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第十一話

◇  その日、ルシアは久々に一人で王都中心街へと繰り出していた。  一週間後に二十歳の誕生日を控えているレオンに、感謝とお祝いの気持ちを添えて贈り物をしようと考えたのだ。  発情期を共にするようになってから、早くも二年が経っている。  少し前に転移魔法を習得したレオンは、今ではルシアが発情期に入ると自慢げにルシアの部屋へ直接転移してくるようになった。  いくらアルファでも転移魔法は全員がおいそれとできるものではないので、その努力は相当な物だっただろう。  一つのことに執着すると納得がいくまでそれに向き合い、努力を惜しまぬレオンの姿に、ルシアもまた刺激された。  単位を取るのに苦しんだ教科も、彼が傍にいたから頑張れた節がある。  振り返ると互いに教え合い、支え合った学生生活だった。  それも、もうじき終わる。  二十歳を迎える最上級生は特別な理由がない限り、秋には皆、魔法学校を卒業する。  既に就職や結婚等の将来への道が決まった生徒も多く、ルシアも就職希望先の面接を終えている。  レオンはというと、幼少時代から魔道具が好きだったのもあり、結局自身の研究を理解してくれる魔道具研究所などをいくつかあたったようだ。  各所からの返答はまだだと言うが、好きな分野であれば非常に勤勉である彼のことだ、なんだかんだ就職も難しくないだろう。  これまで一度もレオンの誕生日を祝えなかった事に、ルシアは申し訳なく思っていた。  秋生まれだとは知っていたが、大抵気がついた時には過ぎていて、レオンも何も言わなかった。  基本的にレオンは、そういった行事に興味がない。ルシアの誕生日も改めて祝われる事もなかったし、自身に対しても同じだ。  いつも何かに夢中になっていた彼は、生まれた日は単に過去であるという認識だったのだろう。  そういうわけで自身の誕生日を教える術を持たぬ男のそれを、今まで祝うことができずにいたのだ。  ルシアとて、幼馴染みであるレオンを無下にするつもりはない。  ただでさえルシアのパートナーになってくれている相手だ。  その度に感謝していたし、今までかしこまって贈り物をすることはなかったが、今回は卒業を控えているのもあり少し特別なものにしたいと思っていた。  遂に、魔法学校を卒業する日が来る。  十一年も通った学び舎だ。終わりが近付けばさすがに感慨深い。  定刻通り動く馬車で毎朝顔を合わせることも、剣術魔法学でぼろぼろになったレオンを見かけることも、なくなる。  卒業の秋が過ぎ、短い冬が終わる前に、自分たちは家を出て、独り立ちするのだ。  流行の最先端でもある中心街は、いつも活気に溢れ、忙しなくも明るい雰囲気に包まれている。  魔法石を使用した噴水に街灯、拡声魔法で響く誰かの歌声、馬要らずの無人の乗り物に、所狭しと建つ建築物。  光沢を帯びた壁一面には、今を代表する舞台俳優達が笑顔でこちらに向かってウィンクしている。その向かいでは魔法を使わぬ声で、往来する人々に焼きたての菓子をどうぞと呼び込む青年の姿もあった。  当然ここはアルファやオメガだけでなく、ベータが圧倒的多数を占める街だ。二つの種族で占められている王立魔法学校とは違い、本来あるべき世界である。  普段は魔法を使える自分たちにとっては見向きもしない魔道具や魔法石が使用されていたりして、それを知ると何かと飽きずに楽しめる。  かつて王都でルシアの香水を買ったレオンを意外だと思っていたが、今なら繰り出した理由も分かる。  彼はそういった魔道具やベータの暮らしを観察しに来ていたのだろう。  今よりもっと自由に研究できる場があれば、そのうちレオンが開発した魔道具もこうやって生活に使われていくのかもしれない。中には本当に必要か首を傾げるような物もあるが、そういったものでも店頭に並んだら、自分は喜んで手にするだろう。  思わず笑みがこぼれるが、行き交う人々の多さに我に返り、すぐに俯いた。  目的のブティックは数年前に来た時より、こざっぱりした外観になっていた。  恐らく修繕したのだろう。白黒と金を基調にした看板は、控えめでシンプルな綴りになっている。  