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第十五話◇レオン
◇
「コレットは見た目はいいよな」
「つがいになるとしたら御免じゃないか?」
「言えてる」
「ああいった生意気なのも、僕は嫌いじゃないけど」
「お前、許婚がいるだろ」
剣術魔法学の実習のため大広間にやってきたレオンは、ルシアの名を聞き足を止めた。
ちょうど目の前で三人のアルファ男性が佇み、廊下を横切っていくオメガ達を見て勝手な事を言い始めたようだ。
中学部校舎の中庭に当たる円状の大広間には、レオンを含めアルファの男女が続々集まっている。
緩やかな円を描いた大広間に沿った渡り廊下は、南棟、北棟へ続いている。
そこへ移動するオメガ達の中に、ルシアの姿があった。
柔らかそうな薄茶色の髪が頬に影をさし、小さな唇はきゅっと引き締められ、ほんの少し鼻先を突き出すように正面を見ていた。
背筋を伸ばし凜と前を向き歩く姿は堂々として、後に続くオメガ女性とは全く違う。すらりと伸びた手足は細く、身長こそアルファほどないものの、確かに男性だとわかるそれで、それがまた彼の美しさを一層引き立てていた。
レオンはぽかんとルシアを見つめ、慌てて口を閉じた。
十七を間近にし、ルシアは一層綺麗になった。
近頃はいつ来るか分からぬ発情期に備え、真剣に恋人になるアルファを探しているのだと言う。
ついこの前も、上級生に声をかけられているのを見たばかりだ。この年頃のオメガに声をかけるアルファは軽薄そのもので、オメガ女性からも袖にされる存在だが懲りない者は多い。
その上ルシアは周囲にあまり好かれていない。常に上から目線の彼の口調に、女王様、なんて陰で揶揄されているのも知っている。
そんなルシアに声をかける者など、こういった下心だけの人間ばかりで、正直レオンは気が気でなかった。
「黙ってれば可愛いし、発情期だけ相手にしてくれればよくないか?」
「お前、中々非道だな」
「だってあいつ、婚約もしてなければ恋人もいないだろ」
「でも万が一惚れられたら、もの凄く面倒そうだ」
「ああ、僕が来いと言ったらすぐ来い! とか言いそう」
「何言ってるんだ、ああいうのに限って惚れたら素直で従順になったりするんだよ」
きっとすぐに自分から強請って──。
レオンはその場から一歩引くと、地面に落ちていた小石に呪文を唱え、魔法で彼等に投げつけた。
コッ、と背に当たったそれに彼等が一斉に振り向くが、既にレオンは大広間の片隅に移動している。
犯人捜しが始まった頃、教師がやってきて剣術魔法学の授業が始まった。
剣術魔法学は黒魔法学を基礎とする魔法学だ。
それに体術と攻撃呪文が加わり、剣の扱いと防御を練習する。
目的は攻撃と防御の詠唱速度の鍛錬で、レプリカの剣を振りながらいかにその剣に早く攻撃魔法を付加し振るえるか、そして防げるかを競争し合う。
一対一で対面し、先に剣を落とし倒れた方が負けだ。
教師は生徒達に剣に付加する基礎魔法を教え、どれだけ早く相手の剣を落とせるか勝負させるという授業をしばらく繰り返している。
レオンは既に三人の生徒に剣を落とされていた。
元々剣を握るのも嫌いで、防御呪文も早く唱えられない。
レオンが自身の剣に炎を纏わせそれを振るう頃には、既に相手が攻撃を仕掛け、防御呪文が間に合わず叩き落とされている。
四人目の相手はレオンが剣を落としても尚攻撃してきた。
剣に付加された衝撃派をまともに食らい、レオンは後ろに吹っ飛ばされた。
防護壁に背を強打し尻餅をついたレオンの前に、相手の男が近くまでやってくる。今にも唾でも吐きそうな見下した瞳だ。
「お前、さっき俺に石を投げたよな」
確かに、男をよく見ると先ほど下品な会話をしていた三人の中の一人だった。
レオンはのろのろと立ち上がり男を見据える。
「出来損ないの癖に調子に乗るなよ。それともなんだ、あの女王様に惚れてるのか?」
「……」
「は、あんなオメガのどこがいいんだ」
次にわざとらしく、男は思い出したような素振りをした。
「──ああでも、そういえばお前ら、よく一緒にいるなぁ。でも、お前はあいつの恋人じゃない。あいつはまだ匂いつきじゃないもんな。それもそうだ、お前みたいな負け犬アルファなんて、いくら性悪女王様でも願い下げだろ」
レオンが何も言わず黙っていると、相手は満足したのか笑って踵を返した。
