姻など先の話だ。まずは術を教えさせる方が先決だろ」  それでも氷雨はまだ悩んでいる様子であった。  「まず駆け落ちした私が、子供の許嫁を選ぶなどおかしくはないか」  秋也の第一声はそんなものであった。 「ですが、秋也や晴子殿は私達とこうやって話していて何か言われませんか」   秋也は心当たりがあるのか、顔をしかめる。 「まあ……評定衆(上層部)と長老どもが煩いな。蒼宮を毛嫌いしているようだ。あと数年前の話になるが…蒼宮の本家の当主から分家に関わるなと直接文句を言われた」 「薄氷(うすらい)からですか?」  ああと秋也は頷いた。 「『お前如きが零月殿の傍に近寄るな!』とな。今でも十二天将と契約した者の新年の集まりで、因縁を付けられる」 「私の弟が申し訳ありません」  申し訳なさそうに謝る氷雨に秋也は手を振った。 「いや、別に気にしてはいないさ。寧ろ先程も言った私の身内が煩い。………零の言う通り、和解したと公言するのが良いだろうな。だが許嫁は早すぎる。せめて1度会わせてから判断する方が良いだろう」  本心としては自分の都合で娘を許嫁になど反対したいのだろう。秋也は腕を組んで顔をしかめる。 「そうですね。まずは引き合わせることが先でしょうが……秋也、その顔からすると難しいようですね」  秋也は眉間に皺を寄せた。 「難しいというよりも、今は無理だ。まだ物心がついたばかりな上、七つになるまでは里から出せない。許嫁の話は楓が七つになってからにして、夕霧くんに術を教えるのは今からでも構わないだろうか」  前から思ってたがこいつは……。 「秋也。此方としてはありがたいが、何でそこまで夕霧を気にかけてくれるのだ。いくらなんでもお前は損が多いのではないか」  すると秋也はふっと苦笑した。 「私が妻と夫婦になれた上、愛しい我が子を授かったのは蒼宮に救われたからだ。夕霧くんを助けたいのは恩返しの一環。気にしなくていい」 「秋也……ありがとう」  氷雨が頭を下げようとすると、秋也が慌てて止めさせようとする。それを見ていると彼らの幼少期を思い出した。 「お前らって本当に変わらず仲良いよな」 「互いに気の置けない友人など他にいないですからね」  氷雨が照れくさそうに笑った。  それからというもの、夕霧は秋也から術の教えを乞うことになった。氷雨の血を引いていることもあり、乾いた土が水を吸うように術を覚えていく様は、皆が舌を巻く程であった。 「ぎんせつ、みて!」  両親だけでなく俺にも秋也から教えてもらったことを見せびらかす様が微笑ましくて、毎度頭を撫でて褒める。すると夕霧は眩しい笑顔を見せるのであった

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