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第8話 土曜日の午後

 神谷は手帳のページを一枚破って、そこに簡単な地図をさらさらと書いた。  建物の位置と部屋番号が書かれた、わかりやすい地図。   「オートロックだから、マンションの下から電話しろ」 「へえ、先輩いい所に住んでるんですねえ」 「マンションだが、防音はちゃんとしてる。お前が少々わめいても大丈夫だ」    お茶を飲んでいた高田は思わずむせそうになって、ゲホゲホ、と咳をする。  そんなこと昼間からそば屋でする話じゃないだろう、と思うが、神谷は平然としている。   「わめきませんよ……」 「どうだか」    顔を赤らめて小声で反論する高田に、神谷が意地悪な微笑みを浮かべる。  この状況がバカップルのように思えるのは俺だけだろうか、と高田は首をかしげる。  交換条件の取引にしては、神谷も楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。   「お前なあ、仕事中に俺の顔あんまりジロジロ見るな。怪しいだろ」    社に戻る道で神谷にたしなめられる。   「いやだって、昨日の今日ですから……気になるっしょ、やっぱり」 「何妄想してたんだ、仕事中に」 「そ、そりゃあ……いろいろと」    言葉をつまらせて赤い顔をしている高田を見て、神谷はため息をつく。   「お前、ひょっとして俺のこと好きなのか」 「な、何言ってんですか! そんなわけ……」 「そんな風に見えるぞ、って忠告してやってるんだ。仕事とプライベートはきっちりわけろ」 「だ、だって、あれは仕事の延長っていうか、俺の仕事のミスの代償なわけで……」 「お前、アレ、仕事の延長だと思ってんの?」    ハタ、と神谷が足を止めて、眉間にシワを寄せる。   「違うんですか?」 「仕事の延長だったら、俺が手加減なんてしてやるかっての」    ふい、と不機嫌そうに顔をそむけてスタスタと先に行ってしまう神谷を追いかけながら、あれ、と高田は違和感を覚える。    今の先輩……  なんか、可愛くないか……?   「せ、先輩っ! 待って下さいよ、もうジロジロ見たりしませんからっ」 「お前は思ってることが、顔に出すぎなんだよ!」    頭をはたかれながらも、チラリと見上げた神谷の顔は心なしか照れたように少し赤みを帯びていたのだった。  土曜の午後、神谷に電話を入れてみるとすでに帰宅していた。  高田の自宅から神谷のマンションまでは一時間もかからない距離だ。  今から行っていいかと聞くと、いつでも良いというので、すぐに向かうことにした。    出かける直前に風呂に入って、柑橘系のコロンをつける。  まるでデートに出かけるみたいだが、汗くさいよりは気を使った方がよいだろうと高田は思ったのだ。  近所のケーキ屋で一応手みやげを買う。    向かう道中、高田は今度こそ神谷の機嫌を損ねないように頭の中で復習をしていた。    1.嫌がってはいけない  2.痛がってはいけない  3.自分のモノを触ってはいけない    神谷に不愉快な顔をさせないためには、この3点だけは押さえておかなければいけない、と自分に言い聞かせる。  まるでセックス教室に向かうような、奇妙な気分だ。  相手が仕事の先輩なので、どうしても教えてもらいに行くような気分である。    高田の足取りは軽い。  けして憂鬱ではない。  やることはわかっている。  イくまでヤられるだけだ。    こんなに刺激的な出来事は、高田の今までの人生に1度もなかった。  先輩は不思議な人だ。  この取引は先輩に何のメリットもないように思える。    マンションの下について電話をかけると、オートロックが解除される音がして、なぜか心臓がドキドキする。  神谷はジーンズの上に洗いざらしのストライプのシャツを着て玄関に顔を出した。  神谷の私服姿を見るのは初めてだが、なかなか爽やかで普段より何歳か若く見える。  会社で見る時とは違って髪が洗ったままのサラサラヘアで、寝ていたのか少しはねているのが可愛いように思う。   「何時でもいいとは言ったけど、真っ昼間っからやるつもり?」    神谷はリビングのソファーにどすん、と腰を降ろすと眠たそうにあくびをした。   「でも、晩だとまた時間が足りないといけないと思って」 「お前、何時間やるつもりなの」    神谷が目を見開いて呆れた顔をする。   「いやっ、それは先輩次第っていうか……その、別に俺、そんなつもりじゃ」    高田がケーキの箱を差し出すと、神谷は受け取って、コーヒーを入れに台所に立つ。   「まあ、いいけどな。明日休みなんだし、やりたいだけやれば」    コポコポとサイフォンでコーヒーをいれながら、神谷がタバコに火をつける。   「あれっ、先輩って喫煙者でしたっけ」 「休みの日だけな。うまいコーヒーとタバコは合うんだよ」    くわえタバコで、両手にカップを持ってリビングに戻ってきた神谷から、コーヒーを受け取る。   「高田、ミルクと砂糖いるの?」 「いえ、うまいコーヒーならブラックで」 「そうだよな」    神谷は少し嬉しそうな顔で、ニヤっと笑う。  先輩にコーヒーをいれさせてしまうなど、会社ではあり得ない。  これがプライベートというものだ。   「先輩、こんな広いマンションに1人で住んでるんですねえ」 「元々家族で住んでたんだよ」    親が別の場所に家を建てたので、このマンションはもらったんだ、と神谷は説明した。   「いいじゃないですか、こんな広いマンションなら結婚しても住めるし」 「お前……結婚願望あんの?」    神谷が2本目のタバコに火をつける。  その仕草がめずらしくて、高田は見とれてしまう。  タバコをくわえる唇がどうしても気になって仕方がない。  あの唇が、もう少ししたら自分のいろんなところに触れるのだ、と怪しい気持ちになる。   「彼女も長いこといないのに、結婚願望だけあっても仕方ないですよ」 「そういや総務の長友っていう女の子がお前のこと紹介しろって言ってたことがあったなあ」 「長友さんって、どんな顔だったかなあ」 「おとなしそうな、可愛い子だったぞ。紹介してやろうか?」    今からセックスをする相手に、女を紹介してもらう、というのも妙な話だ。  フタマタをすすめられているような気分になる。  

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