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見合い

青い瞳の夕霧と赤い瞳の童女。正反対の瞳は一切両家の過去のしがらみに捕らわれてなどいなかった。 紅原と蒼宮には因縁があり、氷雨と秋也が(おおやけ)に手を組むには様々な困難がある。親戚達の冷ややかな目だけでなく、陰陽寮の土御門を始めとした陰陽家の者。特に氷雨の弟はそれを良く思わぬ可能性は高い。なので氷雨と秋也は日取りやこれからのことなどを入念に話し合い、清明節の前にこの屋敷で顔合わせを行うことになった。  顔合わせの前日、準備を終えて氷雨と酒を飲んでいた秋也は苦虫を噛んだ顔をしていた。 「問題は……夕霧くんと楓が仲良くなれるかどうかなのだが……」 「秋也、どうしたのです?」  氷雨が怪訝そうに首を傾げた。そういえば秋也の二人の子供の顔を見たことが無い。男と女一人ずつ。表向きは長女の楓と長男の時雨は一歳違いの姉弟だが実際は双子なのだとこっそり聞かされたことがある。 「楓は……いささかじゃじゃ馬でな。弟の時雨は人形遊びやままごとが好きで、まるでとりかえばやのような……」 「あれま」  俺が思わず声を出すと、秋也の供で来た影縄が少しむっとした顔をした。 「会ってみないと分からないと思いますよ。それに楓さんは秋也と晴子殿の娘さんですので、きっと夕霧とも仲良くなれると思いますよ」 「そうであれば良いのだがな……」  秋也は渋い顔で酒を飲む。そんな秋也の様子に氷雨はくすっと笑った。 「秋也は自分のことには無頓着なのに、こういったことには心配性になるようですね」 「当たり前だ。私が蔑まれたり冷ややかな目で見られたりするのは構わない。だが、未来を紡ぐ我が子達や夕霧君には重荷をなるべく負わせたくない。……こうやって見合いの相談をしていることが、既に重荷を負わせているのかもしれぬがな」  秋也が憂い気に目を伏せる。晴子と一緒になってから緩和したものの、こいつは暗い表情を見せることがある。氷雨は目を細めると、秋也の額を指で弾いた。 「あいたっ………!?」  秋也が額に手を当てると、氷雨は微笑んだ。 「秋也、また眉間に皺が寄っていますよ。そんなに重く考えないでください。明日にならないと分からないでしょう?」 「そうだな……。ありがとう、零」  そしてしばらく氷雨と秋也は他愛もない話をする。そんな主達を横目に俺は影縄と酒を飲んでいた。 「影縄、お前子供嫌いだっただろ。克服したのか?」 すると、影縄は嬉しそうに目を細めた。 「ええ、時雨様と楓様のお世話をする内に、子供が可愛く思えてきましたよ。時雨様も楓様も私を慕ってくれて……」  今まで影縄から聞いてこなかった子育ての話を聞く。俺にとって夕霧が一番愛おしいが、影縄にとっても秋也と晴子の子供が愛おしいのだろう。その顔が慈愛に満ちていて、子供嫌いをここまで変えた双子に興味を持った。  次の日、紅原の夫婦が蒼宮の屋敷を訪れた。勿論、二人の子供を連れて。二人とも晴子によく似た美しい顔をしていたが、何となく男の子の方は秋也に似ている気がした。 「本来ならば何処か場所を借りるべきであったのに、わざわざご足労感謝します」 「零、構わないよ。此方も我が子達の事情から蒼宮の屋敷が都合が良かったからな。楓、あの子に挨拶なさい。そして時雨も、私の後ろに隠れるのではなく一緒に挨拶するんだ」  晴子の隣にいる童女はいかにもお転婆そうなのに対し、秋也の後ろに引っ付いている童は臆病な雰囲気を受ける。 「楓殿、時雨殿、こんにちは。僕は夕霧と申します。今日はよろしくお願いしますね」  夕霧が二人に挨拶すると、二人は夕霧に視線を合わせた。 