翌日、俺とユウリは再び封印図書館に繋がる本棚の前で集合した。 ユウリは相変わらず顔色は悪いが、昨日よりは元気そうだった。 俺たちは挨拶もそこそこに、昨日と同じ手順で封印図書館に進む。 ちなみに、この封印図書館は一度入ると中からは出られないらしい。外から開けるしか方法がないので、夕飯前にユウリの取り巻きであるトッドとディートが迎えに来るそうだ。 封印図書館は相変わらず埃っぽいが、少し慣れると秘密基地のようで悪くない。 何より、内緒話をするにはうってつけの場所だ。 「調査の前に、昨日の話の続きを聞かせてくれませんか？」 「昨日……どこまで話したっけ？」 「あなたも、僕と『同じ』だと……」 「ああ、そうだったそうだった」 図書館内には椅子がない。俺とユウリは積み上がった本の隙間に埋もれるように、床に座り込む。 お互いの声が本の壁に吸収され、聞き取りづらい。 自然と距離が近くなり、俺とユウリは1メートルほどの距離で向かい合うことになった。 「そうだな……何から説明すればいいのか、あー……まず、俺にも前世の記憶があるんだ。それは、この世界じゃなくて、もっと全然違う世界での人生だった」 「違う世界……」 「そう、こことは全く違って、まず誰も魔法は使えない。……あー、いや、もしかしたら使える人もいたのかもしれないけど、少なくとも“魔法を使えることが当然”ではない世界だった」 「……」 ユウリは黙って、言葉の続きを待っていた。 澄んだ瞳が真っ直ぐと見つめてくる。俺の話を見極めているみたいだ。 「俺は、学生だったよ。年齢は今と同じくらいだった。そこでは今みたいに“異端の転校生”なんて特別視はされていなくて、どこにでもいる普通の高校生だった。……いや、カースト的には底辺よりだったかな……まぁいいや。それで、その……俺はオタクでさ、ゲームオタク。毎日暇さえあればゲームしてたんだよね」 「ゲーム？　カードとか、チェスとかですか？」 「あー、いや……そういうのじゃなくて、なんていえばいいのかなぁ……テレビゲームとか……あれ、この世界にテレビはある？」 「テレビ……投影魔法で動く箱ですよね。ラングスの家にもありますよ」 「あ、テレビあるんだ。俺の前世のテレビとは仕組みがだいぶ違いそうだけど……まぁ、それで、そのテレビに繋げて遊べるゲームとか、スマホっていう……う〜んと、手のひらサイズの、それがあれば生活できるっていうくらい、すごく便利な魔法道具っぽいものがあって、それでゲームをするのが好きだったんだ」 「すまほ……それは、どんな仕組み動くものですか……？　そちらの世界では魔法は使えないんですよね……？」 ユウリは目をキラリと輝かせる。 ……困った。ユウリの魔法オタク心を動かしてしまったみたいだが、スマホの説明は俺には不可能だ。高難易度すぎる。ここにスマホがあればG⚫︎⚫︎gleに聞けたのに！ 俺が答えあぐねていると、ユウリはハッとした表情をした後、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。 「あ、すみません。脱線してしまいましたね。どうぞ、続けてください」 「うん、いや、ごめん……俺、難しいことうまく説明できなくて……えぇっと、それでさ、俺は死ぬ間際までそのスマホで大好きなゲームをしてた。あまりにも夢中になってて、自分の不注意で車に轢かれて、俺は多分……死んじゃったんだけど……間際まで遊んでたのが、『マラちゅん！』っていうゲームで。その舞台がこのブリートリアなんだ……大きな光に呑まれて、すごく眩しくて……そのまま意識がなくなって、次に目が覚めたら、ブリートリアの保健室だった。前世の自分とは似ても似つかない姿になっているからすっごく驚いたよ」 「……」 「えっと、俺の話は、こんな感じ」 「なるほど」 ユウリはこくこくと頷いて、俺の言葉を受け入る。 あまりにもあっさりとした対応に、俺の方が驚いた。 「俺の話、信じるの？」 「僕の話を信じた人の話を、嘘だと断定する必要はないでしょう？　