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第十四話◇レオン

◆  レオン・シュヴァリエはその日とても苛立っていた。  憤慨していたと言っても過言ではない。  腹立ち紛れに校内をずんずんと歩を進めていると、向かいから歩いてきた初老の男が驚いたような表情をした。 「どうした、レオン」  魔道具研究を専門としている、恩師のベランジェだ。丸眼鏡をかけ白髪交じりの彼は常に温和な雰囲気で、気難しいレオンにも嫌な顔をせず接してくれる数少ない人間である。  その彼を見てレオンは一瞬全部ぶちまけたくなったが、なんとかそれを抑え首を横に振った。 「いいえ、先生」 「君がそんなに怒っているということは……あの子のことかね?」 「──いいえ、先生」  拳を握りしめながら見え透いた嘘を言うレオンに、ベランジェは眉尻を下げた。 「一体何があった。あんなにも仲が良かったじゃないか」  ──いいえ、先生。  そう思っていたのは俺だけです。  レオンは声も上げず、ただ心の中で絶望していた。  時は少し、遡る。 ◇  ルシア・コレットは幼馴染みだ。  初めて会ったのは魔法学校入学の時。それから同じ馬車で頻繁に顔を合わせるようになると自然と言葉を交わすようになった。  雪のように肌が白く、長い睫に覆われた瞳は晴れ空の色で、唇はふっくら桃色に色づき、レオンは彼が声を発する度にそこへ視線が釘付けになる錯覚を起こした。  襟足で綺麗に揃えられている薄茶色の髪に、顎先まである前髪は鼻筋を境に左右に分かれていて、ルシアが俯く度にさらりと流れる。  その頃から彼は抜きん出た美貌を持ち、他の誰よりも愛らしく綺麗な生き物だった。  だが、物怖じしない態度と勝ち気な性格で、いつも他の誰かに突っかかり問題を起こしていたのは確かだ。 「オメガの癖に、俺たちの中に入ってくるな!」  アルファ同士の遊びで他のオメガ達が遠巻きにする中、ルシアは気にもせず率先してそこに混ざり、ああでもないこうでもないと指図をして反感を買っていた。  とうとうそれが力比べのような遊びとなると、華奢で運動が不得意なルシアが足を引っ張ることが増えていく。  特に勝負事になるとそれは他のアルファ達にとって我慢ならないことで、彼を追い出そうとする者は後を絶たなかった。 「フン、オメガが一人いたくらいで相手に負けるなんてお前達がたいしたことない証拠だろう! 人のせいにするな、負け犬め!」  そんな発言をして更に反感を買っていたが、レオンはルシアの身勝手な屁理屈に呆れながらも感心した。  だが、成長と共にいよいよ体格差が顕著になると、帰りの馬車の中で「お前はアルファだから、いいな」と呟いていたので、レオンは彼を少し不憫に思った。 「でも、お前はアルファのくせにあいつらの遊びに全然混ざらないな」 「……疲れるし痛い。だからしない」  率直な意見を言えば、ルシアは次には笑って「それもそうだな」と納得していた。あんな無駄な遊び、お前もしなくていいぞ。と続ける。  同じアルファからは頑なに参加しないレオンを訝しがり、時には嘲笑もされたが、ルシアは決してレオンを嘲笑することはなかった。  もっとも、後にそう言う話をしたら「お前は頑固だから、何を言っても耳を貸さないだろ」という答えが返ってきたが。  中学部に入ると、ルシアの物言いと態度は思春期の生徒に殊更嫌がられ、それは次第に学校中に広がるようになった。数少ないオメガ男性であることもあり、何かと注目の的だったのも裏目に出た。  その頃ルシアは母親の病で深く傷ついていて、他人を思い遣る余裕などなかったのだろう。  参観日などで見たルシアの母親は、ルシアと同じ色の瞳で、同じように堂々としていて、そして「良かったぞ、ルシア。白魔法はお前に合っているんだな」と褒めていたのを覚えている。  隣にはルシアと同じ髪色をした優しげな風貌の父親が寄り添い、「君に似て、賢いんだよ」と笑いかけていた。  だが彼女は今、病に伏せ病室から出られない日々が続いている。  