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第9話 恋を教えて
「隼人。お前が俺に何を求めているのか知らんが、言いたいことがあるならはっきり言え」
「たいしたことじゃないんだけど……」
「なんだ、言ってみろ」
「この間ここで眠った時、夢を見たんです。でも、本当に夢だったのかな、って思って……」
どんな夢だったんだ、と沖田は聞かなかった。
言葉の代わりに黙って髪をなでてくれる。
「いい夢だったか」
「うん……夢だったんなら、毎日見たいぐらい」
「そうか」
「ここで眠ったらまた見れるかなと思って」
胸が苦しくなって、広瀬は沖田にぎゅっとしがみつく。
「隼人、俺の忍耐力を試そうなんて思ってるんじゃないだろうな」
「え? 忍耐力? 僕はそんな……」
「知ってるんだろ? 俺がゲイだって。美鈴にでも聞いたんじゃないのか」
図星だったので広瀬は何も言えなくなってしまう。
「でないと、お前が突然こんな大それた行動できるわけないだろ」
沖田は笑いながら広瀬の顔をのぞきこむ。
「翔先生はあったかい。僕はもうすぐここを出ていかないといけない」
脈絡のないその2つの言葉が広瀬のすべての気持ちを物語っていた。
「寂しいのか」
「うん……」
広瀬は人にこんなふうに愛されたことがないのだろう。
多分、親にも。
可哀想だとは思うが、同情で広瀬に手を出すほど沖田は無節操ではない。
「これきり、というわけじゃないぞ。俺とお前はこれからパートナーとして仕事をしていくんだ。これからがスタートなんだぞ」
「それは分かってるんだけど」
「まあ、俺に甘えたいなら甘えていい。寂しくなったら、ここへ来たらいい」
「本当?」
「ああ、だから安心して寝ろ」
俺も甘いな、と沖田は心の中で苦笑する。
すがりついてくる広瀬を突き放すことなどできない。
「翔先生……ありがとう」
広瀬は目を閉じた。
眠れそうにないけれど、眠ったふりをしていたら……
試すつもりじゃないけど、でも、もしかしたら……
優しく髪をなでられている。
頬に沖田の手が触れる。
それから、唇が温かく包まれる。
夢と同じだ……やっぱり。
唇が離れると泣き出したいほど切ない気持ちになる。
だけど、僕が寝ていると思ってキスしてくれたんだ。
寝たふりを続けていないと……
小さく震えている広瀬のたぬき寝入りなど、沖田はとっくに気付いていたのだけれど。
夢だということにしておいてやろう。
沖田は黙ってもう一度広瀬の額に小さく口づけると、広瀬をしっかり腕の中に抱いて眠りについた。
翌朝、広瀬が目覚めると沖田の姿はなかった。
キッチンには朝食が出来ていて、置き手紙があった。
『17時には帰る。練習しておくように』
沖田の置き手紙など初めてだ。
広瀬はそのメモを大事に折りたたんで手帳にはさんだ。
沖田の残したものはなんでもとっておきたい。
昨日、広瀬は夢の内容を沖田に話さなかった。
だけど沖田はキスしてくれた。
寂しそうにしているから同情してくれたのかもしれないけど……
まだ終わったわけじゃない。まだ可能性はある。
僕が、恋人になれる可能性。
限りなく小さな可能性のように思えるが、きっと嫌われてはいない。
『抱かれちゃえば?』と言っていた美鈴の言葉が何度も頭の中に蘇る。
今日、沖田が戻ったらラストチャンスだ。
大丈夫、昨日だってうまくいったじゃないか、と広瀬は自分を奮い立たせる。
「何を突然言い出すんだ……」
沖田は呆れてすっとんきょうな声を出した。
レッスン中に広瀬が突然、今日1日だけ恋人にして欲しいと言い出したからだ。
「僕は人を愛したことも、愛されたこともないから……だからうまく歌えないんじゃないかと思って」
だから、恋を教えて欲しい、というのが広瀬が1日かかって考えた言い訳だった。
「隼人を応援している人は日本中にたくさんいるじゃないか。それだってたくさんの人に愛されてるということだぞ」
「そういうんじゃなくて、恋人っていう意味で……僕は翔先生がどんな風に人を愛するのか知りたい。だから教えてくれませんか? 今日1日だけでいいんです」
うつむき加減で、それでも譲らないという口調の広瀬に、沖田はとまどっていた。
今日1日だけ。
沖田のとまどいの理由はそこだ。
広瀬を1日だけ仮の恋人にして弄ぶようなことはできるはずがない。
好きだから恋人になりたい、というのならまだわかるが、そんなお試しの仮の恋人になったところで傷つくのは目に見えている。
広瀬の本心を計りかねていた。
広瀬が自分で思っている以上に、沖田は広瀬を大事にしているつもりだった。
「なあ、隼人。人の愛し方なんて、千人いれば千通りあるんだ。俺の愛し方など知っても仕方ないだろう? お前はお前でいいじゃないか」
「それでも……僕は先生の恋人がどんな風に愛されるのか知りたいんです」
「隼人が知りたいのは愛し方ではなく愛され方か?」
「どっちでもいいんです。同じことだから」
沖田は一瞬葛藤する。
広瀬は可愛いと思うが、これから売り出す大事な商品でもある。
広瀬は繊細だ。
自分が傷つけるようなことにだけはしたくない。
つまり、広瀬に手を出すなら絶対に傷つけない覚悟がいるのだ。
つまり、本気ならいいのだけれど……
「愛され方か……それなら教えてやれるかもしれないな。ただし、俺の恋人になった場合、だぞ? 他のヤツのやり方は知らん」
「いいんです、先生の場合で」
広瀬がぱっと明るい笑顔になった。
その瞬間に、沖田の気持ちは決まった。
この先何があっても、広瀬を見守っていけばいいのだ、と沖田は心に決めた。
「俺はわがままだぞ、恋人には」
「本当ですか?」
嬉しそうにしている広瀬に、沖田は手を差しのべる。
「おいで、隼人。今日はレッスンはもう終わりだ」
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