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第17話 欲しいもの

 出だしはやや不安だったが、レコーディングは順調に進んだ。  レコーディングで忙しいのは実は沖田で、広瀬は歌う以外にたいした仕事はない。    広瀬が歌い終えて帰っても、沖田は他のミュージシャンと遅くまで仕事をしているようだった。  最終日、全曲を歌い終えてチェックを終えると、沖田は満足そうな笑顔を見せた。 「OK、お疲れさん!」  広瀬の仕事はこれで終わりだが、沖田とスタッフはまだこのあと延々と仕事が続くらしい。  一息いれようということになり、スタッフと一緒にホールへ出て飲み物を飲む。 「そう言えば隼人、デビュー祝い、何が欲しい」  沖田が皆の前で聞いてきた。  ご褒美のキスとは別に、何かもらえるんだろうか。 「いえ、僕は何も……それでなくても翔先生にはお世話になりっぱなしなのに」 「遠慮するなよ。そういうのも番組でネタになるだろ?」  デビューした時に沖田から何か贈られた、というのは確かに話題になるかもしれない。  せっかくだからもらっておけよ、とスタッフもすすめてくる。 「隼人、そういやギター欲しいって言ってたな。マーティンだっけ?」 「あ……でもあれは手に入りにくいから」  国内にはないカスタムモデルのギターが欲しい、と前に沖田に話したことがあるのを覚えていてくれたのだ。 「探してやるよ。それでいいか?」  広瀬はあいまいにうなずいた。  欲しいものなら他にある。  だけどそれは人前では言えない。  もし本当にデビュー祝いをもらえるなら、欲しいものはひとつしかない。  もう一度、あの夜に戻りたい。  本当の恋人のように優しく激しく抱かれた、あの夜に。    帰ろうとする広瀬を沖田はスタジオの外まで見送りに出てくれた。  これでまた当分会えない。  沖田と次に仕事で会えるのはかなり先のことだ。 「本当にギターでよかったのか?」  沖田の問いかけに広瀬は口ごもる。 「なんでもいいのなら……他に欲しいものが」 「なんだ、言ってみろ」 「時間が欲しい……翔先生との時間。もうなくなっちゃったから」  そう言えばレコーディングが終わったけれど、キスの約束もまだだ。  さすがに人目があるので、こんな場所では無理だけれど。 「そうだな。すぐには無理だが……隼人は次の休みはいつだ」  時間が欲しいと言ったものの、広瀬も結構仕事がつまっている。  完全に休めるのは2週間も先だ。 「わかった、都合がついたら連絡する。それと、ご褒美の方もそれまでお預けだ」 「あ、そうだ。先生、鍵返さなきゃ……」 「持っていろ、ご褒美と引き替えだ」  沖田は軽く広瀬の肩を抱き寄せて、一瞬だけこめかみにキスを落とした。  広瀬の仕事は目に見えて忙しくなっていった。  デビュー曲は発売前から話題にのぼり、仕事のスケジュールはどんどん埋まっていった。  それでも広瀬は予定されていた2日間の休みにだけは、絶対に仕事をいれなかった。  都合がついたら連絡する、と言った沖田の返事を待っていたのだ。  レコーディングが終わって沖田と別れてから、仕事場ですれ違うことはあってもゆっくり話すヒマもなかった。  メールをすればあいかわらず一行だけ返事が返ってくる。  しかしそのメールに、広瀬の聞きたい返事が書かれていることはなかった。  会いたい……  何度もそうメールしようかと思ったけれど、沖田の殺人的スケジュールを想像すると、わがままは言えなかった。  広瀬以上に毎日のように沖田はテレビ番組に出演している。  テレビの画面で見る沖田は、最近少しやつれたように思う。  ちゃんと食事をしているのだろうか……    今の沖田に自分のために時間を作ってくれ、とはとても言えない。  そう諦めかけていつものように日常的なメールを送ろうとした時、突然紫色の着信ランプが光った。  電話だ…… 「隼人、今話せるか?」 「はい、大丈夫です。もう家だから」 「あさってだったな、お前の休み」 「覚えていてくれたんですね」  覚えていてくれただけで嬉しかった。  時間を作るのが無理でも、こうしてちゃんと電話をくれただけで。 「その日は休みにしようと思っていたんだが、どうしても急な仕事がはいってしまった」 「そうなんですね。仕方ないです」 「それで、お前に頼みがあるんだが」 「頼みって……僕にできることですか?」 「あさっての午前中に荷物が届くんだ。休みのつもりだったから配送の手配をしてしまってあった。お前、ここに来て代わりに受け取ってもらえないか?」 「僕が先生のマンションに行って、荷物を受け取ればいいんですね?」 「そうだ、俺もできるだけ早く仕事を片づけて帰るから。そのあとは休みにしてある。半日で申し訳ないが……」 「いいんです。嬉しい……朝、何時に行ったらいいですか?」 「そうだな。運送屋が来る前だから9時ぐらいでいいだろう。俺がいなかったら、鍵あけて入っててくれ」 「わかりました」 「悪いな。その代わり、お前にはちゃんとプレゼントがあるからな」  やっと会える……  あの晩から一ヶ月近くがすぎようとしている。  プレゼントってデビュー祝いのことかな。  とにかく、沖田が約束通り時間を作ってくれたことが、何より嬉しかった。  早くあさってになればいい。  まるで遠足の前の小学生のように、その晩広瀬は眠れない夜を過ごした。  

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