ルシアはそれをレオンに一度も零したことはなかったが、レオンの母が時折、思い出したように心配していたので知っていた。  この頃になるとルシアは自身がオメガであることを更に意識し始め、殊更外見に磨きをかけていたようだ。  平民であるルシアに婚約者はいないが、彼がそういう相手を待ち受けているのはレオンにも分かっていた。  元来オメガはつがいとして望まれ、そしてそれを望む種族だ。  他のオメガもいつの間にか子供じみた行動を控え、嫋やかであることを心がけていたように見えた。  恐らく、やがてやってくる発情期に備えていたのだろう。  しかしルシアの思いも虚しく、彼の母は身罷られた。  両親と共に彼女の葬儀に赴いた時は、さぞ傷心しているだろうと緊張したものだが、出迎えた彼は驚くほどけろっとした顔をして、レオンに「来てくれてありがとう」と口元を緩めさえした。  だがその理由はすぐに分かった。  ルシアの父親であるソアンが、涙で腫れあがった目元を晒し蒼白な顔で棺の前に佇んでいたからだ。  きっとルシアは、思うように泣けなかったに違いない。  ルシアは、我が儘で身勝手で、偉そうな言動から人を選ぶタイプではあったが、それでも彼は常に毅然としていて真っ直ぐだった。  彼の素直な言動は時に誰かを傷つけ不快にさせてはいたが、レオンにとってそれは逆に一層彼を魅力的にさせる要因でしかない。  生憎と彼を励ます言葉はこの口から漏れることもなかったし、時折不安そうに「僕は美しいだろう?」と聞かれても「うん」としか答えられなかったが、それでも一度も嘘はついたことはない。  ルシアは、いつも綺麗で、可愛いよ。  こんな言葉をすんなり言う勇気があったなら、この先の未来も、少しは変わったのだろうか。  それからしばらくして、ルシアには母親ができた。父親のソアンが、再婚したのだ。  ルシアは彼女と同居するようになってから、朝食を抜いて通学するようになった。  レオンはちょうどその時、司書のいない早朝の図書室に入り、好き勝手に書物を漁る事に夢中になっていて、久々にルシアと朝の馬車を共にした。 「お腹、空かないの」 「空腹より、彼女との朝食の方が苦痛だ」  その言葉に驚いたのは、きっとレオンだけではない。  ルシア自身、自分の発言に戸惑ったような表情をしたが、すぐに諦めたようにこちらを見て「……分かるだろ、他人だぞ」と吐露した。  レオンはその時、初めて見せた彼の弱音に衝撃を受けて固まり、動揺して視線を落とす事しかできなかった。  幸運にも手元には両手に乗る程度の木箱があり、ちょうど魔法で内部を削っているところだ。  レオンはその呪文を追加しながら、箱から目を離さず口を開く。 「ソアンさんは、相変わらず早いんだ」 「ああ、帰ってこない時も多いし」  仕立屋であるルシアの父親は、納期が迫ると留守にすることも多い。そうなるとルシアは、再婚相手の継母と二人きりになる。  その気まずさはいくら鈍感なレオンでも想像できた。  レオンはそこで、自身の胸ポケットの中の存在を思い出した。手を突っ込み引っ張り出すと、小さな紙に包まれたキャンディが手の中に転がる。 「ルシア、はい」  差し出すと、ルシアは眉を上げてレオンの掌から丸いキャンディをつまんだ。 「なんだ、これは」 「キャンディ」 「それくらい知ってる。お前、こんなもの持ち歩くような男だったか」 「……調べ物してると、食事に間に合わないことが、あるから」  甘いものを食べると、少しだけ、空腹が紛れる。  レオンがそう言うと、ルシアは納得したような表情で笑う。 「ありがとう」  そう言って包み紙を剥がし、淡いミルク色の飴玉をルシアは迷わず口の中に放り込んだ。  その様をじっと見つめながら、家に朝食を食べに来ればいいと言いかけてやめた。  きっとルシアは断る。彼は意外にも、他人に頼ることを是としない。  レオンは箱を見下ろしながら、考えた。  明日、使用人にサンドイッチを作って貰いそれを持って行こうか。朝の馬車でルシアに渡せば、彼は腹を空かすことはない。  