すかさずその背に攻撃呪文を唱える。
呪文はすぐに発動し、見えない強風に押されたような体勢で男が前に吹っ飛ぶ。
地に転がった男を見て、ふう、と胸がすく思いで顔を上げると剣術魔法学の教師が鬼の形相で怒鳴りつけてきた。
「シュヴァリエ! 今は剣術の授業だ! 背を向けている相手に攻撃呪文を繰り出すなど……っなんて下劣で卑怯な!」
転がった生徒は他の仲間に助けられていた。
その口元が微かに緩んでいるのを確認しながら、レオンは教師に向き直る。
「……でも先生、勝負に卑怯も何もないはずです」
だから、まだるっこしい剣術は嫌いだ。
「──っ馬鹿野郎! あとで、私の部屋に来い!」
教師の怒りは今までにないほどで、レオンはその日暗くなるまでひたすら防御呪文を唱えさせられては、教師の繰り出す剣術攻撃を受け止める罰を食らった。
そういった事が珍しくもなくなった頃、レオンはルシアの匂いが微妙に違う事に気付いた。
アルファは、オメガの匂いを大小なりとも嗅ぎ分ける。体臭と言われればそうだし、フェロモンと言われればそうだ。
その上、オメガが発情期をアルファと共にするとそれすら嗅ぎ分ける事が出来る。そしてその相手も、知っている者ならなんとなく予想がつくのだ。
ルシアからはいつもレオンが安心できる匂いがする。
特別に甘くもない、かといって不快感もない。彼の香りは常にほんのりと漂っていて、ルシアの根の優しさを表しているようだった。
その香りが甘く変化し、いつもより強いと感じた翌日、ルシアは学校を休んだ。次の日も、その翌日も。
さすがのレオンもそれが何なのか気付いた。
発情期。
あの微妙な匂いの変化は、発情期によるものだ。
レオンはそれまでのルシアとの会話を思い出し、彼にそういった相手がいないことを強く願った。
──ろくなアルファはいない。
──どいつもこいつもくだらない人間ばかりだ。
確かルシアはそう言って、直前まで嘆いていた。
彼が発情期を共にしたいと思えるアルファがいないと嘆く度、密かにレオンは自分も省かれていることに落胆していた。
冷静に考えれば、ルシアが自分を選ぶことはないと分かっている。
他のアルファのように見目も良くなければ、人付き合いも苦手だ。成績だって良くはないし、体力もさほどない。剣術は嫌いだし、白魔法学なんてもっての外。人助けに興味もなければ、そもそも人間自体どうでもいい。
レオンの世界は広くない。家族とルシア、そしてルシアの家族。
彼等さえ幸せでいれば、それ以上世界がどうなろうと知った事ではない。
だが、ルシアに発情期が来たとなればさすがのレオンも動揺した。
彼が自分を選ぶこともないとは分かっていたが、かといって他のアルファを選ぶルシアを見たら平静ではいられない自信がある。
けれどそれをどう伝えればいいのか、レオンには分からなかった。
なぜならルシアの世界に、自分はいつも、いないのだから。
そんな焦燥をよそに、数日後ルシアが登校してきた。
朝の馬車では会えなかったが、どうやら遅れてきたようだ。
ちょうど白魔法学の授業で、二人が顔を合わせることができる時間でもある。
レオンに気付いたルシアは、少しやつれてどこか気怠そうに笑みを作ってみせた。その愁いを帯びたような表情は大人びていて、レオンはどきりとした。
当然、発情期明けだろうと確信しているが、それを言葉にする意味はないので黙っている。
それよりも彼を目にした瞬間、ずっとそわそわとしていた気持ちがようやく落ち着いたのが分かる。
ルシアの匂いが以前となんら変わっていない。
レオンは心の底から安堵した。
「こいつ、不細工だな」
白魔法学の課外授業は、校舎裏にある木々に囲まれた一角で行われた。
長年の雨ざらしを受け朽ちかけた木の机はどれもささくれだっていて、更に動物に傷をつけるのではないかと本末転倒な思いが巡る。
初夏の穏やかな風が時折ふいて、ルシアの繊細な髪を揺らしている。
木漏れ日があたる机の前で、レオンは随分優しい悪態をついたルシアを見た。
対象の灰色ウサギは丸々太っていて、前歯が口からはみ出ていた。どう見ても図太そうな生物だが、ルシアは存外優しげな仕草で彼をそっと机に置く。
ウサギは籠から出されたことに憤慨しているのか、終始興奮した様子であちらを振り向き、こちらを振り向き、すべてに警戒している。
まるで世界の終わりに直面しているかのようだ。
