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第二十一話◇レオン
◇
休日をユーゴに捧げる羽目になったのは、恋人に手渡す贈り物を一緒に選んでほしいと強引に押しきられたせいだ。
「レオンさん、しょっちゅう街に行ってるみたいだし、可愛いものとか綺麗な物に詳しいでしょう。僕、そういったものはさっぱり疎くて」
ユーゴに恋人がいるとは知らなかったが、その物言いからして相手はルシアのような趣味があると知れる。
確かにレオンは、思いもしない魔道具といつどこで出会うかしれないと街中の店という店に一度は入った経験がある。
それに、渡す渡さないは別として可憐で綺麗な物を好む幼馴染みを思えば、そういったものがどこにあるのか自然と把握するまでになっていたのは事実だ。
「卒業まであと少しじゃないですか。採用も決まったし、最後くらい僕に付き合ってくださいよ」
頬を膨らませるユーゴは、顔立ちからあどけなさを装うのがうまい男だがその内実は違う。
レオンはなぜそんな顔を自分に向けるのかと呆れたが、最後という言葉に頷けるものもあったし、彼には世話になったのも事実なので渋々だが了承した。
「終わったら僕の家で食事はどうですか。母が用意してくれます。彼女は料理を他人に振る舞うのが好きなんですよ」
「遠慮する」
「そう言わずに。一方的に買い物に付き合わせて、用が済んだらさよなら、なんていくら僕でもしませんよ。母の料理は前菜からデザートまで完璧ですよ。レオンさん、成人してますよね? ワインもどうですか」
「法律的には来週なら飲んでもいいけど、行かないから気にしなくていい。これが終わったら研究室に向かう予定だし」
「もう、つれないなぁ……。って、来週? 誕生日、来週なんですか?」
「そう」
王都の中心街というだけあって、そこは人々で溢れていた。二人は先ほど一軒の雑貨店に入ったが、ユーゴのお眼鏡にかなうものはなく、二軒目を目指しているところだ。
二十歳で卒業が決まっている魔法学校は、誕生日が早い者から飲酒が可能になる。
しかしレオンが成人するのは、ちょうど一週間後だ。「おめでとうございます」とユーゴが祝いの言葉を口にした。
頷いて、向かいから歩いてくる人々を避けるために顔を上げる。
そこに、ルシアの姿があった。
「あれ」
立ち止まったレオンに気付いたユーゴも、足を止める。
前方には、私服姿のルシアと背の高い見知らぬ男が一緒にいた。笑顔で話す男とは対照的に、ルシアは少し不機嫌そうだ。
拗ねたような表情で俯き、小さく頷きながら怪訝そうに眉根を寄せ、そうして男を見上げ目を細めている。
どこか呆れたようにも映るそれは、相手との関係を示しているように見えた。
つまり、彼とルシアは、初対面ではない。
心臓が早鐘を打った。
男がルシアの腰に手を回し、引き寄せる。
向かいの人間を避けるためだったようだが、レオンにはそうは見えない。
「……彼氏、ですかね」
全身から血の気が引く感覚がした。
ユーゴを見下ろすと、珍しく他意はなかったのか気まずそうに目を伏せられる。
次に顔を上げた時、ルシアと目が合った。
目を見開く彼より先に、隣にいるユーゴが駆け寄っていく。
「ルシアさんも買い物ですか? 僕たちも、買い物に来ていて」
今気づいたとばかりのユーゴの態度は、レオンも感心するほどだ。
先程不穏な言葉を零した同一人物とは思えぬほど、明るい口調で続ける。
「レオンさんがもうすぐ誕生日なので、プレゼントを贈りたくて。でも僕だけじゃ何がいいのか分からないし、折角だから本人に選んで貰おうと思って引っ張ってきたんですよ」
すらすらとそんなことを言ってのけたユーゴの言葉が一瞬理解できず、レオンが適当に返答すると、ユーゴは媚びたような声を出した。
不快に感じ思わず見下ろすが、すぐにルシアを思い出し顔を上げる。
彼の瞳が驚いたように丸くなっていた気がしたが、勘違いかもしれない。それきり彼はこちらを見ようとはしなかった。
しかし隣の男に視線を移したユーゴが驚きの声を上げると、その男は面白そうに眉山をあげて、レオンを見てくる。
抜けるような白に近い金髪に、澄んだ灰の瞳が興味深そうに輝きを放っていた。どこか探るような眼差しを怪訝に思うが、ルシアの匂いに気付いたからかと思い当たった。
