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第五話

◇  慣れるためにどうするのかなんて、至極簡単だ。  積極的にレオンに近づき、物理的な距離を詰めること。  朝の馬車では必ず隣に座り、腕と腕が密着するほど近付く。ついでにレオンが読んでいる本をのぞき込み、他愛のない会話をする。  今までにない至近距離に身体を強張らせるレオンに、ルシアは口角を上げた。  ついでに前髪が邪魔だぞと言い、その寝癖だらけの髪を指で梳いてやる。 「……な、なに」 「やっぱりお前、髪を切った方がいいな」  現れた翡翠の瞳と目が合い、ルシアは心のままに言葉を漏らす。  額を露わにしたレオンは、形の良い眉の下に切れ長の二重を隠していた。  瞳の色こそ今までも見えていたことがあったが、こうして遮るものがなくなると印象が全く違う。よく見れば鼻筋も通っているし、唇の形も少し薄いだけでバランスが取れている。  目元を赤くしたレオンは、凝視されている事にしばらく我慢していたが、無言のルシアに堪えきれないように身をそらした。  頬杖をつきながら見つめて、何をそんなに恥じることがあるのかと疑問に思う。  しかし元々人間が得意ではない男だ。  こうして近付かれたらどう接したらいいのか分からないのだろう。  ルシアもこういった触れ合いは知らないが、時を同じくして覚えているので都合がいい。そもそも、オメガは一人で生きていけないから、身体を合わせることに羞恥心はない。  発情期はオメガにとって切っても切れない、だが子孫を残す為の重要な反応だ。  それを恥だと感じたこともなければ、アルファがフェロモンに充てられ反応することも当然だと思っている。  だからこそレオンのこの過剰なまでの怯えは、無知から来る故の恐怖なのだと考えた。  知らないから、怯える。  たとえば、抱き合うほどの距離。  肌を晒すこと。  そして触れ合うこと。  だが、そのすべてを知ってしまえば、こうまで過剰反応することもないだろう。 「また、あとでな」 「……うん」  馬車が止まり、ルシアが言うと、レオンはそれでも頷いた。  少なくとも、嫌がっている訳ではなさそうだ。  講義を終え、再度レオンの家へ邪魔をする。  今回は使用人が茶と菓子を持ってきたが、彼女が退出するなりルシアは早々にブラウスのボタンを外した。  肩まではだけると、レオンが慌てたように両手で自身の顔を覆い、制止の声を上げる。 「き、来たばっかりだ……!」 「練習しないと時間ないぞ」 「ぬ、ぬ脱ぐのは、や、やらしい気がする……!」  やらしいんだよ。そういうことするために、練習してるんだ。  思わずそう言い返したくなったが、ぐっと我慢をする。  付き合わせているのはこちらの方だ。なるべく負担はかけたくない。  かと言って、この男の言うことばかり聞いていたら先に進む未来は見えない。なので構わずブラウスを全部脱ぎベッドの端に置くと、ルシアは仁王立ちになった。  既に背を向けているレオンは当然こちらを見ていなかったが、その頼りない猫背に向け、腕を組み言う。 「おい」  びく、とレオンの肩が跳ねる。  その後は何も言わずしばらくそうしていると、いつもより強い口調で声をかけたルシアに、レオンも異変に気付いたのだろう。  誤魔化せないと思ったのか、おずおずとレオンがこちらを振り向く。  その両手はしっかり目元を覆っているが、なおも黙っていれば、沈黙に耐えかねるように指の隙間が徐々に開いて行く。  ルシアは馬鹿馬鹿しいと息をつき、腕をほどきレオンに近付く。 「まままま、待……っ」  指の隙間から目が合ったレオンが情けない声で制止したが、あっという間に距離を詰めたルシアがその腕を掴む。 「ちゃんと見ろ」 「……え、え」 「僕の身体は、お前と同じだ」  レオンの手を引っ張り、ルシアは自身の肩に置いた。  思った以上に温かいレオンの体温に少し驚いたが、その手を下へ誘導すると強い力で逆に引っ張られてしまう。 「……っ!」  慌てたのはレオンだけではない。  ルシアの左脚にベッドが当たり、躓いた。  本の山につっかえた右足は踏ん張りが効かず、倒れるのを回避するために咄嗟に目の前のレオンの腕を掴む。  だがレオンはルシアから逃れようと突き放したせいで、今度は反対側に力が移る。その上ルシアがレオンの腕を放さなかったので──、結局二人はベッドに倒れ込んだ。  正に、レオンがルシアを押し倒すような体勢で。  沈黙は長くなかったように思う。  目を見開いたレオンの瞳を眺めながら、ルシアはちょうどいい機会だ、とのんきな事を考えていた。  裸身を見られ困ることは何もない。ましてやまだ自分は上半身しか晒していないのだ。  押し倒された体勢になってしまったのは偶然だが、この先を望むルシアにとって今の状態は悪いことではない。  ルシアはレオンの片腕を取り、自身の臍の下、ズボンとの境界線へと誘導する。 「──この部分の(なか)だけ、お前と違う」  さあ、呪文を唱えろ。  そう言って、ルシアが再度レオンを仰ぐと、見開いた翡翠の瞳が揺れた。  下腹部にあてたレオンの掌は温かい。  感情などないようにも見える男なのに、体温の高さが意外だ。 「本を読んだよな? 呪文は覚えているか」  コクコクと僅かに首が上下して、ぱちぱちとレオンの瞬きが不自然に増える。