むしろ、今のお話を聞いてあなたが今までの“転入生(人たち)”と違うことに納得しました」 ユウリは淡々とそう述べて、そして思い出したように俺に質問を投げてきた。 「ところで、その『マラちゅん！』というのは、どういうゲームなんですか？」 「あー……恋愛シミュレーションゲームなんだ。その、BLの……男性同士の恋愛を体験するゲームでして……簡単に説明すると、プレイヤーは主人公……一応ビジュアルとしては、俺と同じ顔の男を操作して、攻略対象のキャラの好感度を上げていくんだ。最終的な目標は、好きなキャラクターと恋人になるって、ゲームかな」 「ブリートリアが舞台ということは、攻略対象というのはうちの学校の人ですか？　誰なんです？」 「えっと、エリアースと、ギルバート先輩、ジェリコにフェイリーカ……」 「フェイも？」 「う、うん……あとは、レオ先生かな」 「え？　先生も、ですか？」 「そう。途中追加キャラだったけど、結構人気高かったなぁ……ミステリアスでセクシーだって……」 「……僕は？」 「え？」 「僕は、そのゲームではどういう役割なんでしょうか？」 「……ユウリは、うーんと……エリアースの婚約者で……そのぉ……」 本人を前に“悪役令息”とは言いづらく、言い淀んでいる俺に、ユウリは少しイラついた声で「はっきり言ってください」と詰め寄ってきた。 無表情だが、目が怒ってる。ちょっと怖い。 「ユウリはエリアースの婚約者で、主人公に色々と嫌がらせを仕掛けてくるキャラでした！」 「……なるほど、僕は“悪役”という立場なんですね」 ユウリはそれについて怒りも悲しみもなく、淡々とした様子で納得している。 「そうだね……確かになかなかの悪役っぷりでした。特にエリアースのガチオタはユウリのこと目の敵にしている人もいたなぁ……」 かつて、前世の俺はSNS上で“ユウリが可愛くてツラい”、“今日もユウリが可愛い”などと呟いていたら、強火のエリアースオタクの目に止まってしまい、めちゃめちゃに詰められたことがあった。 『あんな性悪のどこが可愛いのか理解できない』とか『ユウリ推しは『マラちゅん！』語る資格ない』とか……その他諸々。 あれも怖かった……推しへの愛を叫べない界隈、生きづらかったな……。 「……そんな嫌なやつに、わざわざ近づいてくるのはなぜなんですか？」 「え！？　だって、ユウリは俺の推しだから……」 「推しっていうのは……？」 「人によって色々あると思うけど、俺にとっては、生きる糧だったかな……。暇さえあれば、ユウリが幸せになるルートを妄想して生きてた」 「生きる糧……僕が？　僕を幸せにするとか……よく、わかりません。あなたがどうして僕に執着するのか」 「……俺さ、“悪役”って、すごく主観的な言い方だなぁって思うんだ」 「はぁ……？」 「ユウリからすれば、俺のほうこそ、君の約束された未来を奪った“悪役”だと思うんだ。だけど、『マラちゅん！』の主人公は俺だから、俺の視点からみた時の“悪役”として、ゲームでは扱われている……みんなそれを受けて、ユウリを“悪役令息”だって言って嫌っていく……もちろん、そういう風に思ってもらうためのシナリオだから、仕方のないことなんだけど……それでも俺は、“主人公”視点からしか描かれない“ユウリ・ラングス”のことを、歯痒く思ってたよ。いつも、この子はどんな風に笑うんだろうとか、もし仲良くなったらどこに遊びに行こうかなとか……そんなことばっかり考えてた」 ……まぁ実際は、もっとえげつないことを妄想していたが。あんなことやこんなこと。 本人に言うことでもないだろう。 「だからさ、この世界に転生できて俺ってすごいラッキーって思ったんだ。これで“悪役ではない”ユウリに会える！　絶対俺はユウリと仲良くなるんだ！　って決意したね」 「……」 「ユウリ……俺の言うこと、信じてくれる？　前にも言ったけど、俺の目的はエリアースでも、ラングスの秘伝魔法でも、ましてや地位とか名誉とかそんなものじゃないんだよ。俺は本当に、ユウリと仲良く……いや、ユウリのことを幸せにしたい、愛したいって、それだけのために、いまここにいるんだ」 「そんなの……」 ユウリは言葉を詰まらせる。