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第7話 前の恋人

 翌朝沖田のベッドの上で目覚めた広瀬は驚いた。  デジャブか……?  初めてここへ来た日のことを思い出す。  昨日は映画を見ながら寝てしまったんだ。  それから夢を見た。  沖田が自分にキスをしている夢。  あり得ないと夢の中で思いながら、それでも目覚めたくない、と思ったのを鮮明に覚えている。  沖田の姿を探すとキッチンにいた。  テーブルの上には朝食のパンとサラダ。 「起きたのか? よく寝てたな」  沖田が笑顔で振り返る。  手にはフライパン。 「あの、すみません……朝ご飯、僕の仕事なのに」 「別にお前の仕事ってわけじゃない。俺だって一人の時は自分で自分のことはやっているんだ。どっちがやってもいいだろう?ほら、皿を並べてくれ」 「あ、目玉焼き」  フライパンには目玉焼きが3つ。 「隼人が2つだ。好きなんだろ?」  沖田が片目をつぶってチャーミングに笑う。 「あの……僕、翔先生のベッドで寝てたけど……」 「添い寝してやったぞ。特別サービスでな」  沖田の冗談に広瀬は顔を赤らめる。  添い寝してくれたなんて。  覚えていないのが残念だな……  だから、キスの夢なんて見たんだろうか。  なんだかリアルな夢だった。  沖田の体温がまだ残っているような気がする。 「早く顔を洗ってこい」  沖田が仕事に出かけてしまって、広瀬は沖田の寝室へ戻ってみる。  クイーンサイズの沖田のベッド。  ここで一緒に寝たんだ、昨日。  男2人が寝るには少し狭いはずのベッド。  添い寝って言ってたけど、きっと本当に寄り添って眠ったに違いない。  沖田はどうしてそんなことをしたんだろう。  広瀬が使っている客間にはソファーベッドがあって、広瀬はいつもそこで寝ている。  でも、酔っぱらって初めてここに来た翌日も、広瀬は沖田のベッドで目覚めたのだ。  客用ベッドがあるのに。  そんな風に誰かと一緒に眠ったことなどない。  覚えていないのが残念で、沖田のベッドに横になってみる。  かすかに沖田がいつも使っているコロンの匂いがする。  その香りに包まれて眠ることを想像すると、なぜか胸がぎゅっと苦しくなる。  いくら恋にうとい広瀬でも、この気持ちの正体ぐらい知っている。  僕は、翔先生に恋をしたんだろうか。  それとも憧れだろうか。  約束の2週間はもう残り少ない。  広瀬がここにいられるのもあと数日だ。  ここを出て自分のワンルームマンションに戻る日のことを考えると、広瀬は泣きたいような寂しい気持ちになる。  一人で寂しいと思ったことなどなかったのに。  一度温かさを知ってしまうと、手放すのが辛くなる。  沖田のそばにずっといられるわけじゃないなんて分かっていたはずなのに、今更のように離れるのが怖くなってくる。  いくら考えたって、沖田と恋など出来るはずがない。  だいたい男同士だ。僕はどうしちゃったっていうんだろう。  ぐるぐると考えていると、玄関のチャイムが鳴った。  美鈴だ。  今日はボイストレーニングのレッスンだった。 「どうしたの? 何かあった? 今日は元気ないけど」 「えっ? そうですか。別に何も」 「そう、ならいいけど。なんか心ここにあらずって感じね」 「すみません、ちょっと気になってることがあって」 「翔とケンカでもしたの?」 「まさか」    ケンカどころか一緒のベッドで寝ました、などとは言えないが、沖田のことを思い出しただけで広瀬は顔が熱くなってくる。 「は、はーん」  美鈴は意味ありげな顔を浮かべて、面白そうに笑った。 「さては。翔のやつ、隼人くんに手出したな」 「手、出したって。そんなことあるはずが……」 「前に言ったでしょ、隼人くんて翔の好みのタイプなのよ」 「そうでしょうか」 「翔は好き嫌いが激しいから、好みじゃない相手に優しくしたりしないもの。隼人くんを自宅に置いてるなんて怪しすぎ」 「で、でも、別に手を出されたとか、そんなんじゃないです」 「まあ、そりゃあ、うかつには手は出せないか。大事な商品だし」  商品……  僕は、ただの商品なんだろうか。 「その顔だと、隼人くんを悩ませてるのは翔だというのは間違いなさそうね。何があったの?」  広瀬は少し迷ったが、絶対に内緒ですよと口止めしてから、沖田のベッドで目覚めたいきさつを話してみた。  話を聞くなり、美鈴は我慢できないというようにクックッと笑い出した。 「一緒のベッドに寝て、何もなかったんだ。翔の苦悩が目に浮かぶようだわ。いい気味」 「何もって……何かあるはずないじゃないですか」  そう言いながらも、広瀬はひょっとしたらあのキスは夢ではなかったんじゃないかと思い始めている。 「いいこと教えてあげる。翔の前の恋人。知りたくない?」 「聞いてもいいんですか?」 「業界ではわりと有名な話よ。モデルの久住雅也。知ってる? 隼人くんとタイプ似てると思わない?」 「男……ですか?」 「さんざん振り回されたみたいよ。ああ見えて翔は結構純情だからなあ。もう3年ぐらい前だけど。それ以来翔には決まった恋人はいないわ」 「でも、噂になった歌手の人とか、女優さんとかいたんじゃ……」 「隠れ蓑。翔は多分女には興味ないと思う」 「あの……翔先生、ゲイなんですか?」  自分で言ってしまったその言葉に広瀬は動揺してしまう。  

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