レオンは礼儀正しく男の視線を受けたが、それは逆に彼をよく見る羽目にもなる。
随分と整った顔立ちの青年だ。
年は上のようだが、そこまで離れているようには見えない。しかし纏う空気はどこか鋭利で重く、そして余裕があった。
どこかで見たことがある気がしたが、興味はないので記憶の海を探る事はしない。
そんなことより、ルシアがなぜこの男と時を共にしているのか大事だったし、知る必要がある。
だが、周囲の人間が色めき立つような声を上げた事で、彼等の関係は確認できなかった。
男が慌ててルシアの腰を抱き、転移魔法でこの場を去ったからだ。
彼らが消え去ったことで、周囲は更に興奮状態に陥っている。
絶対にシリルだったとの声と、相手は恋人なのか、との声と、有名人に会えた喜びと興奮……。
「レオンさん、行きましょう」
ユーゴに腕をひかれ、レオンはそこから抜け出した。
親しげにルシアの腰を抱いたあの男は、いったい何者だ。
いや、誰であるかが問題なのではない。ルシアとの関係が何なのかが問題だ。
「すみません、変なことを言って」
「ああ」
そういえば、そうだ。
目的はユーゴの買い物の付き合いで、レオンの誕生日には関係ない。
意図がわからず続きを促すと、ユーゴは試験に失敗した時のような顔をした。
「ルシアさん、驚いていた気がするけど、勘違いだったかも」
「なに」
「少し反応を見たかったんです。その様子じゃあ、進展していないと感じたので」
「進展?」
ユーゴは少し怒っているようだ。
「僕、言いましたよね。恋人にならないんですかって。ルシアさんを他の人にとられちゃってもいいんですかって、今まで何度も」
レオンは黙った。
「あの人、誰だか知っていますか。シリル・アンジュール様です。この国を代表する偉大な黒魔道士で、アンリ様の従兄にあたる方。つまり王族で、彼はアルファで、しかも独身です。あの見た目で身分も職も超一流。お察しの通り色男で、今まで女性とも男性とも何度か噂はありました。そのどれもがオメガの方です」
アンリ・トーレーヌの従兄。
今は魔法学校を卒業し、その姿はないが、数年前までは校内でもっとも人気があったアルファ男性。
レオンも何度か授業を共にしたことがある。
言われてみればあの男とどこか似ている。見た気がしたのはそのせいなのかと納得した。
「ルシアさん、あの方と随分親しげでしたよ。何も、聞いていないんですか」
「……聞いていない」
ユーゴの声音はどこか急かすようなそれで、レオンは彼の言わんとしている事にようやく気付いた。
つまり、完璧なアルファとルシアは出会った。
出逢っていた。
その瞬間、夢から覚めたような衝撃が走る。
たまらずに、レオンは足を動かした。
大股で歩くレオンの後ろを小走りのユーゴがついてくる。
道の角を曲がり、花びらをちりばめた看板の下でユーゴに向き直る。
「ルシアは、俺を選ばない」
思い出したのだ。
それは最初から決まっていることだ。
最初から、自分とは発情期の相手というだけの関係だった。
「──レオンさん」
これ以上、話をしたくない。
今すぐ帰って魔術書を開き、あの男が簡単にやってのけた、魔方陣なしの転移魔法についての呪文構築を理解しなければならない。
もっと練習をして見直さなければ。無詠唱で発動する仕組みを、魔方陣なしで目的地へたどり着ける構造を、誰かと転移できる圧倒的な魔力を手に入れ、そうすれば、簡単にルシアを──。
ルシアを、あの男のように連れ去ることだってできたのに。
なんて、馬鹿なんだろう。
なんて、惨めなんだろう。
自分にはルシアだけだった。
ルシアもまたそうだと思っていた。でも違った。一方的なものだった。
ひどい裏切りだ。ルシアは自分と関係を持ちながら、相応のアルファを探し続けていた。
ちがう。
これは裏切りじゃない。だって彼は言っていた。好いた相手ができるまで。
最初から、ちゃんと宣言していた。
「俺、もう帰るね。──この店、そういうものがいっぱいあるから見て」
「……はい。すみません、今日はありがとうございました」
強張った表情のレオンに気付いたのか、ユーゴは引き止めなかった。
怒りのまますぐにでも帰宅したかったが、今帰ったら自室の転移魔方陣の上で呪文を紡ぐ予感がして、レオンは歯を食いしばり予定通り研究室へ足を向ける事にした。
