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第十九話◇レオン

◇  剣術魔法学の単位は今年もなんとか落とさずに済んだ。  先ほど防御呪文が間に合わず肩を強打したのもあり、そもそもこんな魔法学など滅びて欲しいと心から思っているが、ひとまずは安心だ。  痛む肩に眉を顰めながら次の講義室に向かっていると、ふと、すれ違う生徒達がどこか色めき立っているのに気付き、レオンは足を止めた。  静かな喧噪を起こしているのは小中学部生が主なようで、彼等の視線の先には男子生徒が二人、開かれた中庭を眺めながら話をしていた。  一人はすらりとした手足に小さな頭を乗せ、形の良い唇を控えめに動かしているルシア・コレットだ。隣の人物に話しかける度、彼のさらりとした薄茶色の髪が顎に流れていく。  傍らに立つのはルシアより幾分か背が低いが、同じように華奢な印象の男子生徒だった。  大きな榛色の瞳と栗色の髪は特別に珍しくもないが、その造作は人目を惹くほど整っているため、意識せずとも目を奪われる。ディライト・マーレイだ。  校内でも数少ないオメガ男性である二人がこうして並ぶと、どうしても注目される。ましてや二人とも抜きん出た美貌の持ち主であることは間違いないので、足を止める生徒達の中には懸想する者もいるだろう。  専門学部生となり、すっかり大人びた二人が、以前までは犬猿の仲であったのは有名だった。  だがある日突然、彼等は言葉少なにだが会話をするようになり、傍から見れば因縁関係が氷解したように見えた。  当時その噂は瞬く間に広がり、遂に二人が和解したとちょっとした騒ぎになったほどだ。  レオンも例に漏れず、驚いてルシアに問い質した記憶がある。  彼はレオンの焦りに訝しながら「ああ、帰りの馬車で一緒になってな。そこで落ち着いて話をしてみたら、案外いい奴だった」となんともサラっとした答えが返ってきた。  レオンは納得いかない気持ちを持て余しながら、それ以上は何も言えず、ただ頷くに留めた。  モヤモヤする気持ちがなんなのか分からず、しばらくは混乱したが、結局それはルシアが自分以外の誰かと親しくするのが不快なのだと気付いた。所謂嫉妬だ。  自分の嫉妬心を自覚した今は、そういった感情をなるべく無視するように心がけているが、ルシアと友人のように接するディライトを受け、それまで遠巻きにしていた者達までルシアに近付くようになったのは面白くない。  彼がそれを拒絶しないとなると、揶揄っていたはずのアルファ達もディライトの友人であるオメガ達もルシアに突っかかる事も次第になくなった。  逆に過去のことがなかったかのように気安く絡む輩もいて、レオンは気が気でない思いを何度もしている。  だが、当の本人がそれを受け入れていれば、何も言えまい。  結局レオンは腹の中で渦巻くきりのない嫉妬を押し込めて、ルシアを取り巻く人間達を遠巻きに眺めることにしていた。 「あ、ルシアさんじゃないですか」  少し高めの声がしたと思えば隣に現れた人物に、目線を下ろす。  黒髪のつむじが見える身長差の彼は、近頃よく視界に入れているシルエットである。  中学部生のユーゴ・マルティネスだ。 「ディライト様もいらっしゃる。お二人とも、いつ見ても凄く綺麗だ」  感嘆の声を上げたユーゴは、うっとりとした眼差しで彼等を見た後、レオンを仰ぎ見る。目が合ったレオンは頷いて、やはりルシアの美しさは自分だけのものにはできないと実感した。  ユーゴ・マルティネスはつい最近、魔道具研究学部の自由研究に加入した者だ。レオンがそうであったように、専門学部生となる前に研究部員としてベランジェに歓迎された彼は、同じ魔道具好きの生徒である。  魔道具研究学を専攻し更にベランジェに気に入られる生徒は、レオンのようにあまり活発的ではないタイプが多い。しかしユーゴはその反対を行くような性格で最初の方はレオンも困惑してばかりいた。  まず、自分に臆することなく話しかけてくるのも、彼がまた稀有なオメガ男性であることにも、更には年下であることにも戸惑い、今の今までまともな友人すらいなかった自分に、なぜ執拗に構うのか理解できなかった。  だが、ユーゴは前から自分と話してみたかったのだと笑顔で伝えてきた。  