5 / 6

第5話

「誰にも言わないよ」  口止めにあっさり頷き、蒼空はうっとり夢見るような目で僕を眺めた。 「勿体ないね。こんなに綺麗なのに隠さないといけないなんて」 血と汚濁にまみれ、白すぎる肌に漆黒の大きな翼を生やし、額に金色の目が縦に開いている僕のどこが綺麗だと思うのか。  この姿を見て驚かないことが何より不思議だが、蒼空にはそういうところがある。  ありのままを受け入れてくれる愚鈍(ぐどん)なまでの素直さが、涙が出るほど僕の心を震わせているのに、たまらなく憎くもあった。  蒼空は約束を律儀に守り、大地にすら話さないだろう。  だが僕は深く、深く絶望していた。 「早く帰って」  僕は膝を抱え、翼を広げて自分を覆い隠した。  これ以上、蒼空の目を(けが)すわけにはいかない。 「わかった。またね海斗」  玄関が閉まり、子供のような足音が遠ざかる。  僕は、蒼空に触れられた羽を確認した。  漆黒の羽がその部分だけ確かに白くなっている。黒が白に変色したのではなく、黒い塗りが剥げ落ちて白くなったように見えた。 「癒しの神か」  声とともに空気が揺らいで父親が現れた。 「まれにヒトに転生するらしいが、よもや隣の家にいたとは」  見逃してもらえるとは思えない。  僕には、父親が次に何を言うかわかっていた。 「始末しろ」  父親は白くなった羽を強く掴んだ。その手から黒い瘴気が染み渡る。 「この住処(すみか)も潮時だな」  漆黒に戻った翼を、僕は少なからず残念に感じた。  せめて、なるべく苦しまないように逝かせてあげよう……。 ――本当の俺は見せられないけど、蒼空を失ったらまともには生きられない。あいつは俺の良心だから。  不意に大地の声が(よみがえ)る。  蒼空を失った大地は、きっと今よりあからさまに黒くなるだろう。  ここを離れるとしたら、周囲の人々から僕に関する記憶は消される。大地が黒い種に支配されながら荒んだ人生を送るとしても、僕は傍にいることさえできない。  遠く離れてしまえば、忘れられるだろうか?  癒えない傷から血を噴き出すことも。  その血が業火を放つことも。  身の内から焼かれ苦しみ悶えることも。  全てなくなって。  僕は楽になれ……る?  「不愉快だ」  父親は無理やり僕の翼を広げた。 「せっかくここまで堕としたのに」  背後から無数の黒い手が伸びて来て、僕に絡み付く。 「癒しの神と交わりでもしたらしまうじゃないか」  僕は抵抗もせず父親の目を凝視した。 底なし沼のようなどろりと濁った黒い目。 ――元に戻る、とは? 「僕はどこか暗い所から拾われたのでは……?」  父親は目を細めた。 「天から引き摺り下ろした時この翼は真っ白で、それはもう」  堕ちた神の成れの果ては、大きく口を開けて可笑しそうに(わら)った。 「ひどく醜かったよ」  ガンと強く殴られたような衝撃が走った。  なぜ邪悪なはずの僕が蒼空の傍にいて心地良かったのか。  僕の翼は瘴気で染められたものだった。  僕の精気もまた、黒く穢されたのだろう。  では、大地を黒く染め上げているのは僕じゃなくて……この堕ちた神?  僕の中でかさぶたが剥がれ落ち、どくどくと音を立てて熱い血が噴き出してくる。ほどなく血は業火と化し、出口を求め暴れ出す。 「癒しの神相手では、やりにくかろう。我が手で(くび)りころすか」  未来永劫ずっと真の神には戻れぬ黒く穢れた者は、妬みと憎悪に満ちた顔をしていた。 ――ああ、なんて醜い! 「蒼空はころさせない!」  僕は叫びとともに業火を吐き出し、目の前の醜悪なものを炎で包み込んだ。  父親だったものは凄まじく絶叫して転げ回り、白い炎に炙られ続けた。  心身から黒が薄れていくのを感じ、初めは気のせいかと思った。  だが、清々しく晴れ渡っていくような感覚が確かにある。  ふと気付いて翼を広げて見ると、黒が剥がれ落ちかけている。 僕は羽ばたき、邪悪な色を払い飛ばした。  初めて見る白い翼。  それはとても美しかった。  その時、ひくひくうごめく焼け焦げた肉塊が、ぶわっと黒い瘴気を吐き出した。 「慈しんでやったのに」  怨嗟(えんさ)の声とともに一本の黒い手が生え、目にも止まらぬ速さで伸びて来て僕の首を掴んだ。 「:おまえの中に()むぞ!」  肉塊の表面が割れ、ずるんっとが抜け出した。  僕は黒い手を剥そうともがいたが、びくともしない。  ずるずると蛇が巻き付くようにらせんを描いて、は僕の体を上ってくる。 「もう何をしても無駄」  顔の下まで這い上がってきたは、凍りつくような黒い声を発すると、凄まじい力で僕の口を割って体内に侵入した。

ともだちにシェアしよう!