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第二話
アルファを産むのがオメガだけということもあり、オメガはアルファに嫁ぐことが一般的だ。出産に向いている身体 のオメガ女性は特に、アルファから望まれる。
一方稀有であるオメガ男性は着床率が低いうえに、出産するにも身体の負担が大きい。曲がりなりにでも男性体でもあることで性自認も曖昧になり、子を産む役割を断ることも少なくない。
しかしオメガ男性が発情期を携える生物であるのには変わらない。
結局のところ子を妊娠する側だと周囲には認識されているし、そういった関係を望まれる事も常だ。
強烈な発情期を超えるだけのパートナーを組むという、あまり表だって言えない関係に落ち着く者も多かった。
だから、継母には感謝している。
薬草の種類と対魔法を魔法で書き写しながら、ルシアは思いを馳せる。
自分がオメガであることを改めて自覚した。
発情期のせいで他人をも巻き込み、場合によっては後戻りもできなくなるのだと気を引き締められた。
オメガであることを嘆くより、受け入れどう生きればいいのか真剣に考えることができた。
オメガには魔力はあるが、魔道士の職に就く者は稀だ。
優秀な者でも、独身アルファから警戒され、周期的な発情期と基礎体力の違いから敬遠されることが殆どだった。
そういった背景もあり、一般的なオメガは幼少の頃から許婚を作り、結婚を最優先する。そうではないオメガも、発情期が来る前には恋人やそういった相手を見つける。
学校を卒業し、──できれば結婚もし、就職する。
最悪つがいさえできれば発情期も安定し症状が軽くなるので──、つまり、結婚ができなくともつがいを見つければ仕事にも集中できるし、一人でも生きていけるくらい稼げるはず。
そうすれば父にも迷惑をかけず心配もされまい。
継母だってルシアに何かを言うこともなくなるだろう。
魔法薬学の授業は得意ではない。
だが王立製薬研究所は多くのオメガが就職している数少ない職場であり、給与も悪くない。オメガが多いと言うこともあり独身オメガにも理解ある場として名高いので、この学校でも希望するオメガが多いという。
母の病を気付けなかった身として、人の助けになる職に就きたい。
本来なら白魔道士を目指すのだが、その道は更に狭き門となる。
必死に勉強しその道を究めても白魔道士として活躍できるのはつがいがいる者だ。
だからルシアは苦手な薬学を必死に勉強している。
膨大な薬草の種類はなんとか頭に叩き入れたが、治療薬を確立する魔法の種類はまだ飲み込めていない。このままでは研究所への就職は難しいだろう。
それに、つがいだって作らなければならないのに、実際は学校中から嫌われている性悪オメガで、誰にも相手にされていないのが現状ときている。
なぜだ。
自分がそこそこ、というよりかなり美しい顔立ちをしているのは間違いない。
身長こそオメガ女性ほど低くはないが、体格は華奢だし手足だって短くない。
父から貰う小遣いで二月に一度は美容室にも行っているし、私服は仕立屋である父が安く仕入れるので流行のものが主だ。
当然毎日風呂にも入っているし、寝癖などつけたこともない。
なのに。
十八を過ぎても未だに恋人ができない。
寝癖と言えばと、ふと、朝に会った地味なアルファを思い出す。
レオンはルシアの幼馴染みで、家も四軒先ほどの近所である。学校も小学部の頃から一緒だが、何を考えているのか分からない男だ。
魔道具いじりがなによりも大事で、口数も少ない。
アルファらしい長身だが、他のアルファのように堂々として先頭に立つタイプではない。どちらかと言えば常に猫背で、ボソボソと喋り、俯いている。
学校ですれ違う時も大抵一人だし、友人も少ないのだろう。
だからルシアもぽつんと木陰で一人昼食を摂るレオンを見かける度、なんとなく共に過ごしている。
そういった時は大体ルシアが喋って、レオンは相槌を打つ程度の会話と言えるのか微妙な時間を過ごしているが。
アルファなのに、アルファらしくない。
彼を表現する言葉はこれにつきる。実際、そう言われているのを何度か耳にしていた。
アルファらしいとは、一体なんだろう。
オメガの癖に、とよく悪態をつかれるルシアにとってもその言葉は心地良いものではない。