「ゆうぎりさん、こんにちは! ほら、しぐれもあいさつしなさいよ」 「こ…こんにちは」  楓につられて慌てて挨拶する。秋也は挨拶をしてすぐに隠れた時雨を見て、少し困ったように笑うと時雨の頭を撫でた。 「すまない。時雨は人見知りが少し激しくてな。慣れればもう少し話せると思うのだが」 「別に構いませんよ。夕霧、紅原殿の子供達と庭で遊んで来なさい。私達は話がありますからね」  氷雨の言葉に夕霧は笑って頷いた。 「はい、父上。楓殿、時雨殿一緒に遊びましょう」 「はい。しぐれ、はやくいこ!」 「まってよあねうえ……」  三人は庭へと駆けていく。秋也は子供達の足音が遠くなると、すっと折った紙を宙に投げた。  紙は地に着く前に黒い烏の姿になると、秋也の腕に止まる。 「黒、子供達の様子を見てきてくれ」  烏は一声鳴くと屋敷の外へと飛んでいった。 「にしても、見合いの方法が子供達だけにして遊ばせるとは単純な方法だなあ」  俺が口を開くと、秋也は苦笑した。 「親が下手に介入するよりは子供達だけにした方がマシだろうと思ってな」 「まあ確かにな。……それにしても、時雨という子供。顔つきは晴子に似てるのに、性格は二人に似ていないんだな」  すると、晴子が首を横に振った。 「いいえ、あの子はどちらかというと秋さんによく似ているんですよ。頑な所とか、星を見るのが大好きな所とか。休みの日は秋さんにくっついて星のことを教わっているんですから」   晴子が秋也を見て微笑むと、秋也は苦笑した。 「そうなのだろうか。いや、それよりもあの子達の様子を見なければな。晴子、あれを出してくれ」 「はい、秋さん」  晴子は風呂敷から大きな鏡を取り出すと立て掛ける。晴子が小声で何かを唱えると、鏡が光を放つ。光が収まった時、子供達の姿が映った。 「鬼祓いの術とか奇妙な物だな。これで子供達の様子を見て、許嫁とするか判断するわけか」 「さすが妖狐。その通りだ。紅原家と蒼宮は因縁が残る家系。許嫁にするには念には念を入れて仲を見てからと思ってな」 「そうですね……ただ親が決めるのではなく仲睦まじき者同士が一番なのですから」  氷雨の瞳が僅かに陰りを帯びた。  四半刻は子供達の様子を鏡越しで眺めていただろうか。それくらいの時間に俺は先程から気になっていた問いを口にした。 「ところで……何故二人は赤い目をしているのだ」  秋也と晴子は一瞬互いに目を合わせると、秋也が口を開いた。 「あの子達は神の愛し子だからだ。血自体は私達夫婦の物を引いているが、あの子達は我が家の守り神の加護が厚いのでそれが瞳の色に影響している」  何やら言葉を慎重に選んだような言い方。他にも色々あるのだろうが、現時点では言えないということだろう。 「夕霧や私とてこの国の人からすれば変わった容姿。気にはしませんよ」  氷雨は微笑みながら、じっと鏡を覗き込んでいた。鏡の向こうでは、子供達が仲良さそうに遊んでいる。最初はおびえていたようなあの弟も、気がつけば、姉や夕霧と笑い合っていた。 「この様子からするに……心配はなさそうですね。ああ、良かった」  氷雨は心から安堵したように息を吐く。俺はいつも通りの夕霧なら心配ないと思っていたが、夕霧のことに関しては心配性な氷雨は不安だったようだ。 「何だろうな。夕霧と時雨の姿を見ていると、幼かった頃のお前たちを思い出すな」  氷雨は俺の言葉に目を細めて頷いた。 「ええ、そうですね。銀雪、貴方がいなければ秋也と今のように仲良くなれることなど、無かったでしょうし、このような日を迎えられなかったと思います」  氷雨を引き寄せると、二人で夕霧が屈託無い笑顔を浮かべる様を見つめていた。  後日正式に夕霧と楓の婚約が決まり、誓紙にそれぞれの当主である氷雨と秋也が署名した。 