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第6話 誰かのために
「どうした、ため息なんかついて」
「あ、すみません」
いけない、気合いをいれないと、と思うのだがどうも調子がのらない。
「どう歌っていいのか全然わからないんです」
「そのようだな」
沖田にはやはり伝わってしまうのか、苦笑されてしまった。
もう時間があまりない。わからない、などと言っている場合ではないのに。
「やっぱり無難にこっちでいくか。軽快な曲は得意なようだしな」
別の曲を提案されて、それはそれでくやしいような気がする。
一番好きなのは、このバラードの曲なのだ。
「なあ、隼人、この曲のどこが一番好きなんだ」
好き、というより気にかかる部分がある、と早瀬は思う。
『一人で生きる意味を、僕はもう見いだせない』
「そこが好きなのか?」
沖田は意外な顔をする。
他に愛の言葉がたくさんちりばめられている曲なのに、なぜそこが好きなのか、と言いたそうだ。
「僕はずっと一人です。誰かのために生きようなんて思ったことがない」
どうやら広瀬はかなり恋愛経験が少ないようだな、と沖田は気付く。
「隼人は俺が帰ってきたら、黙ってコーヒーを入れるだろう? それはなぜだ」
「それは、翔先生コーヒーが好きだから、飲みたいだろうと思って」
「それだけか」
「疲れてるだろうと思って……それに……」
「それになんだ?」
「コーヒー入れると、翔先生が笑ってくれるから」
沖田は広瀬の顔をのぞきこむようにして、笑顔を浮かべた。
「お前は一人なんかじゃないだろう。そうやって、誰かの笑顔を見ようとするじゃないか。今までそうやって生きてきたんだろ?」
「そうだけど……」
広瀬が周囲の人に気をつかうのはクセみたいなものだ。
両親が亡くなって親戚の家に預けられて育った広瀬は、常に周囲の人の迷惑にならないように気遣って生きてきた。
「好きな人が出来れば、その人のためにもっと頑張りたいと思うようになる。その人の笑顔のためならなんでもしたいと思うようになる」
「翔先生はそうなんですか?」
「そりゃ、俺だって恋をすれば同じさ。男なんて恋人の笑顔ひとつで簡単にあやつられるもんだ」
一人の男として、沖田は大人なんだろうな、と広瀬は思う。
そんな沖田の気持ちをつかむ女性というのはどんな人なんだろう、と少しうらやましく思う。
「お前は恋をした方がいいのかもしれないな……と言っても、今はそんなことしてる場合じゃないが」
沖田は笑いながら立ち上がった。
「今日はもうレッスンは終わりだ。食事をして、ちょっとゆっくりしよう」
「はい、ありがとうございました」
今日の夕食は広瀬が作ったシチューだ。
沖田に食べさせたくて、昼間から煮込んでおいた。
レストランでアルバイトをした時に覚えたレシピで、自信があった。
「うまいな、これ。隼人、料理の趣味があるのか。よく出来てる」
「昔、友達と一緒にレストランでアルバイトしてたことがあるんです。そいつはウェイターをやってたんだけど、僕は厨房で」
「アルバイトか、お前、両親がいないと言っていたが生活費はどうしてるんだ」
広瀬の父親は弁護士だった。
事故で両親を亡くした時に、広瀬は多額の保険金と財産を受け取った。
その財産は父親の親友だった弁護士が管理してくれている。
だから実のところ広瀬は生活には困っていないし、それどころかかなりの財産を持っている。
しかし、広瀬は目立ちたくなかったから、ひっそりと質素な生活をしていた。
お金なんて持っていたら変な友達につけ込まれる、ということは経験済みだった。
遺産がある、ということを誰にも話したことはなかった。
「少し両親がお金を残してくれました。だから食べるのには困ってません」
「そうか。それならいいが……まあ、すぐに稼げるようにしてやる。心配するな」
沖田は優しい。
まるで家族のように自分のことを心配してくれる。
広瀬はそんな沖田のために頑張りたかった。
本当は歌手になれるかなんて、どっちでもいい。
でも沖田の期待には応えたい。
こんなに優しくしてもらっているのだから。
誰かのために頑張りたい、ってそういうことじゃないか、とふと広瀬は気付く。
沖田の笑顔のためなら、頑張れるじゃないか。
恋、とは違うかもしれないけど、今はそれが自分にとって一番大切なことだ。
「映画でも見るか。隼人も少しは息抜きが必要だろう」
「映画……ですか」
「新作、何本かあるぞ。お前はどんなのが好きなんだ」
差し出された何本かのDVDのうちひとつを広瀬は選ぶ。
沖田と一緒に見るのなら、何を見ても楽しいような気がした。
広いリビングには大画面のテレビと、立派なスピーカーがあって、隣には沖田がいる。
広瀬は幸せだった。
家族がいたらきっとこんな風に温かい気持ちになれるんだろう。
「おい、寝てるのか?」
沖田の肩にことん、と広瀬が頭を預けた。
「仕方のないやつだな……」
無防備に自分にもたれて眠ってしまう広瀬を可愛いと思った。
広瀬は自分だけを頼っている。
家族も恋人もいない、芸能界に知り合いもいない広瀬のことをずっと守ってやりたいという気持ちになる。
沖田は広瀬に対して特別な感情を持たないように気をつけていた。
だけど、気持ちというものはそう思い通りにはならないものだ。
沖田は眠っている広瀬の唇に、そっとキスをした。
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