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第33話 提案
方向性が決まると沖田の仕事は早かった。
知り合いのミュージシャンに声をかけて、録音スタジオを押さえて、2週間の日程でレコーディングのスケジュールを立てる。
広瀬は久しぶりに本気で歌う特訓を始めた。
沖田の知り合いだというボイストレーナーを呼んで、発声からやり直す。
美鈴とは違って、男性のボイストレーナーのレッスンは、広瀬と相性がよかった。
声量や音域が広がって、1枚目のアルバムの頃に比べるとかなり良くなったと、沖田にも褒められるようになった。
アメリカのミュージシャンの出すグルーブ感は、日本で作っていた音楽とはまったく違う。
沖田は久しぶりに本来やりたかったサウンドを目指せて、ご機嫌だ。
自分自身もキーボードで演奏に加わって、最高のサウンドを作り上げていく。
ミュージシャンがアメリカでレコーディングする理由を、広瀬は肌で感じていた。
西海岸の乾いた空気が、音色まで変えてしまうように感じる。
歌うことが、心から楽しいと思う。
流暢な英語でミュージシャンたちにテキパキと指示を出す沖田。
久しぶりに見た厳しい仕事の顔の沖田を見て、かっこいいと思う。
沖田と一緒に仕事ができる自分でいたいと、広瀬は思ってしまう。
朝から晩までスタジオにこもって、晩は沖田とベッドで愛し合う毎日。
この生活がずっと続けばいいのに……と願うほど、広瀬はロスでの生活になじんでいった。
レコーディングを終えて、部屋で出来上がったばかりのアルバムを聞いているときに、沖田が話がある、と言う。
何か真剣そうなムードだったので、広瀬は音楽を止めて沖田の隣に座った。
「なあ。隼人。俺は、この路線で音楽を仕事にする自信がある」
「そうだね。いい出来だと思うし、翔らしい音楽だと思う」
「こっちにツテもあるし、しばらくここで腰を据えてやってみるのもいいと思うんだが……」
「何か問題でもあるの?」
「実は、佐々木さんから何度も隼人を返せと連絡をもらってるんだ」
「佐々木さんから?」
事務所はとっくに辞めたつもりになっていた。
突然姿を消したのだから、当然解雇されていると思っていたのだ。
しかし、沖田は時々佐々木と連絡を取っていたと言う。
この一ヶ月間で広瀬の新しいアルバムを作り上げる、という条件で、佐々木は広瀬の籍を残していたらしい。
今は、表向きは広瀬と沖田はアメリカでレコーディング中、と発表されているそうだ。
「隼人がここでずっと暮らしたいというなら、佐々木さんには話をつけて、お前が活動できる拠点を新たに探す。だけど、もし、日本に帰りたいなら、今なら戻れる。お前はどうしたい?」
「そんなこと、急に言われても……」
ようやくここでの暮らしに慣れて、そのうち英会話の学校にでも通おうと思っていた矢先だ。
ここでの生活に、何ひとつ不満などない。
ゲイタウンと言われるだけあって、ここには自由がある。
人目を気にせず過ごせた沖田との時間は、何ものにも代えがたいほど、幸せだった。
だけど……
沖田にとってはどうだろう。
あの時はスキャンダルで逃げるように日本を出たけれど。
沖田には日本に家族もいるし、そもそも沖田はスキャンダルぐらいで仕事を失うような実力ではない。
日本を出たのは、広瀬との恋愛を優先させたからだ。
あの時のふたりは、日本にいたらマスコミにつぶされて、ダメになっていたかもしれない。
でも、一ヶ月過ぎた今ならどうだろう。
今でも逃亡した自分たちのことは、マスコミの標的になるんだろうか。
「俺は、今はここで翔と暮らすのが幸せだと思ってる」
「そうか」
「だけど、それでいいのかな、っていう気持ちもある」
「それは、なぜだ」
「俺……ここにいると、翔におんぶに抱っこでしか生活できない。日本にいるときは、いくらでも仕事なんて探せると思ってたけど」
「芸能界に未練はあるのか?」
「それは、ない。ただ、翔と音楽を作っていくことには、未練があると気付いたけど」
「それなら、俺と音楽を作れて、一緒に暮らせるなら、どっちでもいいということだな?」
「うん、そうだと思う」
沖田はしばらく考え込んでいたが、ひとつの提案をする。
「だったら、一度日本に帰ってみるか」
「帰ってどうするの?」
「このアルバムを手土産に、佐々木さんと話してみたらどうだ。隼人は、こっちに来てから一皮むけたと俺は思う。いい音楽が作れていたら、それを認めてくれる人っていうのはいると思うぞ」
「そうかな……俺、あんま自信ないけど」
「こうしないか。この部屋は年間契約で借りたまま、いったん日本に帰ってみる。それでダメなら、ここへまた戻ってくる」
「そんなこと、もったいなくない?」
「いや、この部屋を捨てる方がもったいないだろ? ふたりでせっかく作った愛の巣なのに」
それはそうだ。
沖田との最高の思い出がある、この部屋には未練がいっぱいある。
日本に帰りたくないと思うのは、それが理由のひとつだ。
また、ここへ戻ってこれるのなら、一度日本に帰ってみてもいい。
「それとな。余談だが、久住は捕まったらしい。三浦に暴力を振るって、脅してたそうだ。三浦は事務所辞めたらしいから、あのふたりに会うことはもうないだろう。俺たちの記事をのせた週刊誌は出禁にしたと佐々木さんが言ってた」
「そう……そんなこと、もうすっかり忘れてたよ」
「まあ、俺とお前がゲイで恋人同士だっていうのは、もう覆せないけどな」
「それも、もういいかな。こっちにきて、ゲイのカップルいっぱい見たら、なんだかこれも普通かな、って思うようになったし」
広瀬は元々、沖田との関係を隠したいと思っていたわけではなかった。
ただ、事務所の手前、大っぴらにはできなかっただけだ。
もう知れ渡ってしまったのなら、隠す必要がないわけで、それはそれで気楽かもしれない。
「どうする。俺は、どっちの生活でも隼人とならやっていける自信がある」
「俺が決めていいの?」
「それでいい。ただし、途中変更は難しいぞ。日本に戻れるチャンスは今だ」
「だったら……一度帰ってみてもいい」
「そうか。それなら、佐々木さんに連絡する。隼人があまりにも嫌な思いをするようなら、すぐにロスへ連れて帰る。それでいいな?」
「うん、ありがとう、翔。考えてくれて」
「隼人が幸せになってくれないと、俺も幸せになれないからな」
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