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第十二話
「やっぱりきみ、そっちの方がいいよ!」
「なんなんだ、貴方は」
ひとしきり笑うと、シリルは構わずに歩き出した。
紙袋を人質に取られたままのルシアは彼について行くしかない。
「言ったでしょ、予定まで暇なんだ。少し相手になってくれない?」
「……僕といても仕方がないだろう」
「そんなことないよ。こう見えて若い子と話す機会はそうないからね。毎日気難しいおじさん相手に仕事の話ばかりして退屈でさー。周りは曲者のアルファばかりだし、のんびりデートもできないよ」
そんなこと、こちらに一切関係ないだろう。
ルシアは喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。
「そういえばきみ、卒業したら何になるの? 黒魔道士? それなら俺、専門だから色々教えられるよ」
「僕はオメガだぞ。そう易々と魔道士の職には就けない」
黒魔道士は基本的に国防に関わる仕事をする。宮廷魔道士としてだ。
だが、この男は王族であり一流の黒魔道士だ。宮廷魔道士どころかその上をいく存在だろう。
そんな雲の上のような存在が、魔法学校の卒業を控えたただの一般人、しかもオメガに、何を教えるというのだ。
「──ああ、そうか。なら、お嫁さんになるの?」
失念していたとばかりの表情を浮かべたシリルは、ルシアを見下ろした。
早歩きで先を急ぐルシアとは逆に、男は至極悠然と歩いている。足の長さの違いか。
そんなことも面白くなくて早く帰りたいと思うが、どうやら彼が満足するまでは離してくれそうにもない。
仕方なく、ルシアは口を開いた。
「あいにくと婚約者も恋人もいない」
「……へえ」
すこし含みのあるような返事をされ、ルシアは自然と彼を見上げた。
目が合うと、にこりと微笑まれる。
「でも、パートナーはいるんだ? アルファの匂い、ついてるもんね」
「ああ」
「意外だなぁ。で、どこに勤めるの?」
「……製薬研究所とオメガ専門診療所からの結果次第だ」
嘘をついても仕方ないので、ルシアは素直に答える。
「ああ、研究所か。確かにあそこはオメガを率先して採用してるね。抑制剤もさぁ、改良していかないと、さすがにね」
「別に、抑制剤を改良したくて希望したわけではない」
「あ? そうなの」
当然それも興味がないわけではないが、ルシアにはもっと重大な病を薬の力でなんとかしたいという思いの方が強い。
種族関係なく、病は人類の最大の敵だ。多大な金がかかる白魔法より、安価な薬があれば救われる命は多い。
「てことは、白魔法が得意分野ってわけだ。残念、俺の専門外だね」
「なにを言ってる」
これにはさすがのルシアも呆れてしまった。
一流の魔道士は大抵どの魔法もこなせる。
彼ほどの魔道士にもなると白魔法も下手な白魔道士よりこなせるだろう。
だがルシアの呆れ声に彼は本当だよ、と続けた。
「俺、人助けは不得意なんだ。どちらかと言うと傷を治してあげたいって思うより、傷をつけてあげたいって思うし」
「アルファの風上にも置けない発言だな」
「確かに」
思わず突っ込むと、彼が静かに笑う。
つられるようにルシアも口角を緩め、顔を上げた時だった。
「ルシア」
数歩先で、僅かに驚いたような表情を浮かべるレオンが立っていた。しかしそれは一瞬で、ルシアと目が合うといつもの無表情に戻っている。
「──レオン」
「あ、ルシアさん」
奇遇に喜び歩み寄ろうとすると、不意に澄んだ声がして、そちらに目をやる。
ルシアは立ち止まった。シリルも何も言わず、ルシアと並ぶ。
レオンの隣には、小柄な少年が立っている。彼の顔には見覚えがあった。
「ユーゴか」
ユーゴ・マルティネス。
一年ほど前から、校内でレオンと一緒にいるところをよく見かける生徒だ。