いいや、結局これも迷惑をかけるからと言って受け取らないかもしれない。  いっそのことルシアの部屋に誰にも告げず、朝食を置ければいいのに。誰が置いたのか分からなければルシアの父親が置いたことにもできる。  ということは──転移魔法で、物体転移を施せば、彼は飢えることはないのでは。 「発情期の兆候って本当にあるのかな」  発情期。  そうか、ルシアも十六だ。  発情期がいつ来てもおかしくはない。専用魔法石に保護された部屋では、通常の転移魔方陣は発動しないはずだ。そうなると、発情期の時は食事を届けることはできない。  それでは、意味がない気がする。 「僕に合うアルファなど、本当に存在するのか。今のところいいアルファは一人もいない」 「……うん」  魔力の気配をなくす転移魔法を可能にさせるとしたら、ベータも扱える特別仕様の魔法石が必要だ。  魔力が無い者でも決まった手順を踏めば、あれらは発動するようになっている。  レオンは箱の内部に施していた魔法を止めた。いつの間にか、馬車が停車している。 「レオン、キャンディをありがとう。でも、明日からは要らないぞ。キャンディでも他の物でもだ」  レオンは驚いた。彼はなんて鋭いのだろう。考えていたことが筒抜けだ。 「ちょうど体型維持にもいいと思っていたしな。僕は、女性のように小さくもないし背も高い方だし、これ以上育っても困る。それに、甘い物は肌にも悪い。大体、朝食を要らないと彼女に伝えたのは僕だ。だから、気にするな」  そんな風に言われては、レオンも頷くしかない。  ルシアは素直に頷いたレオンを見て、満足そうに馬車を降りた。  その背をしばらく見つめ、そうしてレオンはおもむろに馬車を降りた。  手元の木箱は元々違う魔道具を作ろうとしていたが、レオンの頭の中は既に物体転移でいっぱいだった。  魔法石に転移魔方陣を組み込めたら、ルシアの助けにもきっとなる。オメガの発情期はとても辛いと聞いているし、それに怪我や病の時にも。  知らず指先に力が入り、レオンは逸る気持ちのまま足を踏み出す。  転移についての魔術書を探さねば。  顔を上げると、ルシアの華奢な背は既に小さくなっていて、追いつけそうにもなかった。  元々レオンは、一つのことに夢中になると他が疎かになってしまう気質である。  あの日から毎日魔術書を読み、街へ繰り出しては様々な魔道具を買い集め、その仕組みを理解しようとしているが、やはり特殊な魔法石等に使用される呪文構築は解読できぬものも多く、読めても今のレオンにはさっぱり理解できぬものばかりだった。  これは転移云々の前に魔法石を先に理解せねばならず、レオンは黒魔法学の教師に紹介され、魔道具研究を専門としているベランジェの元へ時折通うことになった。  魔道具研究学は専門学部生になってから選択できる科目だが、必須科目ではない。  中学部のレオンが学ぶには色々な意味で早かったが、ベランジェは嫌がりもせず自身の暇な時に研究所へ来ることを許可した。  優秀な生徒に年齢は関係ないと言われたが、レオンは自分自身が優秀ではないのを知っている。  恐らくアルファでありながら他に特筆したものがないレオンを、黒魔法学の教師が慮ったのかもしれない。  なんにしろ魔道具研究を本格的にできるのは嬉しい。中学部の今は魔法学以外の授業もあるため、あまり時間は取れないが、それでもやりたいことに集中できる時間はレオンにとって生きる喜びに繋がる。  幼い頃から周りのアルファが好むような剣術魔法学は嫌いだし、対象を癒やす白魔法学も動物と触れあわなければならないので苦痛だった。  それらは常に落第点ぎりぎりの成績で、アルファらしくないと周囲から馬鹿にされても、好きでもないものに時間は割けないので仕方がない。  譲れないこの性格をルシアは「頑固」と表現し呆れていたが、そこにはいつも侮蔑の意味は含まれていなかった。  レオンはそんなルシアを良き理解者として捉えていた。

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