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第四話

◇  と言ったものの、それから特に二人の関係に変化はない。  以前と同じように、朝の馬車で挨拶を交わし、「前髪をなんとかしたらどうだ」とルシアが言えば、レオンはこちらに目もくれず「うん」と聞いていない返事が来る始末だ。  分厚い本を片手にぶつぶつと呪文を探すレオンを見て、ルシアは溜め息をついた。  ルシアの発情周期は五十六日前後だったが、先日のことがありその周期も変わった。  症状が重くなるオメガは稀だと言うが、そもそも六度目にも関わらず相手がいないのが一番の問題だ。  向かいに座るレオンは寝癖こそ凄いものの、その制服はよれも皺もなくローブも綺麗だ。  本をめくる指は長く骨張って、爪も短く切られている。ほとんど毎日箱をいじっている指は、細かい作業に向いているのだろう。  そういえばあの中に何を入れてどこへ転送しようとしているのか聞いたことがないと思い、ルシアは頬杖をつき口を開いた。 「その転移魔法は、何を送る」 「なんでも……。魔方陣を書かなくてすむなら、魔力のない人も送れる」 「魔法石はその為の装置か」 「そう。呪文を魔法石に組み込んで、送りたいものを中に入れる。受け取る側にも魔法石と小箱を設置すれば、配達が簡単になる」 「……なるほどな」  転移魔法は極一部の魔道士しかこなせない魔法だ。基本的には自身が転移するのも他の者や何かを転移させるのも魔方陣を書かなければならないが、突き抜けた天才は魔方陣なしでもできるという。  当然物体転送も理屈的には可能ではあるが、その構築は複雑だろう。  特に魔法石は魔力がこもった石で、様々な術を閉じ込める事ができるものではあるが、さすがに転移魔方陣を組み込めるかと言えば今はまだ不可能だ。 「発明家を目指しているのか」 「そんなんじゃないよ」 「お前の家は、兄がいるんだったな」  平民のコレット家とは違い、シュヴァリエ家は爵位を持つ貴族だ。とは言えアルファとオメガの血筋はそのほとんどが元をたどれば貴族なので、あからさまな身分差はない。  レオンには兄がいるので、爵位継承をせずに独り立ちするのだろう。実質自由気ままな身だ。 「魔道具の発明だと、どこに就職するんだ」 「……さあ」 「……さあ?」 「考えたことない」  さすがアルファ、なんでもこなせるからか。と受け取るべきか逡巡したが、昔から魔道具作りばかりしている割には、完成品を見たことがないと思い出し、言葉を飲み込んだ。 「お前、将来はどうするんだ」 「……こういうの、作る」 「完成させないと意味がないだろう。そもそもお前はアルファだ。魔法が得意ならそういった職に就くべきだし、魔道士や剣士になるつもりがないならそれ以外で食っていけるだけの稼ぎが必要だ。恋人ができれば結婚も意識しなければならないし、そうなれば家族を養えるだけの経済力が必須だぞ」 「……魔道士にはなりたくない」 「なら剣士か騎士か? 剣術の成績はどうなんだ?」  沈黙。  本をめくる指が止まり、レオンがじっとこちらを見ている。  アルファが受ける講義の結果まで、把握していない。だが、この男が素早く魔法を纏いながら剣を繰り出しているとは到底思えず、ルシアは再度溜め息をついた。 「俺が出来損ないだって、知ってるでしょ」 「……そうだな」  風の噂でどこのアルファが素敵だの、あの人は駄目だだの、そういった話題は友人のいないルシアの耳にも入ってくる。学生身分だからこそだろう。  その逆に評判の悪いオメガだってこうして有名になるので、学校という場は残酷だ。  レオンは社交的とは言い難く、常に一人でいる分、アルファの中でも悪目立ちをしている。その上成績も大したものではないとくれば、噂話が好きな者達の中で揶揄されやすい。 「……俺、興味ないことはしたくない」 「そうか」  それは多分、誰だって同じだ。  皆多かれ少なかれ我慢をして嫌なことにも向き合っている。  だがルシアは何も言わなかった。  この男がそういう人間だと幼い頃から知っているからだ。  考えてみれば確かに今まで一度たりとも、レオンをアルファとして意識したことなどなかった。  近所に住む、ただの変わった奴でそれ以上でも以下でもない存在。  体つきこそ成長して男らしくはなったようだが、ルシアの中ではレオンはずっと、ひょろりと背が高いだけの、俯いてばかりいた小学部の姿のままだった。  