暴れるウサギに好き勝手にされながらも、ルシアがそっとウサギの前足を持ち上げると、きゅい、と聞いたこともない声を出した。
「……ウサギって鳴くの」
「死に物狂いだから断末魔に近いんじゃないか」
自分で言った発言に、ルシアが笑う。
必死なウサギは抗議をするようにバタバタと手足をかいたが、ルシアはそれに口元を緩めるだけで相手にはしていない。
「──ここにいる灰色ウサギは縄張り争いで喧嘩したものや魔獣に襲われた個体になります。皆の手元の彼等は、命に別状はないものの、なにかしらの怪我を負っています。その怪我を見つけ、治療に当たってください」
白魔法学の教師が拡声魔法を使いそう指示すると、それぞれの生徒達が自分の手元の灰色ウサギに魔法をかけ始めた。
ある者は暴れぬように押さえ、ある者は呪文を紡ぐ。
いつもの白魔法学の様子だが、生物が相手となるとその騒ぎは通常とは異なる。
レオンはそっとウサギの前足を握ったルシアを前にし、気もそぞろにこの毛玉の容態を確認した。
「……お前な、そんな見方で何が分かるんだ」
「怪我、耳だけじゃないの」
「よく見ろ、腹も痛がってるだろ。あ、こら、不細工、じっとしてろっ」
もいもいと両足をかいて逃げようとしている灰色ウサギは、治癒や治療など知った事ではないのだろう。
灰色ウサギは主に森や林に生息している、この国では一般的な動物だ。個体数も多く、森に行けば彼等の姿を見ることも珍しくない。
天敵は主に肉食動物と魔獣で、捕食動物として有名である。
白魔法学の講義でよく治療対象として登場する生物だが、レオンはとにかくこの生物が苦手だった。
講義中は大抵二人一組になり、一方が怪我を負った部分を探しだし、一方が治療に当たるという流れが一般的だ。
レオンがルシアと組むのも、既に片手は超えているが、生き物が苦手で白魔法学に興味のないレオンにとってこの時間はほとんど無駄だと言っても過言ではない。
実際、毛玉に触れるのすら躊躇うレオンに呆れ声でルシアが「鎮静呪文を唱えろ。これでは耳どころか足すら見せてはくれないぞ」とレオンに指示し、その呪文がなんだったのか教科書を開いているうちに、痺れを切らしたウサギが暴れ回るので、ウサギを押さえつけているルシアがさっさと呪文を唱え、さっさと治療方針を見いだして、そして結局ルシアが治療魔法をかけて終わる、なんていう流れを繰り返している。
ルシアの白い手はウサギに蹴られたり噛まれたりで血が滲み、レオンも下手に押さえつけようとしたせいで指先を容赦なく噛まれて傷を負っていた。
「鎮静呪文は初歩中の初歩だぞ、いい加減覚えろ」
「うん」
「ウサギの解剖図は見たのか? 内臓の位置も骨の位置も理解してないうちに再生呪文を唱えても、効果はない」
「……うん」
生返事を繰り返したレオンに気づき、ルシアがこちらを見上げる。
二人は数秒間見つめ合ったが、ふっとルシアが息をついた。
「まったく、妙な道具にばかりかまけて他を疎かにしすぎだ。白魔法学の単位を落としたら面倒なことになるんだぞ」
「うん」
言いながら、ルシアがそっとウサギを籠に戻した。
治療され鎮静呪文も解除されるとウサギは恩を仇で返すとばかりに再び暴れ回っていたが、籠に入れ蓋を閉めると物音一つしなくなった。
ルシアは腰に手をやり一息つくと、次にレオンの手を掴み上げた。
ぐい、と引き寄せられ驚いて身を引くが、今度は打って変わりそっと右手を両手で持ち上げられる。
レオンは自身の指を見て思い出した。人差し指から一筋の血が流れている。
そう言えば先ほど、ウサギに噛まれていた。
「人の身体の仕組みも知っていれば、治癒も治療も可能なんだ」
指の骨は三個ある。ここは細かい血管が集中しているところ。
ルシアはそう言いながら、レオンの人差し指に向けて呪文を唱える。
しかしレオンの意識は怪我にあらず。
俯いて傷を癒やすルシアのつむじをじっと見つめ、その先の鼻筋と唇にただ目を奪われていた。
「ほら、もう大丈夫」
「……ありがとう」
指先の意識していなかった鈍痛が僅かに熱を持ったあと、綺麗に消えたのが分かった。
ルシアの治癒魔法だ。
優しい力でレオンの手を掴んだその指先、ウサギに噛まれてもじっと耐える、その精神。
──彼が性悪だなんて、皆誤解している。
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