ならば早くしろ、と言わんばかりに掴んだ手首に力を込める。  ぎゅっと催促すると、レオンは不自然なほどルシアの目を見つめたまま、早口で呪文を紡いだ。  ぼそぼそと言われたそれは、聞き取れないほどだ。  だが、瞬間にぽっと腹の奥が熱くなり、呪文の成功を感じ取る。  この感覚は魔法を使う人間ならば理屈ではなく分かる。  当然呪文を唱えた本人にも、その魔法の成功感覚は理解できている。証拠に、レオンは光のような早さで身体を起こし、さっさとルシアの前からどいてしまった。  背を向けたレオンを見ながら、ルシアも身を起こす。 「ほら、簡単だっただろ。これを事前に必ず唱えるんだ」 「う、うん」 「で、他にも色々あって……」 「ま、まだあるの!」  悲鳴のようなレオンの言葉に、当然、あるだろ、と言いかけたルシアは、再びこちらを見ようとしないレオンに気付いた。  避妊呪文に始まり、愛の呪文集には所謂、性行為の際に役に立つ呪文が綴られている。  緊張をほぐす作用のもの、負担を軽減する作用のもの、清浄に治癒、他にはもっと濃厚なあれこれもあるが、レオンの様子を見たら今のが限界かもしれないとルシアは考える。  なにもすべてを覚えさせなくともいいだろう。  しばらくその所在なさげなレオンの背中を眺めていると、不意にルシアにも不安が過った。 「……いやか?」  ぽつりと呟くと、しばらくたってレオンが緩く首を横に振るのが見える。 「……ルシアが死ぬ方が、嫌だと思う」  その言葉に、ルシアの胸のどこかが熱を持った感覚がした。  この社会性も協調性もないアルファでも、オメガの苦しみを理解してくれて、少なくともルシアが死ぬことを快く思わないでいてくれる。  それはただの同情かもしれない。けれど彼にルシアを無下にする気持ちはなく、虐げる心もない。  誰かに愛されることをずっと望んできたが、正直、今はその気持ちだけでも救われた。 「──レオン」  シーツの上で、ルシアはアルファを呼んだ。  今度は大袈裟に肩を揺らすこともなく、レオンがゆっくりとこちらを振り向く。  みるみるうちに目を見開き固まった彼の前で、ルシアは両腕を拡げ、すべてをさらけ出した。 「……っ!」 「よく見ておけ。これがお前が抱く身体だ」  時が止まった。  しん、と静まり返るレオンの部屋で、ベッドの上に白い裸体を晒し仁王立ちになったルシア。  ズボンも下着も足元でくるまり、今、彼が身につけているのはうなじを護る白いベール調のチョーカーだけだ。  レオンは無言だった。  時間にして数十秒もあったか。  いい加減無反応も不愉快だとベッドから降りようとすると、ツー、とレオンの鼻から綺麗な赤が流れ出ていった。  ぽかんと口を開けたルシアは、数秒後、状況を把握して慌てて治癒魔法を唱える。 「……ルシアは、最低だ」  背を向けていることをいいことに、その間にすべての衣服を脱いで全裸になったルシアに、レオンは鼻を押さえながら恨み節でそう漏らした。 「悪かったって。でも、こうでもしないと見ないだろ」  まさか鼻血まで出すとは想定外だった。  と言うとレオンは頬を赤らめながら唇を噛む。  現に今も全裸のルシアだが、ベッドに座ったレオンの隣に寄り添っても、不自然に視線を逸らすなど、先ほどまでの緊張した様子はない。  恐らくルシアの全裸より自分が鼻血を出した事の方が恥ずかしかったのだろう。 「でも、これで分かっただろ。僕がお前と同じ身体だと」  見た目だけで言えば、ルシアは男性だ。  基本的な作りはレオンと変わりない。  同じだから怖くもないし恥じることはないと言うと、レオンは俯いてルシアの剥き出しの太ももをちらりと見て、否定した。 「ぜんぜん、違うよ……」 「は? 男の身体だろ。中身はちょっと違うだけで」 「……ちがうよ、ルシアは……その、白いし」 「肌は生まれつきだし、外に出て運動もしないからな」 「ほ、ほそいし……」 「それは……まあアルファと比べたら頼りないだろうが」 「……それに、き、綺麗だし」 「……んん?」  もごもごと言われ、ルシアは首を傾げる。  確かに体格差はある。それに腐ってもオメガなので身だしなみを整えるのは当然のことだ。  だが、綺麗だと言われると……なんだかこう、それはそうだと思う反面、妙に照れくさい。  つまり、レオンはルシアの身体に少なくとも魅力があると感じたのか。  瞬間、ルシアは一気に首の辺りが熱くなるのを感じた。  体温が上がり、急に全裸でいる自分が恥ずかしくなる。  な、なにを照れている。  僕が綺麗なのは当然だし、完璧なのも当然のことだ。  必死にそう言い聞かせ、隣のレオンが無言なのに気付き顔を上げると、ばちっと視線が合う。  レオンは一人で赤くなったルシアをじっと見下ろし、その一部始終を見ていたようだった。 「ね……、真っ赤だよ」 「う、うるさい見るな」 「……他の、呪文も練習する?」 「そ、それはした方がいいが、今日はもうお前鼻血も出したし」 「やる」 「え」 「全部、覚えたいから」 「……わかった」  なぜ、レオンの雰囲気が先ほどとは違うのか理解できなかったが、本人のやる気があるうちに覚えた方がいいのは間違いない。  急に前のめりになったレオンに戸惑いながらも、ルシアは頷いた。

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