扉を開けると、来客を報せる小さな音色が鳴り、正面の店員が顔を上げた。 「ルシア」  彼女が口を開く前に、父が右手から服を抱えてやってきた。ちょうど商品を入れ替えようとしていた時だろうか。  息子の顔を見ると彼は服から手を離し、それを浮遊魔法で奥へと追いやる。 「お邪魔します、ミーシャさん」 「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」  仕立屋である父の同僚の女性に挨拶を済ませると、父は「少し待ってて」と小声で奥の方に視線をよこした。  どうやら予期せぬ来客がいるようで、ルシアは頷いて離れる。  店内は衣類だけにとどまらず、ちょっとした装飾品なども置かれている。  小さな宝石のついたネックレス、光沢のあるオメガ用のチョーカー、カフスボタンにローブ用のブローチ。  ガラス張りの向こうに綺麗に並べられ、ルシアはじっくりとそれらを眺める。  レオンへの贈り物は、父の仕立てた礼装用のスーツ一式とルシアの選んだカフスボタンでどうかと事前に相談していた。というのも、父も息子が世話になっていることと、卒業祝いとしても贈り物をしたいと考えていたようで、折角なら誕生日に渡せば彼も喜ぶだろうと思って提案したのだ。  数ヶ月間小遣いを貯め、美容室に行く頻度を減らすなどして、この日の為に用意した。  父のように服を仕立てる事はできないが、学生身分としてはこの辺りが限度だろう。容姿に無頓着なレオンを思ったのもある。  地味なシャツを纏っていても、お洒落なカフスボタン一つで、印象は変わるはずだ。 「ああ、良かった。ぴったりですね。大変お似合いですよ」 「少し太ったかなって思ったけど、やっぱりソアンに任せておけば平気だね。急な依頼なのに仕上げてくれて助かったよ、ありがとう」 「そんな、私は職務を全うしただけですから」 「採寸する暇もなかったから、どうかなって思ってたんだよ。多分数年前の記録しかなかったでしょ。太ったとは伝えたけど、それすら平気でこなすんだから、貴方の腕は確かだ」  そんなやりとりが店の奥から聞こえ、一人の男が姿を現した。  仕立てたばかりのスーツだろうか。  黒を基調としたスリーピースを纏い、磨かれた綺麗な革靴を履いて、随分と手足の長い男が颯爽とルシアの元へ歩いてくる。  支払いの為だろう、とルシアは避けてなんとなく男を見上げ、そして驚愕した。  白金の髪に、灰色の瞳。  人形のように整った顔立ちは、一度見たら忘れられないほどの、ハッとするような美青年だ。  一目見て、ルシアは視線を逸らし後退した。  このまま気付かれずにいたほうが面倒事にはならない、と咄嗟に思ったのが、かえって男の注目を引いたのかもしれない。 「あれ」  ソロソロと父の後ろに隠れようとしたルシアに気付いた男が、眉を上げた。 「きみ、どこかで……」  数年前の事だ。記憶も曖昧ならば、とルシアは首を傾げてみせた。  こちらがとぼけていれば、気付かれぬかもしれない。 「息子がなにか?」  しかし父の言葉に、ルシアは内心盛大に舌打ちをした。 「ソアンの息子なの? へえ、こんな大きい子がいるなんて」 「何をおっしゃいますか。シリル様も息子と大差ない年齢でしょう」 「ああそうだ、ソアンはこう見えて結構大人だもんね。まったくオメガは恐ろしいな」  案の定興味をひかれてか更にまじまじと見られ、ルシアは不自然にならぬよう軽く会釈をした。  だが、男は不敵に笑うと、カウンターに向き直って天気でも見るかのように言った。 「魔法学校で会ったよね。今日はお友達はいないのかい」  ルシアは口ごもり、抵抗を諦めた。 「……いえ、今日は友人の誕生日プレゼントを取りに来ただけなので」  ディライトの事だろう。あの日ディライトに自白呪文をかけた男は、しっかりルシアのことを覚えていたようだ。  父がそうなのか、と振り向いたがルシアは曖昧な表情で誤魔化した。  あの頃なにかと無鉄砲だった自分は、この男の正体など知らなかった。ましてや父の顧客だなんて想像もしていない。  だが二年も経てば世間知らずだったルシアもさすがに成長する。  男の名はシリル・アンジュール。  アンジュール公爵家の四男で、アンリ・トーレーヌの従兄だ。