幼い頃から家族の影響で魔道具が好きだが、なにぶん今の自分の周りには魔道具好きな友人が一人もいないからだと。 「レオンさん、いつも小さな箱抱えて図書室にいらっしゃったから、もしかして魔道具好きなんじゃないかって思っていたんです。でも僕、オメガだし年下だし、さすがに声をかける勇気がなくて……。だから今回ベランジェ先生にお誘いいただけて、これでやっとお話しできるって嬉しかったんです!」  ユーゴはそう言って屈託のない笑顔を浮かべ、これからよろしくお願いします。と元気に挨拶をしてきた。  年齢差もあり講義を共にすることはないが、研究室で顔を合わせる度色々話してくれる彼に次第にレオンも慣れた。 「知っていますか、レオンさん。魔道具制作所で働いている人の大半は、ベータの方達なんですよ」  ユーゴの祖父は繋道石を主にした魔道具を製造販売する会社を立ち上げた人物らしい。  親族の影響で幼い頃から魔道具を傍らに育ったというユーゴは、当然レオンに知り得ない現場の情報も持っていた。  ユーゴの祖父が経営する魔道具製作所は、ベータが主に企画や設計制作に携わり、魔法石に術式を組み込む専門技術はアルファ達が担っているという。 「ベータの方々は魔法を使えない分、僕等が思いもつかない発想を沢山持っているんです。ですから祖父は、彼等の意見を一番尊重していると言っても過言ではないくらい大事にしていて、実際それで特殊な魔法石を開発したくらいなんですよ」  社会に出れば、ベータの人々と否が応でも関わる。  ここで過ごしていると忘れがちになってしまうが、人類の大半は魔法の使えぬベータで占められ、少数なのはこちらの方だ。そういった社会構成を魔法学校に入ってしまうといつの間にか失念してしまう。  だからユーゴは、祖父の進言もあり十五歳まではベータが通う一般の公立学校に通っていたという。  レオンにとって、ユーゴの話はいつも新鮮で飽きないものだった。  ベータとの関わりも、魔法が使えぬ故に彼等が試行錯誤した便利な道具も、何もかもが面白く、興味深い。ユーゴが公立学校時代にベータ達と共に作った玩具や装置を見せて貰うのも、今となっては楽しみの一つになった。 「それで、ルシアさんとはどうなんですか?」  ルシアにはレオンの匂いがついている。  同じアルファならすぐに分かることで、その上で校内でもルシアの恋人がレオンであることは知れ渡っていた。  といっても、その内情が実は付き合っていない、ただの発情期相手だと確信を持って知っているのはユーゴだけだろう。  意外にもルシアはそういったことを他に喋らないタイプなようで、以前面と向かって「シュヴァリエと付き合っているのか」と名も知らぬ生徒に聞かれた時は「お前には関係ないだろう」と一蹴していた。  ごもっともな答えに、それから彼に誰も訊けずにいるのか、匂いがついているからそれが答えだろうと受け取ったのか、レオンもそれからルシアの事で揶揄されることもなくなった。  だが、ユーゴは違う。 「あんなに綺麗な方が恋人だなんて、レオンさんがすっごく羨ましいです! 絶対に離しちゃだめですよ、絶対に!」  なんて勘違い丸出しで言われてしまえば、レオンとて居心地が悪い。  しばらくは適当に流していたが何度もルシアと付き合えて羨ましいと言われてしまうと、「付き合っていない」と事実を述べることになってしまった。  ユーゴは大層驚いたようで、 「え、でもずっと傍にいらっしゃいますよね? 少なくとも僕が転校して来た時から、お二人が一緒にいるところ何度も見ましたし」 「……幼馴染みだし、互いにろくな友人もいないから」 「で、でもレオンさんはルシアさんの事好きじゃないですか! いつも見てるし、ルシアさんだけには優しいし」  カァ、と顔面に血が上るのがわかり、レオンは視線を逸らした。  耳まで真っ赤になった自覚がある。  ルシアに片思いしているのがまさか第三者にバレているだなんて、心外である。そんなにわかりやすいつもりはなかったが、確かに特別に隠そうとしていたわけではない。  見る人が見ればすぐに分かる態度だったのかもしれない。  しかし当の本人はあの頃から一切変わっていないのだ。  