「それにしても、秋也。貴方の娘さんが我が子を気に入って頂けるとは驚きです」 「それは私もだよ。楓があのように家に帰ってから恋患いのような素振りを見せ、夕霧くんがあのじゃじゃ馬姫を気に入るとはな。些か心配していたが杞憂で済んで良かった」    血判までした誓書に何やらの呪をかけると、どちらが保管しておくかの話になった。 「書物の管理は零が上手いと思うがどうだ?」 「いえ、それは大切な物ですし、呪物のようなもの。秋也の方ならば厳重に管理出来ると思うのですが如何でしょうか」  秋也は悩んでいたようであったが、ゆっくりと頷く。 「それでは、月に一度夕霧くんと楓を会わせることとしよう。来年ならば、此方の神の加護が弛んでもっと気軽に会わせられるだろう」  この日夕霧と楓は許嫁となり、月に一度秋也がこの屋敷に連れてきて会うようになった。会うたびに夕霧と楓は親しくなり、友のように話をする。俺も楓と夕霧の遊び相手にさせられたが、子供たちの遊びに付き合う時間は案外楽しいもので、時間があっという間に過ぎていく。夕方になり秋也が楓を迎えに来るのだが、元気に手を振る楓を見送った後に夕霧が泣きそうになるので、俺と氷雨が夕霧を抱きしめるなり頭を撫でたりして慰めるのが当たり前になっていた。残念ながら、時雨は七つを過ぎる来年にならないと会えないそうであの日以降会うことは無かった。  楓と夕霧の仲の良さを紅原夫婦と氷雨と俺は嬉しく思っていたが、それを喜ばない者がいた。それは夕霧の実の弟にして陰陽寮所属の陰陽師、蒼宮薄氷(あおみやうすらい)である。  薄氷は蒼宮の本家の当主であるので婚約の話を氷雨が報告したところ、薄氷から毎日のように文が届くようになった。 「分家……と言っても、俺が生まれるよりも前の時代だろ。家柄など遠いだろ」 「そうは言っても、父は本家との関係を重んじていましたし、報告程度はしておいた方が良いでしょう。ただ本家の言いなりにはなりません。それに、本家ならまだしも、分家までもが因縁を引き摺っていれば、いつまでも和解など出来ないでしょう」  そう言う氷雨は苦しそうな顔をした。秋也は以前、晴子を庇って薄氷に殺されかけたことがある。氷雨は己の発言が理想論だとは自覚しているだろう。長年の因縁はすぐに解消されることなどない。それでも和解を願うのは、氷雨にとって薄氷と秋也が大切な人だからだ。秋也自身は、氷雨に会うまでは蒼宮が嫌いだったそうだが、今は秋也だけでなく秋也の部下達も氷雨に暖かく接し、氷雨が重傷を負った際は夕霧を優しく迎えてくれたという。氷雨は薄氷も分かってくれる筈という一抹の希望に託して、紅原への先入観を解消するようにと文を送る。婚姻を結ぶ以前の蒼宮の兄弟の文は、何気ない温かな日常を伝え合うものだったのに、薄氷からの文は氷雨への罵詈雑言の言葉しか書かれなくなっていった。  そして神無月の前にこんな文が送られた。氷雨が苦しげな顔をしていたので、覗き込むと信じられない文章が書かれていた。  あまつさえ化物と子を成し、野蛮な者どもの手を取る愚か者。これ以上恥を晒すくらいなら腹を切れ  それが目に入った瞬間、俺はそれを破り捨てた。 「よりにもよって、己の兄にこんな言葉を書かなくてもいいではないか」 「怒る気持ちも分からなくはないですけどね……今のは少し堪えました」  無理矢理安心させる為の笑みを繕おうとした氷雨の頬をつねる。 「銀雪……いひゃい……」 「こんな時まで無理に笑おうとするな馬鹿」  頬から手を離すと、氷雨は辛そうに下を向く。そんな氷雨を抱き締めた。 「心配するな。俺と夕霧がついている。それにお前の味方は藩でも多いだろう。