魔道具研究に興味を持ち、何かと意見を交わしているという。ルシアも何度か会話をしたことがある、顔見知りでもある。
名を呼んだからか、ぱっとユーゴが笑顔になる。
人好きのするような顔立ちで、その笑顔はどこまでも無垢な印象だ。そばかすの散った白い肌につぶらな焦げ茶の瞳は小動物を思い出させ、あどけない。
実際、二十歳を控えるアルファであるレオンの隣に立つと、彼は更に幼く見える。
オメガらしい華奢な体格でもあるからだろう。確か十八歳になったばかりだと言っていた。
「ルシアさんも買い物ですか? 僕たちも、買い物に来ていて」
「ああ、まあ」
ユーゴはそう言って駆け寄るように距離を詰めてきた。
遅れてレオンもやってくる。
「レオンさんがもうすぐ誕生日なので、プレゼントを贈りたくて。でも僕だけじゃ何がいいのか分からないし、折角だから本人に選んで貰おうと思って引っ張ってきたんですよ」
「いらないけど」
「もう、卒業しちゃうんですから、せめて最後にって話ですよ!」
拗ねたようにそう言ってレオンを見上げるユーゴに、レオンが無表情で見下ろしている。
その様を見て、ルシアはなぜか居心地が悪いような気まずさを感じ、そうか、と頷くだけにした。
思わずシリルが持つ紙袋に視線を移すと、それに倣うように彼等も他の存在に気付いたようだ。
「あ、ご友人の方も一緒だったんですね……って、ええ!」
シリルを見上げ、ユーゴが驚愕したように目を見開き固まった。
そうして失礼な態度を取ったと反省したのか、そろそろと両手を口元に持って行き、開いた口を隠すような仕草をする。
シリルはそんなユーゴに慣れたような笑みを浮かべ、「こんにちは」と短く挨拶をした。
「こ、こんにちはっ」
慌てて挨拶を返すユーゴは、目を大きく開いたままぱちぱちと瞬きを繰り返す。
こんな場所で著名な黒魔道士と会うとは思わなかったのだろう。
色々と疑問を口にしたいのだろうが、彼はそれきり言葉を飲み込んだ。
一方でレオンは無表情にシリルを見ると、小さく会釈をしただけだ。元来、こういう男である。
ルシアは一刻も早くこの場から去りたかった。
自分もレオンの誕生日プレゼントを取りに来たのだとは、間違っても言いたくはない。
「シリル様?」
「え、本物?」
立ち去るための挨拶をしようとルシアが口を開いた時、どこからか上擦ったような声が聞こえルシアは動きを止めた。
それはさざ波のように辺りに広がり、何人かの見知らぬ通行人達が足を止め、シリルに注目している。
どうやら、彼が過去に一世を風靡した一員であると気付いた人間がいたようだ。
道端で四人立ち止まっていたせいで悪目立ちしたのか、それとも時間の問題だったのか。
ただでさえ人目を引く美青年だ。無理もない。
「まずいね」
どうすべきか考える前に、シリルが呟く。そのまま距離を詰めようとする通行人に曖昧な微笑を振りまくと、すっとルシアの腰に腕を回した。
あまりに自然に引き寄せられ、固まったルシアを尻目にシリルは余裕の顔つきでレオンとユーゴに向き直る。
「では、ルシアのご友人達? 本当はもっとゆっくり話をしたかったけど、ごめんね、そうもいかなさそうだ。──俺たちはこれで、失礼するよ」
あ、と声を出す暇もなかった。
ぐい、と腰を掴む腕に力が入り、視界が揺れたかと思えば、次には闇が広がった。
「待ってね」
男が言うと、すぐに周囲が明るくなる。
目を瞬いて確認すると、そこは窓のない丸太張りの部屋で、四人がけのテーブルが三つ、並んでいた。
天井から吊された華奢な作りのランプが、シリルの無詠唱呪文で点灯したようだ。
転移魔法だ。
空気が歪んだような違和感に息を詰めていると、男がルシアの腰から腕を外した。
「さぁ座って。お茶でもしよう」
「ここは?」
「隠れ家みたいなところかな」
「隠れ家?」
シリルは頷くと、持っていた紙袋を近くの椅子に預け、優雅な仕草でルシアの目の前の椅子を引いた。
有無を言わせず転移され、更に座るよう促される。
