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第32話 ウェスト・ハリウッド
ロサンゼルスへ到着して、空港で新しい携帯電話を借りた。
沖田との連絡専用だ。
ずっと一緒にいる予定だけれど、念のためだといって。
真新しい携帯を見ていると、古い携帯の嫌な思い出が忘れられるような気がした。
沖田との愛のやり取りがたくさん詰まった携帯だけど、それを見るたびに、スキャンダルになったことを思い出してしまう。
余計な過去を捨てるのに、携帯を変えるのはいい手段だと思った。
「とりあえず、どこへ向かうの?」
「ウェスト・ハリウッドだ。隼人は観光もしたいだろう?」
「うーん。それより、少しゆっくり休みたいかも」
時差のせいでよく眠れず、ふたりとも睡眠不足だ。
沖田は真新しい携帯でどこかへ電話をかけて、宿泊先を探した。
沖田に連れられて行ったのは、ホテルではなく、古びたビルのようなアパートメントだった。
たまたま空きがあったようで、即座に沖田が契約した。
滞在が長引くならホテルよりその方がいいと言って。
「ここな。昔、俺が根城にしてたんだ。ミュージシャンとか芸術家の多いアパートメントで」
「そうなんだ。じゃあ、懐かしい?」
「そうだな。無茶苦茶やってた頃だからな」
ワンフロアにひとつしかない、広い部屋。
コンクリート打ちっぱなしの壁には、過去の住人が描いたのか、訳の分からない絵が描かれている。
だだっ広い倉庫のような部屋に、無造作に置かれたパイプベッドやバスタブ。
どうやら、部屋の中は自由に改築して使ってくれ、ということらしい。
「翔にぴったりの部屋じゃん」
「気に入ったか? 当面の新居だ」
高い天井には、撮影所のようなスポットライトがあって、案外オシャレだ。
床がフローリングなので、ダンサーが借りることもあるらしい。
壁の一箇所には、等身大の大きな鏡が据えてある。
「いいな、この鏡」
沖田が広瀬を後ろから抱きしめて、鏡の中の広瀬に話しかける。
「どうせ、ここでセックスしようとか想像してるんでしょ」
「当たり」
沖田がふざけたように、鏡の前で下半身をこすりつけてくる。
なんだか本当にセックスを始めてしまいそうで、広瀬はあわてて沖田の腕から逃げ出した。
「このままじゃ住めないから、とりあえず、明日から色々買い揃えよう。今日のところは、どっかホテルにでも泊まるか」
さすがにふたりでパイプベッドに寝る訳にはいかないので、近くのホテルにチェックインすることにした。
沖田が本気で新居をつくろうとしているのがわかって、頑張ろうという気になってくる。
観光などしている場合じゃない。
部屋を出て、食事でもしようと歩いていると、沖田が突然手を握ってきた。
「あんまり治安のいい場所じゃないから、俺から離れるなよ」
「うん……翔、手、つないでてもいいの?」
「誰も知ってる人いないだろ」
「そうだけど」
「このあたりは、世界最大のゲイタウンだぞ」
「そうなの?」
驚いて周囲を見回すと、そういえばイチャイチャしている同性が異様に多い。
マッチョな外国人なので、まさかカップルだとは思っていなかったけど。
「歩いてるやつら、半分はゲイだから気をつけろよ。隼人みたいのは狙われやすいからな」
なんだか恐ろしくなって、広瀬は沖田の腕にぎゅっとしがみつく。
こんなところではぐれたら大変だ。
カタコトの英語しか話せない広瀬は、ホテルにたどり着けるかどうかすら怪しい。
だけど、雰囲気に慣れてくると楽しくなってきた。
沖田と腕を組んで、街を歩ける日が来るなんて、夢みたいだ。
ここでは変装も必要ないし。
道端でキスをしている男同士のカップルもめずらしくない。
「翔、俺もして。キスして」
沖田が苦笑しながら、広瀬の頭を抱き寄せて、唇にキスをする。
通りすがりのカップルが、ヒューと口笛を吹いて笑っている。
沖田がなぜ日本を出て、ここへ連れてきてくれたのか、わかるような気がする。
若い頃の沖田も、日本で何か嫌なことがあって、ここで暮らしていたんだろうか。
いつか、その頃のことを聞いてみたいと広瀬は思う。
翌日は、パソコンを買いに行って、インターネットで家具選びをした。
ベッドやテーブル、パーテーションなど、最低限必要な家具を注文するのは、楽しい作業だった。
それから、沖田の知っている楽器店を訪れる。
「隼人、歌えないと寂しいだろ。ギター買おう」
「翔もキーボード買うよね?」
「あの部屋だったら、音出せるからな」
沖田が選んでくれた、2本目のギター。
1本目のは日本に置いてきてしまったけれど。
小さめのアンプやミキサーも買い揃えて、部屋の一角がちょっとしたスタジオになる。
多分、沖田はここで仕事をするようになるから、必要経費だ。
3日もすると、頼んでおいた家具も届いて、だんだんとオシャレな部屋らしくなっていく。
沖田は新しい曲を書き始めて、できあがるたびに、ギターを弾いてふたりで歌う。
そんな贅沢な時間を満喫した。
日本のトップアーティストを独り占めして、曲作りができるなんて。
自分は世界一恵まれているんじゃないかと、広瀬は思う。
「なあ。隼人。時間もあることだし、こっちでレコーディングするか?」
「レコーディング?」
広瀬はもう、仕事のことなど忘れかけていた。
次のアルバムのことも、日本を出たときに諦めた。
だけど、言われてみれば、沖田さえいれば楽曲は作れる。
沖田は元々音楽の勉強のためにロスに来ていたようで、こっちに音楽関係の知り合いも結構いるようだ。
録音さえしておけば、いつかインディーズデビューできる可能性もあるかもしれない。
なにせ、曲を作っているのは沖田だ。
作るなら一流のものを作ろうとするはずだ。
「やりたい。できるの?」
「こっちでスタジオ・ミュージシャン雇えば、すぐにでも作れるさ」
なんだか、海外でレコーディングするなんて、一流のミュージシャンみたいだ、と広瀬は思う。
せっかくふたりで作ってきた楽曲を、形にしたい。
それを、アメリカに来て最初の目標にしようと思った。
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