戸惑うように揺れる薄青の瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。 俺はただ、その様子を黙って見つめていた。俺のユウリへの思いに対しての、彼の素直な気持ちを知りたかったから。 しばらく待つと、ユウリは小さく呟いた。 「僕は……信じます。……信じたいです。あなたのこと」 「うん……うん。信じてよ。この気持ちは前世からの筋金入りだから！」 「ふふ、はい……あの、ありがとう、ございます」 「え？　何が？」 「僕の話を信じてくれた事。あなたの事を話してくれたこと……それと、僕のことを“愛したい”と思ってくれたこと」 「ユウリ……」 「僕は、婚約者はおろか、両親にもそんなことを言われた記憶がないので。新鮮で、その……嬉しい、です」 ユウリは、そう言って、照れたようにぎこちなく微笑んだ。初めてみるユウリの表情に、俺の胸はギュゥっと音を立てる。 あー！　やっばい！　可愛い！　推しの笑顔の破壊力すごーい！！ あまりの事に、俺は表情筋がでろりと緩むことを抑えきれない。ゲーム内でユウリはこんな風に笑うことはなかった。人を小馬鹿にするような微笑はデフォだったが。 しかし、歓喜も束の間、その笑顔はすぐにしゅん、と萎んでしまった。 「でも、その、水を刺すようで申し訳ないのですが……僕の一存では、エリアース様との婚約破棄はできません。それは、前にもお伝えしたと思いますが……」 「……うん、エリアースもそんなこと言ってたな」 「エリアース様も、まだ学生の身分ですからね。父王殿下の決定は覆せないでしょう。なので僕は、このままだと今まで通り王家へ嫁ぐことになると思います。……“ラングス製の魔女”として」　 「……俺は、それを阻止したい。ユウリが、自分で選んだ未来を生きられるように」 「そんなこと、できるんでしょうか…………望んでもいいんでしょうか。僕は……」 「できるかどうかは、正直わからない。でも、望むことも、やってみることも自由だよ。だってこれは、“ユウリの人生”なんだから。自分が生きたいように、やってみたいようにするのが、一番いいと思う。俺はユウリの側で、それを支えたいんだ」 「ミカド先輩……」 「……なんて、いきなりちょっと重いかな……はは」 「いいえ、いいえ……ありがとう、ございます、僕……考えてみます。自分がどう、生きたいのか」 ユウリは瞳を揺らし、堪えるように唇を噛み締めている。 胸元でギュッと握りしめた手は、小さく震えていた。俺は思わずその手に触れると、寒くもないのにひんやりと冷たかった。 伸ばした手で、そのままユウリの手を包み込む。じわじわと俺の熱がユウリの手に移ると、固く握り込んだままの手が、ゆっくりとほどけていく。 「……」 「…………」 お互い、何も言わずに手を握り合う。 ユウリも俺も、無言で微笑みながら、見つめあっていた。 ……いや待って、いまこれめっちゃいい雰囲気なのでは……？ このまま、なんかその……キ、キ、キキキ…キスとか……したほうがいいのか！？ どうすればいいの！！？ 俺の心拍数は跳ね上がった。 心臓は早鐘を鳴らし、顔が熱くなってくる。押し寄せる緊張で、手汗が滲む……ごめんユウリ……でも手ぇ離したくない……！ 俺が脳内であわあわしていると、入り口の方からゴゴゴゴゴ、と大きな物が動く音がした。 それを合図に俺たちは視線を入り口の方へ向ける。 手はまだ、繋がれたままだ。 「……トッドとディートが迎えにきたようですね。結局今日は、調査進みませんでしたね」 「あ、うん、そうだね……ごめん、俺の話で時間取っちゃった」 「いいえ、いいんです。…………僕、今日のことは絶対に忘れません」 「え？」 「……もし僕が予定通り王家に嫁ぐことになっても、僕は今日のことを……“ミカド・サクラ”(あなた)のことを思い出して、生きていけるから」 「ユウリ……」 「もちろん、諦めたわけじゃないですけどね……僕はあまりにも、“悪役”の人生に慣れすぎてしまったから」 自虐的な笑みを浮かべるユウリを見て、俺は思わず握った手を引き込み、彼のことを抱きしめていた。 華奢な体はすぽりと俺の腕に収まる。