発情期の度に飽きるほど抱き合い、愛情のこもったくちづけを交わしていると思っても、それが終われば夢から覚めたように何もなかった頃に戻る。  ましてや定期的に「好いた相手はできたか?」と聞かれてしまえば、それ以上のことをルシアに望めない。  逆にそれが彼の答えだと理解しては、身体を重ねると愛溢れるような態度にもしかして、と期待をもってしまう。  何度もそんな事を繰り返しては、それでもルシアと離れる事は想像するだけで苦しくて考えられず、関係は変わらぬままだ。  そんなやりとりがあってから、多くを語らずともユーゴには分かったのだろう。  ルシアとは、決して恋人同士ではないが、レオンの心はルシアにあることも。  それからユーゴには時折こういった事を聞かれるのだ。  ルシアさんに思いを伝えましたか? と。 「俺達のことは、気にしなくていい」  我に返すような事ばかり言うこの後輩が、時折鬱陶しく感じるのも致し方ない。  だが、ユーゴはそんなレオンの言葉もものともせず、知らぬ存ぜぬな顔をして続けるのだ。 「来年は卒業ですよ? 僕、一昨日ルシアさんが言い寄られていたのを見たんです。相手は十二年生のアルファで、大人っぽくて落ち着いた雰囲気の方でした。すごく穏やかでルシアさんもさほど嫌がってないように見えましたけど」  レオンは思わず前方のルシアとディライトから目線を外し、ユーゴを見下ろす。  聞き捨てならない言葉の羅列に身体に力が入るが、ユーゴの口角が僅かに上がっているのに気付き、すぐに視線を戻した。  ちょうどルシアがディライトとの話を終え、その場から去って行く様が見える。  颯爽と廊下を歩くルシアの背は、いつ見ても真っ直ぐで堂々としていた。  ユーゴは純粋無垢そうな顔をしているが、その実、意外と冷静で辛辣だ。  恋愛経験も少なからずあるのか、レオンとルシアの身体だけの関係をもどかしく感じているようで、時折こんなことを言ってレオンを試している。 「取られちゃったら、どうするんですか」 「……ルシアは、好みのアルファがいないって言ってた」  好いた相手はできたか?  そう聞かれる度、同じ事をレオンも返してきた。  レオンがいないと答えるとルシアも「僕もだ」と肩を竦め、「理想が高いとディライトに言われた」なんて言って笑っていた。 「分からないですよ。ルシアさんのお眼鏡にかなうアルファがいつ現れるかなんて」 「小さい頃から知っている人間ばかりだ。今更だ」 「何言っているんですか。レオンさんだってルシアさんのそういう対象じゃなかったでしょう? でも今は発情期の相手になっている。ということは、他の人にだってレオンさんの役割を担う可能性があるって事じゃないですか」 「うるさい」  腹が立って黙らせようとするとユーゴは口を尖らせた。 「僕はただ、後悔する前に行動しろって言っているだけですよ」 「余計なお世話」 「そんな事言って、図星だから怒ってるんですよね」 「ユーゴは、お節介がすぎる」  ルシアとの関係のすべてを彼が知るはずもない。  きっかけは確かに発情期の相手になることだ。今だってそれは変わらない。  だが身体を重ねる度に心が通う感覚を他人が分かるはずもない。  飽きるほどくちづけをしたり手を繋いだり、抱き合ってくだらない会話をするあの穏やかで満たされた時間をユーゴは知らない。  恋人にして、と頼む事を避けているのは事実だ。  そんな事を言ってルシアが本当に目が覚めてしまったらどうする。自分のような冴えないアルファといつまでも関係を続けてはいけないと我に返らせてしまったら。  そんな賭に出るほどレオンは自信家ではなかった。  だが、何よりも彼を信じている部分が大きい。  ただの発情期相手ではないとルシアの態度で感じているからこそ、確証などなくともこのまま互いに大人になり、ずっと隣にいられる可能性に期待している。 「分かりましたよ。レオンさんがそれでいいなら、僕からも何も言うことはありません」  わざとらしく溜め息をついたユーゴは、そう言って「じゃ、次の授業に行きますので」と踵を返した。  その小さな背を見送りレオンもまた黒魔法学の講義室へと向かうため、足を踏み出した。

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