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第14話 駆け引き

 その日の夕方、高田が仕事を終えて帰ろうとしていたら、同僚の男性社員に声を掛けられた。  数人で飲みに行こう、という誘いだったのだが、高田はあまり人数の多い飲み会が好きではない。  普段なら断るのだが、その日はなぜか行こうと思った。  こういう時は気分を変えて、いつもと違うことをして気ばらしをしよう、というちょっとした気まぐれだったのだ。    男だけだと思っていた飲み会は、総務の女性もまざっていて、ちょっとした合コンのような雰囲気だ。   「長友さんが、高田も呼べってうるさいからさあ」    ああ、この人が長友さんか、と高田は苦笑いをしてしまう。  神谷が紹介してくれる、と言ったおとなしくて可愛い女性。  ちょっと前までなら、喜んで隣に座って楽しい時間を過ごせたんだろうけど、と複雑な気分になる。   「ところでさあ、あの件、大変なことになってるみたいだな。インドネシアの」 「今日神谷先輩が部長に呼ばれてた件ですか?」 「そうそう、あれ、ネシアの新規工場の立ち上げに入れる機械が抜けてたらしく、大クレームになってるらしい」 「それって、もしかして連続式フライヤー?」 「そう。それがないと稼働できないってんで、中古を流用するって、神谷さんすっ飛んでっただろ」    そういうことだったのか……  だけど、先輩のミスじゃないって言ってた。  俺もそう思う。  先輩はそんなつまらないミスをする人じゃない。    高田は飲み会の会話などうわの空で、自分が来週出荷する分をなんとかしてインドネシアに振り替えできないか思案する。  しかしもう船積みは決まっていて、客先にも連絡済みだ。  今更納期を遅らせるなんてことをすれば、なんて言い訳すればよいかわからないし、下手なことを言えばダブルでクレームになる。    だけど、台湾の出荷先は確か現行の機械が古くなったための入れ替えだ。  ネシアの新規工場のように切羽詰まって今すぐどうしても必要、というわけではない。  1ヶ月ぐらいなら遅らせるように頼んでみても大丈夫なんじゃないだろうか……  高田はトイレに立つふりをして、神谷の携帯にメールを入れてみる。   「西岡のフライヤー、納期遅らせることは可能かもしれません」    まだ仕事中かもしれない、と思ってメールにしたのだが、すぐに神谷から返信があった。  頼む、と一言だけ書かれたメール。  1度船積みが決まった荷物を降ろすのは結構大変なことだというのを、神谷はわかっているはずだ。  それを頼む、と言ってくるということは本当に切羽つまっているのだろう。   「明日の朝、もう1度連絡します」    高田は翌朝一番に客先と交渉して、神谷がネシアに飛ぶ前に連絡しよう、と決めた。  こういう面倒な交渉は苦手なのだが、神谷だって数千万の機械をねじ込んでくれたのだ。  それに比べたらこれぐらいの交渉、やってみせる、と自分を奮い立たせた。  席に戻ってみると、高田がトイレに行っている間に席順がさっきとは入れ替わっていて、長友という女の子の隣が空いている。   「遅かったけど、彼女に電話でもしてたんですか?」    なぜ彼女?と高田は不思議に思ったが、カマをかけているのかと、適当にあいづちを打つ。   「あーあ。私、高田さんに憧れてたのに、やっぱり彼女いたんですね。残念」 「ちょっと待って。なんで彼女がいるって決めつけるの」    一応他の人の手前否定しておこう、と高田が反論すると、長友はクスっと笑って自分の首筋を指さした。   「見えてますよ、ここんとこ。派手なキスマーク」    えっ?と高田は仰天して、あわてて襟を直す。  どうやら自分からは見えない位置についているようだ。   「ほら、やっぱり思い当たることがあるんでしょ? ラブラブなんですねっ」    そりゃあ……思い当たることはある。  先輩がさんざん首筋にキスしてたから。        その晩家に帰ってから、高田は鏡で指摘された場所にキスマークがついているのを確認した。  確かにひとつだけ派手についている。    それをじっと見ているうちに、ひょっとして神谷はまだ終わりにするつもりなんてなかったんじゃないか、と思えてくる。  高田自身も、あの日で終わりだなんて思ってなかった。  何回続くかはわからないけど、少なくとも数回は抱かれるものだとなんとなく思っていたのだ。  だけど、あの時たまたまイってしまったから、約束を守っただけなんじゃないかと思う。    だって、キスマークをつけるなんて、次の予約みたいなもんじゃないか。  そう思うと、どうしてももう一度確かめたくなってくる。  先輩の本心。    翌朝、高田は客先に平身低頭お願いをして、納期を1ヶ月遅らせてもらうことができた。  高田の読みの通り、先方はそれほど荷を急いでいたわけではなく、少し嫌みは言われたが案外あっさりと了承してくれた。  あとは事務的な処理だけである。  いったん決まった船積みを替えると、書類も全部作り直しで、大変な作業だ。    だけど、神谷は今日インドネシアに飛んだらもっと大変な仕事が待っている。  その上自分が頼んでしまった仕事の分の接待もあるのだろう。  高田は神谷が返事を待っているだろうと、念のため携帯とPCアドレスの両方にメールを打つ。   「フライヤーの件。納期1ヶ月遅らせることができました。ネシアへ出荷するのであれば、メーカーへ再発注かけます」    そこまで打つと、高田は昨日から考えていたことをじっと思い起こし、それから1行つけ加えた。   「ネシア向けに積み替えるなら、俺からひとつ条件があります」    これは駆け引きだ。  俺が先輩と駆け引きして勝てるとは思えないけど、チャンスは逃さない主義だと言った先輩を見習わせてもらう。  高田は神谷が条件など飲めない、と言ったとしても機械はインドネシアへ出荷しようと思っていた。  仕事で公私混同するつもりはない。  単に、神谷がなんて返事をしてくるのか、試しただけだ。  神谷はまだ搭乗していなかったのか、すぐに携帯に返信があった。   「一番早い便でネシアへ出荷してくれ。条件は帰ったらなんでも聞いてやる」    なんでも聞いてやる、か。  人にものを頼む時でも上から目線なんだよな、と高田は苦笑する。  なんでも、というのなら遠慮はしないぞ、と高田は思案する。    俺にだって、ちょっとぐらい見返りあってもいいだろう。  先輩が俺を無理矢理手に入れたように、今度は俺が無理矢理先輩を手に入れてやる!    それきりネシアの状況はわからなかったが、神谷からは一度だけ、『週末には戻る』とメールが届いた。    

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