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第11話 悪い奴
お店って、大体、十一時くらい、かな。
スーパーマーケットじゃないから朝開店するってことはない、よね? 朝から洋服を買いに来る人もいないだろうし。
でも、開店する直前まで誰もいない、なんてことはない、でしょ?
義信さんって店長?
お店、一軒家だと思っていたくらいに小さいから働いている人もそうたくさんじゃないよね?
いても一人、二人くらい?
そしたら、行けば、いるかな。義信さん。
連絡先なんて訊いていない。
あの晩だけって思ってた。
俺も、きっと義信さんも。
だから、連絡先はわからない。お店の名前もわからなかった。わかっていても、調べて電話をかけてカードキーの所在をきくなんてこと、できそうにないし。
でも、カードキー、ないと困る。
多分、事務局に行けば学生証もカードキーも再発行してもらえるだろうけれど、でも、きっとカードキーのことは色々訊かれるだろうから。薬理の、だから。薬関係がたくさんあって、一般人は基本入れなくて、だからこそのカードキーだったし。
騒がしくしたくないんだ。
だから――。
「……ぁ……った」
ここだ。本当に大学に行く時の道にあるんだ。ここにこんなお店があるなんて知らなかった。近くにスーパーマーケットがあって、そっちで買い物をする時以外はいつもここを通っていた。
いつも、義信さんのいるこの場所の前を通っていたんだ。
昨日、雨宿りをした窓際。
そこにはたくさんの花と植物が生えていて。海外の写真とかでありそうな庭園みたいになっていた。ここ、今までガーデニングが好きな人が家主なんだろうなんて思っていたけれど。
違った。
近づいて、よく見てみると窓の隣、新芽の鮮やかな緑色の葉っぱが濃い緑の葉っぱの上にたくさん育っていて、そのおかげで見えにくくなっているけれど看板があった。ポストと思われる箱の乗った柱のところにクローズって、閉店中と書かれた看板が掲げられている。その奥、たくさんの葉っぱが石畳に少し覆っていて、なんだかこのまま、その石畳の上を辿って行ったら、御伽の国にでも迷い込んでしまいそう。その先に扉があった。淡い、新芽と同じ緑色の扉。
「アルコ……イリ、ス?」
そう、読むのかな。
お店の名前、だよね?
でも、まだクローズだからいないかな。覗いたら、不審者だと思われるかな。どう、しようかな。
午後、薬理があるから、その前にもう一度――。
そう思いながら、窓の辺り、昨日俺が雨宿りさせてもらった辺りからその扉の方を見ていた。
その緑色の扉が開いて。
「――いらっしゃい」
「!」
中から人が。
「これ、かな?」
「!」
義信さんだった。
Vネックのニットを着て、腕まくりをしながら、彼がキーホルダー付きのカードケースを指先でゆらりと揺らした。
「あ、あのっ」
「昨日、汰由が走って行った後に落ちてた。雨で濡れたから乾かしておいたよ」
「す、すみませんっ」
「やっぱり汰由だ」
「!」
名前を呼ばれて、つい、身構えた。昨日は違いますって言って走って逃げた。。つい、そう言っちゃったんだ。突然現れた義信さんに慌てて。
そんな俺に義信さんが笑って、開けたままの扉に寄りかかった。
間抜けって思われた。
そんな嘘つき。
きっと驚いたはずだ。違うんだ。
こっちの俺が本物。
メガネをしていて、とにかく地味。
あの日の俺は特別。メガネを外した別人。普段は着ることのほとんどないスーツで、髪型だって。
「まさか本名だったとは」
「……」
「言っただろ? 悪いことを考える大人はたくさんいるんだから。そう簡単に見ず知らずの人に本名を言ったらダメだよ。ああいうシチュエーションでなら尚更だ」
「でも」
義信さんが柔らかく、少しだけ笑いながら溜め息をついて、クセが少しだけある髪をかきあげる。俺の周囲にはいないような仕草をする大人の男の人。いい人ではないんだよってあの晩も自分のことをそう言っていたっけ。
けれど。
「でも、義信さんは悪い人に見えない」
「……」
「それに」
優しい人だと思った。
もちろん助けてもらったこともあって、あの時は確かに少し依存してしまいそうなところはあったかもしれない。義信さんのことを信じきって、寄りかかりたいような心境ではあった。でも、だからって、そこまで無知じゃない、と思う。
ほら、こうして目を丸くして、俺のことを真っ直ぐ見つめるから。
目を見て話す人はやましい事、ないと思う。
「俺……」
それにこんなにとってもハンサムな人が優しく笑ってくれたら。
「えっと……」
悪い人、なんて思えない。
むしろ、悪い人でもいい、なんて思う。
「俺、義信さんが悪い人でもいいって思った、から」
「……」
そんな人はとても魅力的で。
今まで出会ったことのない人だったから。
一昨日は非日常的な場所と時間だった。でも、だからってふわふわしてたわけじゃない。
確かに、俺はあの時、義信さんならいいって思ったんだ。
悪い人でも。
悪い事をされても。
「それに、義信さんは?」
「?」
いいって。
「義信って、嘘の名前?」
あと……ね。俺のネクタイを直してくれた指、長くてかっこいいなぁって思ったんだ。
あの時は、もちろんこの人の恋愛対象の性別なんて知らなかったけど。
それが女の人だとしても。
単純にいいなぁって思ったよ?
こんなかっこいい人と付き合える人って、いいなぁって。
「違うよ」
ほら、やっぱり優しくて、良い人だ。
「俺こそ、違うかもしれないよ?」
「? 汰由が?」
「俺の方が悪い奴かも……しれない」
貴方のことを騙そうとしてるのかもしれないよ?
そして、確かに俺は貴方のことを騙したもの。本物の俺はつまらなくて、どこにでもいそうで、いても影の薄い、こんな地味な奴なんだもの。到底、義信さんに相手をしてもらえるようなそんなのじゃないんだよ?
「汰由には」
抱いてもらえるようなこと、この、こっちの俺には絶対にないことだもの。
「……敵わないな」
義信さんはそう言って笑って、おいで、とあの晩、夜景が綺麗だよと部屋に招いてくれたのと同じように、俺のことを手招いてくれた。
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