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第18話 選ぶのは一度だけ

 待ちに待った朝、9時きっかりに沖田のマンションを訪れると、沖田はすでに出かけていていなかった。  顔が見られなかったので一瞬がっかりしたが、早く出かけたということはそれだけ早く帰ってきてくれるかもしれない。  なつかしいような気持ちでキッチンへ行ってみると、テーブルの上にメモがあった。 「荷物は玄関の隣の部屋へ適当に入れておいてくれ」  玄関の隣の部屋へ行ってみると、そこは8畳ほどのガランとした何もない部屋だった。  確か物置にしている、と言っていた部屋だったはずだが、室内にはからっぽの本棚が置かれているだけになっている。  窓には真新しいブラインドが取り付けられ、絨毯も張り替えられているようだ。 「何か大きな荷物でも届くのかな……」  考え込んでいる内にインターホンが鳴った。  インターホンのモニターに運送屋が何か荷物を抱えている姿がうつったので、オートロックの鍵を解除する。  届いた荷物はデスクに椅子、パソコン一式、ステレオ、ドレッサーなどで、まるでちょっとした引っ越しの荷物のようだ。 「どこに置いたらいいですか」  運送屋に聞かれて、適当に指示をする。  どうやら沖田はここに新しい仕事部屋でも作るようだ。  だけど……なぜ?  理由はわからないが、なるべく沖田のいない間にきちんとしておいてやろう、と広瀬は思い、梱包されている家具は梱包を解いて、ふき掃除を始めた。  パソコンやステレオもすぐに使えるようにと、周辺機器を接続する。  みるみる部屋の中がお洒落な仕事部屋に変身していく。  午前中いっぱいかかってようやく部屋らしくなったところへ、また荷物が届いた。  マーティンのギターケース。  これは、きっと僕のために買ってくれたんだ。  国内にはないモデルなのでアメリカから取り寄せたのだろう。英語で書かれた伝票がついていた。  開けてもいいだろうか……  いや、沖田が帰るまで待った方がいいだろう、と玄関でギターケースを眺めていると、3度目のインターホンが鳴った。  ……と同時に玄関のドアが開いて、沖田が帰ってきた。 「先生! お帰りなさい」 「おお、荷物は届いたようだな」 「はい! ちゃんと並べておきました」 「どれ、ああ……部屋らしくなったな。ギターも届いたか?」 「はい……あの、これ……」 「お前のデビュー祝いだ。探したぞ。ハワイにあったから取り寄せたんだ」 「開けていいですか?」 「ああ、開けてみろよ」  ギターケースを開くと、真っ白なボディに『Hayato』とロゴが入っている。 「そのロゴは俺の楽器と同じロゴで入れさせたんだ。世界にひとつだぞ」 「ありがとうございます。こんな……高いのに」 「お前もギター持って番組に出ることもあるだろうから、それぐらいの楽器は持ってないとな」  広瀬は手にしたギターを試し弾きしてみる。高価な楽器はやはり素晴らしい音が出るものだと感心してしまう。 「へえ、なかなかうまいじゃないか。弾き語りもできるな」 「はい。もともと弾き語りをやりたくてギター練習してたから」 「なるほど。それならギターで歌えるバラード作らないとな」 「ところで翔先生、この部屋は何に使うんですか?」 「ああ、それな」  思い出したように沖田は部屋の中を見回す。 「気に入ったか?」 「え? この部屋ですか? お洒落だとは思いますが……」 「お前の部屋だ」  えっ、と広瀬は絶句してしまう。  僕……の部屋? 「お前、言っただろう?俺の時間が欲しいって」 「言いました……けど」 「だけどなあ。これから俺とお前が時間を作るのは難しいんだよ。こうでもしないとな」 「こうでもって……僕はまたここへ来てもいいんですか?」 「もちろんだ、そのために作ったんだから」 「翔先生……嬉しい……ありがとう」  広瀬は泣き出しそうになるのをこらえて、沖田にしがみついた。 「なあ、隼人。俺は考えたんだ、お前が本当に欲しいものってなんだろうってな……お前は帰る場所が欲しいんだろ?」  ここを出ていった時の寂しそうな広瀬の顔が、沖田は忘れられなかった。 「隼人、俺はお前を束縛する気はない。気が向いた時に遊びに来ればいい。俺はお前の帰る場所になってやれる」 「じゃあ……鍵は? 鍵は持っていてもいいの?」 「ああ。返せとは言ってないだろう? お前のものだ」  沖田はポンと広瀬の頭に手を置くと、顔をのぞきこむようにして言葉を続けた。 「ひとつだけ、お前に確認しておきたいことがある」 「なんですか?」  真剣な口調になった沖田の顔を、広瀬もまっすぐに見つめた。 「お前が一番欲しいものは家族か? それとも恋人か? 俺はどっちにもなってやれる。兄貴のような存在が欲しいのなら、それにもなれる」 「それは……僕が選んでいいんですか? 本当にどっちにでもなってくれる?」 「ああ、お前が選ぶといい。ただし、選ぶのは最初の一度だけだ。途中で変更はできないぞ」  どうする、という顔をして、沖田が返事を待っている。  そんなの決まってるじゃないか、選んでいいのなら。  僕が選んでいいのなら…… 「今更弟になんかなれない……こんなに先生のことが好きなのに」  溢れ出る涙を隠すように、広瀬は沖田の胸に飛び込んで顔をうずめた。  沖田は広瀬の頭をなでながら、抱きしめてやる。 「それなら、たった今から恋人同士だ。ご褒美もまだだったな」  沖田の指先がそっと広瀬の涙をぬぐって、唇が重なる。  寂しくて不安だった一ヶ月を埋めるように、何度もキスを交わす。 「翔先生……」 「翔、だ。もう先生じゃない。俺は恋人は年下扱いしないぞ。これからは俺たちは対等だ。パートナーだからな」 「対等になんてなれるのかな」 「なれるさ。お前は5歳背伸びして大人になれ。俺は5歳若返ってやる」  笑いながら沖田は広瀬の鼻の頭をつついた。  10歳の年の差が埋まるとはとうてい思えないけれど、沖田は少し子供っぽいところがあるから、頑張れば届くかもしれない、と広瀬は思う。

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