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第19話 【番外編】 後輩の無茶な要求
「先輩! 早く早く」
「元気だなあ……お前」
神谷はあくびを噛み殺している。
土曜日のまっ昼間から神谷と高田は、めずらしく街中へ出かけていた。
と言うのは、高田が誕生日なので一緒に映画を見に行きたいと言い出し、神谷もしぶしぶつき合っているのである。
「なあ、智之。休みの日まで先輩先輩って言うの、やめねぇか? 俺、仕事してるみたいな気分になるんだけど」
「だって、先輩は先輩じゃないですか」
きちんとつき合う、と宣言してから約3ヶ月立ったが、会社で一緒にいることの方が圧倒的に多いので、高田は相変わらず神谷のことを名前で呼べずにいる。
神谷のように人前とプライベートを使い分ける、ということが高田にはうまくできないのだ。
名前なんて呼んでしまえば、会社でもうっかり呼んでしまいそうである。
今日は神谷が誕生日プレゼントを買ってくれるというので、映画を見たあとは一緒に買い物する約束だ。
こういう恋人らしいデートというのが、なかなかできないので高田は超ゴキゲンである。
映画館で先に席の予約を済ませてしまうと、まだ上映までには少し時間があるのでカフェに入った。
ホットドッグのランチセットで軽く昼食をとっていると、突然1人の男が神谷に近寄ってきて肩を叩いた。
「よう、隆史じゃねぇか」
「弘樹か……なんだ、お前こっちにいるのか?」
「しばらくはな。ちょっと実家でいろいろあってよ」
隆史、弘樹、とファーストネームで呼び合っているその男を見て、高田は警戒心を抱いた。
日に焼けた肌に、190cmはありそうな身長の野性的な男。
のびっぱなしの髪型から、普通のサラリーマンではなさそうだ、と高田は推測する。
「元気にやってるみたいじゃねぇか」
男がちらり、と高田を見て含み笑いをする。
「おかげさまでな。お前はどうなんだ」
「あいかわらず、世界中どこにいるかわかんねぇ生活だ。最近は中東が多いな」
「お前の冒険好きもあいかわらず、か」
神谷が懐かしそうにため息をつく。
その笑顔が、自分が見たことのないようなはにかんだ笑顔に見えて、高田はますます気分が悪くなる。
せっかくのデートを邪魔されそうで、高田は思わず口をはさんだ。
「隆史さん、どなたですか? 昔の知り合い?」
急に高田が呼び方を変えたので、一瞬神谷は驚いたような顔をしたが、男を紹介する。
「諏訪弘樹。カメラマンだ。俺と同級生」
「高田です。隆史さんとは会社の同僚で」
どうも、と形ばかりの挨拶をする。
なるほど、カメラマンね、と高田は無遠慮に諏訪を観察した。
しかし高田が聞きたいのはそんなことじゃないのだ。
人を寄せ付けないタイプの神谷が、ファーストネームで呼び合うほど諏訪と親しいのはなぜか、という理由である。
高田が敵意むき出しの視線を諏訪に向けていることに神谷も気がついて苦笑する。
「智之、そろそろ映画館に行ったほうがいいんじゃないか」
「そうですね、そろそろ」
話を切り上げようと、神谷は伝票を手にする。
「今から映画か?」
「そうなんだ。悪いな、時間なくて」
「しかし、お前がねえ……」
諏訪が高田をちらちら見ながら、意味深な笑いを浮かべる。
こいつ、絶対俺たちの関係に気づいてる、と高田は不信感をつのらせる。
普通の男は、男同士でカフェにいたぐらいでそんな意味深な笑みを浮かべたりしないはずだ。
男とつき合い出すと、同類には敏感になってしまうものだ、と高田は思う。
こいつも同類か?
というより、考えたくないけど、もしかして先輩の元カレ……?
「ま、お前が幸せならそれでいいよ。またな」
「また、なんてねぇよ。中東でもどこでも行って死んじまえ」
「はは、相変わらずの毒舌」
じゃあな、と手をあげて諏訪は立ち去った。
死んじまえ、などと悪態をついていた神谷だが、そんなことを言えるほどの信頼関係がこの2人にはあるのだ、と高田は感じる。
「先輩、今の人、前の恋人ですか」
「恋人っつうか……ま、昔のことだ」
「関係あったんでしょ」
「俺にだって、過去のひとつやふたつあるさ」
高田が明らかに不機嫌そうになったので、神谷は困ったような表情になる。
諏訪に出くわしたのは偶然とはいえ、今日は高田の誕生日なので機嫌を損ねたくはない。
神谷ほどの容貌であれば、過去の恋人ぐらいたくさんいても不思議じゃない、というのは高田にもわかっている。
だけど、アイツは嫌だ。
だって、アイツと俺はどこも共通点がないじゃないか、と高田は思う。
あんなやつがもし先輩の好みなら、俺なんか太刀打ちできないじゃないか、と思ってしまう。
神谷の元恋人があんなに男らしいタイプだとは想像がつかなかったので、困惑する。
神谷と高田は体型的にはほとんど大差がない。
身長もあまり変わらないし、体重が若干高田のほうが軽いだろうが、神谷にしたってスリムな部類だ。
諏訪は明らかに大男でマッチョな野獣タイプで、美形の神谷と似合うように思えてしまう。
「先輩、さっきの男とヤってた時、どっちだったんですか」
高田は昼間の映画館だということも忘れて、思わず聞いてしまった。
「さあな」
ニヤっと笑って、神谷は返事をぼかす。
なんだか許せない、と高田は唇を噛む。
神谷がヤられたことがある、というのは知っていたが、ヤった相手を実際に見てしまうと猛烈な嫉妬心がわいてくる。
先輩はアイツに抱かれてたんだ……
「先輩、ああいうのが好みなんですか」
「好みじゃねぇから、別れたんだろうが」
高田がしつこいので、神谷はため息をつく。
「アイツは写真だけ撮ってりゃいいんだよ。落ち着いて日本にいるようなやつじゃねえんだ。もう会うこともないさ」
なだめるような神谷の口調に、高田は余計イライラする。
アイツは先輩を捨てたんだ。そうに違いない。
ヤるだけヤって、先輩に寂しい思いをさせたんだろう。
俺はそんなことしないぞ、毎日側にいるんだから、と高田は奮起する。
「もう、機嫌直せよ。今はお前とつき合ってんだから、それでいいだろ?」
「それはそうなんですけど……」
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