アルファは、言ってしまえば人類の頂点だ。
並外れた身体能力と特殊能力を授かり、人々を引率する器のある者達なのだという。
彼等は幼い頃から弱者を護れと教えられる。魔法を使えるのはオメガとベータを守る為で、自らの為ではない、と。
深い青の瞳の、威風堂々とした佇まいを思い出す。立っているだけであんな風に覇気を出している存在のことをアルファらしいと言うのだろうか。
本能で傅きたくなるような、禍々しいほどの。
だが義兄ほどの存在感を持つアルファなどこの学校にはいない。
ルシアを揶揄い嘲笑う中にアルファの姿もあるし、彼等だって教師の前ではいい顔をしているが蓋を開ければただの人間だ。
フン、と鼻息を荒くしルシアは教科書を閉じた。
あんなアルファ達とつがうくらいなら、一人でいた方が遙かにマシだ。
だが、とルシアはすぐに表情を曇らせた。
このまま独り身でいることは、少々というか、かなり怖いのは確かだった。
◇
「ルシア・コレット。……四十点」
ぷっ、と背後で笑う声がしてルシアは眉根を寄せた。
召喚魔法学は毎回小さなテストが出される。講義終わりにその結果が発表されるのだが、こうも低い点数を口に出されるのはどの生徒も嫌がるものだ。
だが製薬研究所に入るためには必須科目で、ルシアも将来のため苦手科目だが受けている。
この召喚魔法学は召喚士を目指すアルファはもとより、ルシアと同じ道を目指すオメガも、魔道士を目指す者の殆どが受ける人気科目でもある。
そのため魔法学校の中でも講義室は一際大きく、教師の声も拡声魔法を使用しているためやたらと響いた。
ルシアは振り向いて、笑った犯人と思われる人物を探した。
この笑い声、毎回ルシアの点数の時に聞こえるのでそういった魔法を使っているのかと考えたほどだ。
恐らく違うだろうが。
ぐるりと周囲を見渡すと一人の男と目が合った。瞬間ニヤリと笑われて確信する。
迷うことなく足を踏み出したルシアは、男の前で仁王立ちになり声を張り上げた。
「他人の点数を聞く度、噴き出すほど面白いようだな」
「──まさか。こんな簡単なテストで躓く人間を憐れんでるだけだよ。だってこれでは、卒業すら危うい」
そう言ってわざとらしく憐れみの視線をよこした男は、同じオメガの同級生だ。小学部から魔法学校に在籍するルシアは当然顔と名前を覚えている。
なんと言ってもこの男、ルシアを目の敵にしている中で筆頭とも言ってもいい存在だ。
「お前に心配されなくとも、僕は色々考えている」
「ああ君、許婚がいるんだっけ? ──ってまさかな。確か君の家は平民だしその上君は性悪で有名なオメガだ」
ぐ、と言葉を詰まらせたルシアは鼻で笑う相手を見つめる。
あの時の腹いせなのだと、理解はしているが納得はしない。
そう、あの時。
そもそもルシアが性悪オメガだと囁かれ周囲に遠巻きにされるようになったのは、一年前この男に声をかけたからだった。
あの日、ルシアは珍しく校内の図書室で遅くまで勉強をしていた。確か黒魔法学の試験を控えていて魔法学の歴史を調べていたのだ。図書室にはルシアの他にも何人かの生徒もいて、門を閉めるから出ろと司書に追い出され全員が渋々腰を上げたところだった。
先頭を立ち図書室を出たルシアは、薄暗い校舎の中、妙な香りに気付き足を止めた。
長い廊下の先でうずくまる人影のようなものが見えたからだ。背格好からして男子生徒だろう。
しかしなぜ、あんなところで……。
嫌な予感がしてルシアは咄嗟に呪文を唱えた。
万が一の為だと以前習得した白魔法だ。
そうして少年に駆け寄れば、ラバトリー前の大きな柱に、縋るように手をつき肩で息をしている彼と目が合った。
潤んだ瞳でルシアを見上げたその顔は、同じオメガ男性のディライト・マーレイだ。
正に今、ディライト・マーレイはルシアに向かって嘲笑を浮かべているが、この時の彼は、助けを請うような切羽詰まった表情でルシアを見ていた。
甘い蜜のような香りは、彼の発情期を示している。
ルシアは躊躇わず、彼の腕を引っ張り上げて言った。
『っ、この馬鹿オメガめ! なぜ外出した!』
校内で発情期など、言語道断、あってはならぬことだ。
数ヶ月前、ルシアは自宅でアルファの目の前で発情期を起こし、その愚かさを身をもって知っていた。
『お前みたいなオメガのせいで多くの人間が迷惑を被る!』
だから、ルシアは己が正しいのだと自信があった。