内気で陰気というわけではないが、すすんで一人でいるのを好み、他人と関わるのを避けるような男。  どこか偏屈で、頑固で、その癖なにも考えていない空気を持ち、嫌われ者のルシアにも臆することなく変わらずに接する。  肯定も否定も慰めもしない。  ルシアに興味などないのは分かっている。  そんな男に発情期の相手になれと頼み込んだのは酷だが、それでも最終的には首を縦に振ってくれた。  性的な関わりなんて持つわけがないと思っていたが、この先二人はそういった関係になる。  互いに裸になり、あられもない姿を晒して。 「……あ」 「え?」 「……お前、経験はあるのか?」 「……それって」  重大なことに気付き、ルシアは引きつった。 「大変だ、相手がアルファだからと思って任せるつもりだったが、お前はアルファだがアルファじゃない! 大変だ、痛いのは御免だ、制御の仕方もその他のあれも」 「……ルシアも、経験ないよね」 「当たり前だろう! おい、レオン! 講義が終わったら練習するぞ!」 「……は?」 「のんきにしてる場合じゃない! 知っているか? 発情期中の行為には専用呪文を唱えなければならない。アルファのお前が協力しなければ最悪子ができてしまうし、それにやり方だって」 「そんなのあるの」 「普通は知っているんだ! お前は興味ないことは覚えないから!」  呪文、知らない。  なんて呟くレオンにルシアは目を見開き、早まらずに済んだ事に心底安堵した。  このまま何も知らず、発情期に突入してしまったら互いに悲惨な目に遭っていたかもしれない。  やはりレオンには任せておけない。 「とにかく、終わったらお前の家に行く! 馬車で待ち合わせだ!」 「……うん」  ぼやっとしたレオンの返答を背に、馬車が停車するなり走って校門を潜る。  ひとまず、専用呪文の本を探しにいこう。  講義を終え、図書室で件の呪文集を見つけ借りられることもできた。  ルシアが停留所に向かうと、レオンは一人、律儀にベンチで待っていたようだ。 「今日、家族は屋敷にいるか?」 「……いるかも」 「僕が邪魔しても大丈夫なのか」 「父さんは仕事で遅いし、母さんは、いても研究室に籠もってるし、兄さんは最近見かけない。使用人と顔合わすくらいで、家族と会わない日も、あるし」 「お前の家はどうなってるんだ」 「みんな、好きにやってるって感じ」  多分俺がいてもいなくても誰も気にしてないよ。  淡々と言われ、ルシアは今のレオンを形成した大本を見た気がした。  貴族の家庭はそういうものなのか、はたまたシュヴァリエ家がそうなのか──、恐らく後者だろうが、それならば好都合でもある。 「ほら、これが呪文集だ」 「……『愛の呪文集』?」  気を取り直し小さな呪文集をレオンに渡すと、眉根を寄せた彼が題名を読み上げる。  たしかに不穏な題名だが、こればかりは不可抗力だ。  馬車がまだ来ないので、ルシアはレオンの隣に座った。 「本来ならばこういった類いの呪文は中学部の頃の白魔法学で習っている。最低限のマナーだからな」 「……知らない」 「基本的に呪文をかけてやるのはアルファとされているから、アルファなら知っていて当然みたいなところがある。オメガは発情期に入ってしまうと魔力が不安定になるし、意識も不明瞭になることが多い。アルファならフェロモンに充てられていても魔力は弱まらない。だからアルファが唱える。──というのも中学部の頃に教えられたはずだ」 「白魔法学は好きじゃない」 「だろうな。結局、対人魔法が主だ」  治療や治癒を主にする白魔法は、自らを始め、対象の生物が必要だ。  中学部からは小動物相手に色々と魔法を習うが、少しでも治療に興味がないとその魔法は成功しない。  つまりもっとも性格に左右される魔法になる。これは対である黒魔法学も同様だ。  レオンは元々一人でいるのが好きな男だ。  動物を可愛がるようなタイプでもないし、気遣いができるタイプでもない。必然的に白魔法には興味が湧かなかったのだろう。  それでもアルファなら覚えるべき魔法ではあるが、この男のことだ。発情期のことなど考えたこともないに違いない。 「とりあえず、僕を相手に練習だ」  返事のないレオンは呪文集を読み込んでいるようにも見える。  馬車が来たのでその腕を引っ張り歩かせると、彼は素直に馬車へと乗り込んだ。  レオンの家は想像よりも大きな屋敷だった。  確かに共働きだという彼の両親の姿はなく、兄君も多忙なようだ。  使用人達はルシアの存在に大層驚いてはいたものの、「……誰も部屋に来ないで」とレオンが呟けば、当然です、と言わんばかりに頷かれた。 