勢いをつけすぎたのか、俺の体は後ろに流れ、背後にあった本の壁に軽くぶつかってしまった。 「わっ！　ちょっと、ミカド先輩……？」 「俺は絶対に諦めない」 「……」 「ユウリに、幸せすぎてどうにかなりそうだ、って……いっぱいいっぱい思って欲しい。俺は、その為ならなんでもするよ」 「ミカドせんぱ……」 「だから、ユウリも諦めないで」 「……！　っ先輩！　上！」 「え？　うわ！」 ユウリの声に視線をあげると、俺の背後にある本の壁の、上の方がぐらぐらと揺れている。 なんなら危ういバランスで積まれていたのであろう本が、今にも落ちそうになっていた。 俺は思わず抱きしめたユウリの体を床に押し倒し、両腕に力を込めて、やって来るであろう衝撃に構えていた。 ……しかし、いくら待っても何も感じない。 恐る恐る頭上に視線を上げると、俺の頭ギリギリのところで、しっかりとした革張りの表紙の魔法書が静止していた。 さらに視線を少し下すと、杖を持ったユウリの手が見える。 あの一瞬で瞬間時間停止の魔法を使ったみたいだ。 「大丈夫ですか？」 「あ……うん、ありがとうございマス……」 「いえ……僕の方こそ、ありがとうございます」 ユウリはそう言うと、杖を軽く振って、落ちてきた魔法書を脇に積みあげた。さすがだ。 ……俺、なんでもするって大口叩いた割に、何もできないかも……。 ちょっと心配になってきた。 ユウリを腕の下に囲ったまま、ちょっぴり落ち込んでいると、ドタドタと喧しい足音が近づいてきた。 トッドとディートだ。 「あっ！！　おい！　貴様ぁ！！　なんてことを！」 「今すぐユウリ様から離れるんだ！　その汚れた体をどけろ！」 側から見たら、俺がユウリを襲っているように見えるんだろう。二人は興奮した様子で、俺の体に掴み掛かろうとした。 「やめなさい、トッド、ディート。状況も把握せずに大声で騒ぎ立てないでください、と以前にも話したでしょう？」 「しかし、ユウリ様」 「黙って……ミカド先輩、もういいでしょう。離れてください」 「あ……うん、ごめん」 俺は体を起こし、そのまま床から起きあがろうとしているユウリを助け起こそうとする。 しかし、その手はパシリ、と払いのけられてしまった。 「自分で起きられますので結構」 「そ、そっか」 先ほどの甘やかな雰囲気とはうって変わって、ユウリは冷たい視線を俺に返す。 すごい、落差で風邪ひきそう。 ユウリは立ち上がると、俺のことなど無視してスタスタと出口に向かって歩いて行った。 「ふんっ、気安くユウリ様に触ろうとするなんて……不敬にも程がある」 「庶民のくせに……」 トッドとディートに交互に嫌味を言われながら、俺も出口に向かって足を進める。 封印図書館を出ると、トッドがユウリに何がしか耳打ちをしていた。 ユウリは何言か会話すると、俺の方にスタスタと戻ってきた。 「ミカド先輩、僕は明日用事ができたので、調査は休みにさせてください」 「え、うん……いいけど、生徒会の仕事とか？」 「いえ、定期検診です。実家から僕の“担当医”がくるので……」 「それって……」 「また、明後日の朝、ここで落ち合いましょう。それと……先ほどは、すみませんでした。僕がミカド先輩と親しげにするのは、得策ではないと思ったので……」 ユウリは申し訳なさそうに視線を逸らす。 視線をトッドとディートに向けると、少し離れたところでこちらを睨みつけている。距離的にこちらの声は聞こえないだろう。 「大丈夫。気にしてないよ。また明後日ね」 「はい、また明後日」 ユウリは口元だけ小さく微笑むと、取り巻きたちのところへ戻っていった。 その後は何事もなかったかのように、食堂でジェリコ達と合流し夕食を取り、シャワーを浴びて、ベッドに入った。 ……いや、正直に言うと寝る前に可愛いユウリを思い返してオナニーしました。 ことが済んでベッドに入り込み、今日の会話を思い返す。 頭も体もだいぶすっきりした俺は、幸福な気持ちで満たされていた。 「ユウリは、どんな未来を望むのかな……」 それが希望に満ちたものだといい、どうであれ、俺は全力で支えよう。 決意を胸に、俺は瞳を閉じた。