今だってその考えは変わっていない。
ルシアに掴まれふらふらになりながらも立ち上がったディライトは、自身の熱に浮かされながら「帰してくれ……っ」と喘ぐように訴えてくる。
ディライトが初めての発情期なのかルシアには分からないが、どちらにしろ彼をこのままにするつもりはない。図書室にはアルファの姿だって多くあった。
『た、助けて……っ』
『朝から異変があったはずなのになぜ放置した? こんなになる前にいくらでも先を見通せたはずだ! 迂闊で済む話ではないっ』
もみ合うようにして彼をなんとか支えたルシアは、とにかく校門へと急ぐ。
馬車さえ乗せれば彼の家に報せることもすぐにできる。
だが、ルシアの魔法が効いたのか平気な顔をした後続のアルファたちが、咎めるようにディライトの腕を取りあげた。
『──おい、そこまでにしとけよ』
『同じオメガなのに、そこまで言わなくても』
『発情期は繊細なものだ。誰もが予測できる訳じゃない』
『あなたっていつもそんな言い方しかできないのね』
中には見知ったオメガもいたが、皆ルシアを咎めディライトを庇うように行く手を塞ぐ。
冷めた瞳で見下ろされ、ルシアは固まった。
オメガの強烈なフェロモンをアルファの鼻腔、果ては体内に取り込まぬよう呪文を唱えたのは自分で、感謝されこそすれ、咎められる理由はない。
だが、彼等の表情はルシアの手を止めるのには十分なほど冷たく不快をにじませていて、それ以上ルシアの言うことを聞き入れるような空気はなかった。
『後は俺たちに任せろ。お前みたいな無神経な奴に任せることはできない』
『オメガの私もいるし心配はしないで』
『言い方ってものを少しは考えろよ』
ディライトの腕を取り、彼等は茫然と立ち竦むルシアを置いて歩き出す。
『……あいつ、前から鬱陶しい物言いするから気に食わなかったんだ』
『私も苦手。前に下級生を泣かせていたの見たもの』
『なにそれ、最悪』
『オメガの癖に可愛げもないしな』
『フェロモン防御呪文って誰が唱えた? 助かった』
『え、お前じゃなかったの』
──僕が唱えた。
離れていく同級生の姿を見ながら、ルシアは俯く。
悪口が聞こえた今、当然、そんなことを言える気力は湧かない。
『……帰ろう、ルシア』
しばらくそうしていたルシアの背に、覇気のない声が降りてルシアは飛び上がった。
レオンだ。
『……いたのか』
『……? 今、出てきたところ。司書がうるさくて』
馬車は先の生徒達を乗せたのでまだ戻らないだろう。
やるせない気持ちになったルシアだったが、レオンと並ぶとなんとかその感情も鎮まっていくのがわかる。
魔道具を肌身離さず持ち、隙あらば調べ物をしているレオンは、たとえルシアの失態を見ていたとしても興味はないだろう。
それは逆に今ここで自分が傷ついたことを吐露しても、慰められることもないのを意味している。
でも、だからこそ、よかった。
『──多くの人間が迷惑を被る、か』
継母に言われたあの言葉は、ルシアにとって紛れもない真実だ。
彼女は正しい。ルシアはどうあがいても、そういう機能を携えて生まれたのだから。
だから護られる前に、自衛は当然のこと。そうしなければ万が一の事があっても、誰も自分を庇ってはくれない。
間違ってはいない。
だが、正しさだけでは友人は作れない。
──そんな思い出は、やはり彼にとっても後味の悪いものとして処理されたようだ。
ディライト・マーレイは言葉を失ったルシアを見つめ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
オメガの発情期は人によっては死を伴うこともある。
そんな衝動を抱えた彼等を誰も正論で叩く人間はいない。
騒動の翌日、ルシアの物言いが多くのオメガの反感を買い、それまでルシアを良く思っていなかった者達が便乗するように賛同したことで、ルシアは学校中から心ない無神経オメガとして判を押される。
また、朦朧としていたディライトも後からそんな言葉を投げかけられたのだと知ると、彼もルシアを責め立て、決して許すことはなかった。
おかげで、ルシア・コレットは他人の気持ちが分からぬ性悪オメガとして、一層嫌われる身となったのだ。
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