「……予想はしていたが、ここまでとはな」  そして初めて入ったレオンの部屋は、ひどい有様だった。  山積みにされた本と鉄くず、木製のガラクタが床に所狭しと転がっている。  大きな机には分厚い本が積まれ、そこも何やら小物で溢れていた。学校の勉強はしていないのか、教科書は隅の方に追いやられている。  それでも埃っぽくないのは、使用人達が最低限の掃除をしているからだろう。反対側のベッドも物には溢れているが、清潔そうなシーツが被さっていた。  ルシアは迷わず、ベッドに腰かける。座れそうな場所がそこしかなかったのもある。  すると佇んだままのレオンの肩が小さく跳ねたのが視界の隅に入り、ルシアは訝しんだ。 「何をしている。こっちに来い」 「……お茶は」 「いらん」  言いながら、ローブを脱ぎひとまず隣に置いておく。  おずおずと歩み寄ったレオンが呪文集片手に視線を泳がせているので、ルシアはその呪文集を取り上げた。 「ローブくらい脱げ」 「……あ」  本が開かれていた場所は、件の呪文の場所だ。  オメガへの──避妊呪文。 「一応オメガとして、僕もその呪文は当然習得している」 「……うん」 「ここに、オメガの身体について記述があるように、仕組みさえ理解すれば簡単な白魔法だ」  のろのろとローブを脱いだレオンが本の山にかぶせるのを見届けながら、ルシアは呪文集をベッドに置いた。  そこにはわかりやすいよう人体の絵が描かれ、子宮とその入り口、結び目が記されている。 「男性のオメガは、ここにある」  言って、自身を使った方がいいと思ったルシアは、突っ立ったままのレオンの腕を引きベッドに座らせた。  入れ替わりに立ち上がり、そのまま制服のジャケットを脱ぎ、ブラウスのボタンを外していく。  露わになったブラウスの下から、ルシアの白い肌が見え隠れした。  首にはブラウスの色に合わせた白いベールのチョーカーを身につけているが、これは魔法石を細かく練り込めた特殊な物で本人の意思がなければ外せない仕様だ。  うなじを護るオメガなら誰しもが纏っている。   「いいか、ここの、奥に」  開いたブラウスの間に指を滑らせ、臍をたどり、その下を、すっとなぞる。  指先は制服のズボンにあたり、ちょうどそこでルシアは顔を上げた。 「──子宮がある。この中の構造を理解して、呪文を唱えればいい」  レオンの視線はルシアが指した箇所に釘付けだった。  しかし返事どころか微動だにしない男を見て、ルシアはようやく様子がおかしいことに気付く。  よく見れば、目元が赤い。というより、首筋から耳まで真っ赤にして、固まっている。 「おい」 「……し、白、じゃなくて、こ……こんなの、い、いやらしい気がする」  視線を逸らしたレオンが、ぼそぼそと呟く。  一瞬何を言われているのか分からず、困惑した。  時が止まり、レオンの戸惑った声を噛み砕くように飲み込んだ後は、今更何を言っているんだこいつ、と呆れてしまう。  小さく息をつくと、びく、とレオンが過剰反応し、不自然にもこちらを見ようとはしない。  ルシアはレオンの隣に座ると、そのまま後ろに倒れ、頬杖をついた。頼りないアルファの猫背が、ちょうど正面にある。  はだけたブラウスはルシアの白い腹筋を露わにしているが、レオンは気付いていない。 「今、上を全部脱いだ。振り向いて見てみろ」 「……は、はしたないから、むり」  屁理屈な返答にルシアの目は半目になる。  ちなみにブラウスは脱いでいないが、恐らくこうなったら意地でもこちらを見ないだろう。  と言うことは……。 「──お前、発情期ではこれ以上のことするんだぞ? 大丈夫か」 「……だめ、かも」  冗談だろ、と頭をはたきたくなったが、我慢である。  まずは初歩から始めなければ、とルシアは天を仰いだ。  結局あの後、レオンがルシアを直視できなくなり、呪文どころではなくなったので習得は後日に持ち越されることになった。  予想外なのはレオンが思った以上に初心(うぶ)だったことだ。  年頃の男女なら誰もが通っているだろう興味や好奇心を、今の今まで知識として仕入れようとしなかったためか。  だが、発情期まであと二月もない。それまでになんとか呪文習得させないと将来にかかってくる。  なので、ルシアは考えた。  考えた末、出た答えはただ一つ。  ──慣れろ。  ということだ。

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