お高くとまった貴族などでいちいち気にする必要はどないさ」 「そんなこと言って…銀雪が一番あの文を気にしていたではありませんか」 「うぐっ……」  俺が呻き声を上げると、氷雨はくすりと笑った。 「でも嬉しかったですよ。あの文に怒ってくれて。私では弟に怒りを向ける資格などありませんから」  氷雨は俺の腕の中で目を瞑る。俺は氷雨の苦しみを少しでも取り除けるのならばと、抱き締める力を強めた。  氷雨の文を握り潰すと、男は舌打ちをした。 「兄の心は変わってしまった。あの紅原のせいだ。あの男をあの時殺しておけば……」 「薄氷殿。私に考えがあります」  薄氷に耳打ちしたのは千鶴という男。千鶴のある言葉に、薄氷はにやりと唇を歪めた。  その日から俺は氷雨に文庫の本を半分ほど別邸に運ぶように言われ、運び出した。運びながら、まるで氷雨が己の死後を前提とした考えをしていることに気づいていた。 「氷雨……まさか自分が死ぬと思っているのではあるまいな」  すると氷雨はただ困ったように笑った。 「ただの備えですよ。何もなければそれで済む話なのですから」  確かにそれはそうだが……氷雨が震える指で一枚の文を運ぶ書物の中に挟んでいたことを知っている。あれは遺書なのではないか。それを聞く勇気など無かった。それを口にしてしまえば、氷雨が繕っている何かが壊れてしまう。それを壊すわけにはいかぬと、喉に言葉がつかえたのであった。 「………ならば何故、秋也に相談しない。あいつらは護衛も得意なのだろう?」 「秋也、神無月まで忙しいそうでこの国にはいませんよ。鬼祓い全員忙しいようで、一応文を出してみましたが何人借りれるかは分かりません。それに、龍神様は神無月に出雲に行かれる………私達は出来ることをしましょう。私はあの子の親として……貴方を愛する者として命を捨てても構わない」  氷雨は京にいるであろう薄氷の方を冷たい目で睨みつける。  夕霧が帰ってきた時、氷雨はいつも通りの顔で過ごした。だが、夕霧は不安がいっそう強くなったのか、氷雨にすがりついて泣きじゃくって眠る。 「父上……どうして涙が出るのか分からないのです。ごめんなさい」 「大丈夫ですよ。父がついています。だから安心して眠りなさい」   氷雨は子守唄を唄って夕霧を抱きしめる。やがて夕霧が眠りにつくと、縁側で酒を飲み始めた。  今宵の夜はよく晴れて、美しい月が空に輝いていた。まるで翡翠が現れたあの夜のようだ。俺は氷雨の横で共に酒を飲みながらそんなことを思った。長い沈黙が続く中、氷雨が口を開いた。 「銀雪……最低なことを言っていいですか」 「何だ、氷雨」  氷雨は何度か呼吸を繰り返すと涙を溢した。氷雨の蒼い髪が月の光を浴びる様は夜の湖畔を思わせた。 「私は死にたくない」  その一言を呟くと、氷雨は堰を切ったように涙を流した。 「私は……もっと一緒に銀雪や夕霧と共にいたいっ……」  氷雨は嗚咽を溢し顔を覆う。そんな氷雨を引き寄せて背を擦る。 「自分が死ぬ覚悟はしています……ですが……愛しい貴方達から離れるのが怖くて……辛くて」 「当たり前だ。死ぬのが怖くない者などいない」  氷雨の濡れた顔を袖で拭うと、その唇に己のそれを軽く重ねた。 「氷雨、俺も戦う。そして何があっても俺もお前たちを守ろう」  氷雨は泣きながら俺の身体にすがりつく。俺は氷雨の肢体を抱き上げると、氷雨の部屋へと運んだ。 「氷雨………いいか?」 「はい」  それ以上の言葉を交わさなくても互いの心は通じあっている。俺は氷雨の上に馬乗りになると、着流しに手を掛けた。氷雨の濡れた碧石の瞳は他の物に代えがたき美しさであった。

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