男のどこまでも強引な手法に抵抗する気力も湧かず、ルシアは大人しく椅子に座った。
向かいに座った男がローブを脱ぐ。ふわふわと浮いたローブは、壁に設置されたフックへ吸い込まれるように張り付いた。
「少し前まで仕事で仲間と使用してた部屋なんだけど、今は俺がたまに来るだけ」
言って、シリルは自嘲するように笑った。
「俺は有名人だから、どこへ行ったって注目される。そうでなくとも家には使用人がいて彼等は俺の世話に生き甲斐を感じている。だからたまにここで一人、お茶を飲むんだ」
そうすると詰まりそうだった息ができるようになって、身体が軽くなる。
そんなことを続けるシリルに、なんと返答したらいいのか分からず沈黙していると、突如テーブルの上に湯気の立ったティーカップが現れた。
また、彼の転移魔法だ。
紅茶の香りがふわりと漂い、ソーサーの他にポットと砂糖までテーブルに鎮座している。
彼ほどの魔道士は、恐らく世界中を探しても片手で収まる程度しかいない。
転移魔法は、大きな魔力を使うと聞いている。ましてや他人を抱えて転移するなど、天才のする仕業だ。
「浮かない顔だね」
「……そんなことはない」
改めてこちらを見るなり、シリルは確信を込めて言った。
「さっきのアルファの子、きみが誕生日プレゼントを用意した子だろう。しかも、きみのパートナーだ」
穏やかながらはっきりとしたシリルの声は、それでもルシアの鼓膜を震わせた。
「隣にいたオメガの子は、彼の新しいパートナーなのかな」
ルシアのこめかみに力が入る。
まさか。
レオンは人間が好きではない。もうずっと幼い頃からだ。自分のペースを乱される事を嫌う彼は、安易に他人を寄せ付けない。
聞くところによるとユーゴは魔道具が好きで、血族には魔道具発明者がいるという。
そういった背景から、レオンは彼と親しくするのを苦ではないと感じていたようだ。
ほんの少し嬉しげに「話を聞くと、面白いんだ」と呟いていたレオンを思い出す。
彼が他の誰かと親しげにしているところなどそれまで見たことがなかったから、当初はユーゴの存在に驚いた。
それでも似たような趣味の友人ができることは彼にとってもいいことだと気にしないようにしていた。
「……ユーゴは、そういうのではないはずだ」
「言い切れるの?」
だってレオンは人間が好きではない。人付き合いも不得意で、面倒臭がりだ。だから……。
──言い切れるの?
たしかに、レオンがユーゴのパートナーにならないとは言い切れない。
ユーゴにそういったパートナーがいなければ、レオンに関係を望む可能性は大いにある。それは発情期だけの関係かもしれないし、それとも恋人関係かもしれない。
しかし、そうなるとつがいにだってなる可能性もある。
ティーカップの水面を見ながら、ようやく、ルシアはその事実に驚愕していた。
「ルシア」
茫然としていたルシアに、シリルがそっと声をかけた。
顔を上げると、どこか憐れみを含んだシリルの瞳と目が合った。
どうやらシリルはしばらくの間ルシアを観察していたようだ。
ルシアは慌てて姿勢を正し、ティーカップに口をつけた。
「俺は意地悪な大人だから、オメガのルシアがこれから直面するであろうことを教えてあげる」
「……なに」
「つがいのいないオメガは、働きに出たら大変だ。学生の頃は発情期の融通がきくけど、社会に出たらそうもいかなくなる」
「……申請をすれば、休暇は出るはずだ」
「そう。オメガには理解がある。でも考えてみて。そのオメガの発情期を乗り越えるには、アルファが必要だ」
ルシアが顔を上げると、シリルは微笑んだ。悠然とした仕草で茶を口に運ぶと、背もたれに沈み、優しげな瞳でルシアを見つめた。
「きみには恋人も婚約者もいない。でも、あの子は今のパートナー。──ずっと?」
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