王家の一員ではあるが、なによりも彼が世間に知られているのは、国を代表する黒魔道士であることだ。  一時期は新聞や雑誌に事欠かなかったらしいが、今はだいぶ沈静化している。  知った直後はあんなやりとりをした男がまさかと驚いたが、二度と会うこともないと思っていたので今日まで完全に記憶の隅に追いやっていた。 「へえ、彼、もうすぐ誕生日なの?」  男は会話を続けるようだ。 「いえ、あの彼とは別の友人です」 「そうなんだ。何をあげるの」 「……父からはスーツ一式と、僕からはカフスボタンを」 「ずいぶんと豪勢だ」 「息子が世話になっている子で、僕も小さな頃から知っているので卒業祝いに」 「そういうことか。言われてみればもう卒業の時期なんだねえ。確かあの頃十八歳って言っていたから、きみも卒業?」 「はい」  そうしている間に、父が別室から仕立て上げたものを持ってきた。  既に綺麗な化粧箱に収められていて、ラッピングまでされている。事前にルシアが選んだカフスボタンも小さな箱に入れられてリボンがつけられていた。  それらを紙袋に入れて父から手渡される。 「食事に、誘えばいいのに」 「あいつはそんなの嫌がるよ。折角の誕生日なんだから」  直接手渡したいと父は言ったが、ジュリエットと父との食事会などレオンでなくともお断りである。  せめて別の時に、と言えば父は困ったように笑いながら頷いた。 「レオン君、面白い子なのに」 「また他の時でいいだろ」  用が済んだのでルシアは適当に挨拶をして去ろうとした。  だが、父の手からローブを受け取った男がそれを羽織り、なんでもないように「送るよ」と声をかけてきたので、足を止めた。 「いいんですよ、シリル様。ご多忙でしょう」 「あいにくと晩餐会までは時間があいていてね。どこかその辺をふらつこうと思っていたから、ちょうど良かったよ。ルシアとは旧知の仲だしね? さあ、行こう」  嘘だろう、とルシアの頬は不自然に痙攣した。  だが、「では、お願いします」なんてのほほんと会釈をした父の手前、断ることも憚られる。 「それじゃあ、またよろしくね」 「こちらこそ、ありがとうございました。ルシア、粗相のないようにね」 「……うん」  全員に挨拶を済ますと、シリルはルシアを連れ立ち店を出た。  さりげなく紙袋を取られたが、文句を言う隙もない。 「ぷっ、粗相のないようにだって。初対面の時の話をしたら、普段おっとりなソアンも怒ったりするのかい?」  ルシアは返答をする気もなくし、黙々と足を動かした。  やはりこの男、好きになれない。 「危ないよ」  俯きながら先を歩くルシアの後ろを、面白がった声が追ってくる。  瞬く間に横に追いつかれ、その上ぐい、と腰を引き寄せられ固まった。  ちょうど正面から二人組の男がルシアを突き飛ばす勢いで歩いて来たらしい。  口論をしているのか周りの目を気にすることもない二人は、身振り手振りしながら通り過ぎていく。 「ここはいつもお祭り騒ぎだ。実は得意じゃない」  きみは好き? と訊かれ、ルシアは礼を言うタイミングを失い、迷いながらシリルを見上げた。 「……僕は、嫌いじゃない」  気障な男の行動が癪に障りそう言うと、腰にあたる男の手を引き剥がした。そのままずいと手を差し出す。 「ここまでで結構です。ありがとうございました」  紙袋を返せと遠回しに言うと、男が笑った。 「もしかして警戒されてるのかなぁ? 確かに前より、大人びて綺麗になったよね。でもきみ、パートナーいるでしょ。さすがの俺も人のものに興味ないよ」 「そうですか。では、返してください」 「なんで敬語? 前みたいに生意気な口調でいいよ。あ、もしかして俺の事知っちゃったとか? だって前は絶対知らなかったよね。世間知らずのお坊ちゃんって感じで、とても可愛かったのに」 「っうるさい! 早く返せ!」  言わせておけば、なんという失礼な男だ。  ルシアは自分を棚に上げて男を睨みつけた。  紙袋を取られないように頭の横に掲げていた男は、そんなルシアの剣幕に目を丸くした後、次には盛大に噴き出した。

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