大股歩きで街を歩きながら、ともすると叫びだしたくなる衝動を必死に堪える。
この街のすべてに破壊呪文をかけて壊して回りたい気分だ。
こんなにふざけた話はない。
あんなにも時を共にして、発情期だけではない絆を増やした。これが、砂上の城のように波にさらわれ、一瞬で消え去るなんて、こんなに理不尽なことはない。
どうして彼は自分を選ばなかったのかと、世界中の人間が納得できる言葉がほしい。
休日の校内は普段より生徒達の数は少ないものの、レオンのように研究室に出入りする者達はそれなりにある。
人影もまばらな薄闇の校内を大股で歩いていると、ちょうど目的の人物がそこにいた。
「どうした、レオン」
魔道具研究学専攻の教師、ベランジェだ。
ただならぬレオンの剣幕に驚いているのか、丸眼鏡の向こうの目が見開かれている。
レオンは首を横に振った。
そうしながら研究室に入ると、ベランジェも後についてくる。今し方何かの用事で出てきたばかりだろうに、レオンを前にして後回しにしてくれたようだ。
常に親身になってくれる彼に感謝をする前に、レオンは手渡されたそれを見つめ、またも感情が爆発しそうになる。
先に卒業課題として提出した小箱だ。
中にレオンが細工した繋道石がはめ込まれ、開くと鏡が貼り付いている。
中心の凹んだ部分は二つに仕切られ、小物入れになっていた。淡い水色の布を敷き詰めたのもレオンで、蓋の鏡に至っては魔法石を特殊加工して手作りしたものだ。
「とてもよく出来ている。君がこれを渡す相手を思い、丹精込めて作ったものだとすぐに分かる。先方にも褒められただろう」
先方とは面接先の事だ。レオンは答えなかった。
「文句なしの合格だ。論文も問題ない。さあ、すぐに渡してきなさい。誕生日には間に合わなかったんだろう」
ルシアに渡したかった小箱。
どこにも売っていない、手作りの小箱。
レオンが数年かけて、作ったものだ。
だが、先ほどから冷めやらぬ絶望感にレオンは小箱を手に佇んだ。
「──いいえ、先生」
消え入りそうな声にベランジェも気付いたのだろう。眉尻を下げて囁くように問いかけてくる。
「一体何があった。あんなにも仲が良かったじゃないか」
──いいえ、先生。
ルシアはもう俺を選ばない。
卒業を前に、夢から覚めてしまった。
「これはもう……、渡せません」
ベランジェはしばらく沈黙したが、おざなりに小箱を掴んでいたレオンのそれを自分の手と重ね、小箱をしっかり握らせると、諭すように言った。
「何があったのかは分からない。だがこれは君が何年もかけてあの子にと作り上げた贈り物だ。今すぐじゃなくてもいい。でも、渡しなさい。君が好いたあの子なら、決して無下にはしないはずだ」
不意に涙が零れそうになり、レオンは唇を噛みしめた。
会ってしまったら、「あの男を選んだ」と言われる。もちろん、確実ではない。
でももし、別れを切り出されたら立ち直る事などできない気がした。
きっとそこで死んでしまいたくなる。
信じていた。
ルシアはずっと、他のアルファと時を共にしていなかった。
校内でも、外でも、隣を歩くアルファは自分だけで他はいない。顔の良いアルファも、頭の良いアルファも家柄も性格もそんなものを全部ひっくるめて、どんなアルファでも自分以外を寄せ付ける事はなかった。
それが、今日は違う。
違った。
「いいかね、レオン。君が作り上げたこれは、とても素晴らしいものだ。愛を感じるものだ。その愛を伝える事は悪いことじゃない」
「……渡したくありません」
「レオン」
会いたくない。
話したくない。
だが、このまま手放したら、自分よりも遙かに強くてすべてが揃っているアルファに、嫁いでいく。
祝福など出来ないししたくもないけれど、彼の幸せを考えればそれが一番良い答えなのは分かっている。
ルシアは、明るくて優しくて頼りになる男だ。
人を選ぶかもしれないが、彼の魅力は見えるところにだけあるわけではない。それは自分が一番知っていて、愚かなことに自分だけが知っているものだと信じていた。
その答えがこれだ。
「帰ります」
「……レオン」
小箱を抱え、レオンはベランジェと目を合わせる事なく研究室を出た。
今は何も考えたくなかった。
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