20 / 34
第20話 シンデレラボーイ ※第1部完結
「もうっ! 翔ったら!」
「興奮したろ?」
「信じられない……」
足早に歩いていく沖田を追いかけながら、広瀬は顔を真っ赤にして文句を言う。
だけど……確かに興奮した。
人が入って来たとわかった瞬間に、広瀬は達してしまったのだ。
「こっちは晩にたっぷりな」
沖田がスルっと広瀬の尻をなでる。
「翔……エロオヤジみたいだ」
広瀬のふくれっ面を見ると、沖田は愉快で仕方がないという顔でニヤニヤ笑っている。
「慣れろよ。俺、こういう人間だぜ」
沖田に振り回されながらも、広瀬は本当は楽しくて仕方がないと思っている。
沖田と一緒にいると、世界はバラ色だ。
こんなかっこいい人が恋人だなんて、と何度も見惚れてしまう。
「あそこのカフェに入ろう」
沖田に肩を抱かれてカフェに入ると、一瞬で店内の視線が集中した。
窓際の少し孤立した席に案内され、コーヒーを注文する。
「芸能人でもこうやって普通にお茶飲んだりするんだ」
「ああ、案外皆見て見ぬふりをしてくれる。話しかけてくるヤツは少ないぜ」
そう沖田が言った途端に、すぐそばの席にいた女子高生らしき3人の女の子がおずおずと近寄ってきた。
「あの……広瀬隼人さんですよね」
「え? 俺?」
てっきり沖田のファンかと思ったので、広瀬は目を丸くする。
「あの……テレビ見てずっと応援してました。握手してもらえませんか」
戸惑って沖田の顔を見ると、してやれよ、という顔をしている。
女子高生たちはかわるがわる広瀬と握手をすると、嬉しそうにはしゃぎながら席へ戻って行った。
「ほら、お前のファンはもうそこいら中にいるぞ」
「俺、てっきり翔のファンだと思ったのに」
翔、って呼んでるんだ……仲よさそう……と女子高生たちは会話に聞き耳を立てて、コソコソと噂話をしている。
「落ち着いてコーヒーも飲めないなあ」
「堂々としてろよ。注目されるのはいいことじゃないか」
「俺、握手なんて頼まれたの初めてだ」
「隼人、さっきちゃんと手洗ったのか? 俺の右手はまだお前のニオイがプンプンしてるぞ」
「また! 翔はそういうことばっかり……」
思わず広瀬が沖田を小突くと、店内からきゃーっと黄色い声が上がる。
どうやら一挙一動を店内の客から観察されているようである。
「そろそろ出ないと人が集まってしまいそうだな」
沖田が立ち上がりかけると、店員が色紙を持って駆け寄ってきた。
「すみません。お店に飾りたいので、サインをお願いできないでしょうか?」
沖田は快く承諾すると、笑顔を浮かべてサラサラと慣れた手つきでサインをする。
広瀬もその隣に、練習しておいた自分のサインを並べた。
2人連名のサイン色紙が店に飾られると思うと、なんだかくすぐったいような気分だ。
「もう少し散歩を楽しみたかったが、思ったより隼人は注目されてるみたいだし、ホテルにでもこもるとするか」
ホテル、という言葉を聞いて、広瀬はラブホテルを思い浮かべてしまい、顔を赤くしてしまった。
沖田は車を運転しながら、携帯でどこかに電話をかけている。
「沖田ですが、スイート空いてますか? ああ、それではいつもみたいに裏口でお願いします」
電話を切ると沖田は、こぢんまりしたホテルだがよく使っている、と一流ホテルの名前を口にした。
お前のお祝いだしな、と運転しながら、片手を広瀬の手にそっと重ねる。
ホテルのスイートルーム。
沖田と出会わなければ自分には一生縁のなかった場所かもしれない、と広瀬は思ってしまう。
沖田にとってはそんなことは日常茶飯事なのかもしれないけれど。
ホテルに到着すると、従業員が迎えに出てきて、通用口から部屋に案内された。
なるほど、芸能人はこうやってホテルを利用しているのか、と広瀬は納得する。
正面から入っていけば、部屋番号を知られてしまうから、こうやって行きつけのホテルを利用するのだ、と沖田は説明してくれた。
案内されたスイートルームは、広瀬の想像を超えた豪華な部屋だった。
10人は泊まれそうな広さ。
リビングのバーカウンターにはお酒が並んでいて、広いソファーの目前は全面硝子張りで都心の景色が一望に開けている。
こんなところで恋人と過ごせる人はいったいどれだけいるというのだろう。
「今日はここでルームサービスをとろう」
呆然と窓の外を眺めている広瀬を、沖田は後ろからそっと抱きしめる。
夕日が落ち、足下に広がる景色は夜景に変わり始めている。
たった一度のオーディションで人生が変わることがある。
もしかしてもう一生分の幸運を使い果たしてしまったのではないか、と広瀬は思う。
「翔……俺、本当にシンデレラボーイだったんだ」
ポツリ、とつぶやいた広瀬を沖田は微笑みながらお姫様抱っこで抱き上げる。
シンデレラボーイ、それは広瀬の人生を変えたオーディション番組のタイトル。
「どうだ、シンデレラになった気分は」
沖田はからかうように囁きながら、広瀬をベッドルームへと運んだ。
「夢みたいだ……」
「おいおい、また夢にするのはやめてくれよ。俺のキスは本物だぞ」
ベッドの上で溶けそうなぐらい甘いキスをくれる僕の恋人。
唇が触れているだけで嬉しくて切なくて、心が焼け付いてしまいそうだ。
ねえ……翔。
今ならわかるよ。
一人で生きる意味を、僕はもう見いだせない。
【シンデレラボーイ ~End~】
ともだちにシェアしよう!