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第12話 花びら
「どうぞ、まだ開店前で雑然としているけど」
「……いえ」
ここが義信さんの……お店、なんだ。
中は外から見たより広かった。今はダンボールが置かれていて、多分、品物を出してる最中なんだと思う。忙しそう。
けれど、ここは真四角の、なんというか、宝箱みたい。
入ってすぐ、思ったのはそんなことだった。
こういうのってアンティーク……とは違うのかな。穏やかで柔らかくてシックな印象があった義信さんだけど、でも、ここに並んでいる洋服や小物は少しくすんだ、でも綺麗な色がたくさん並んでいる。
イメージしていた義信さんよりカラフル。でも、それでいて義信さんの笑った顔や、俺みたいに会話が上手じゃないい相手とも楽しく弾む会話、色っぽい仕草、かっこいい雰囲気。そんな一辺倒じゃない義信さんに似ているとも思った。
俺はあんまりこういう個人経営のお店って入ったことがなくて、いつも大概、量販店とか駅ビルの中とかで済ませてしまう。なんとなくこういうお店、よく賑わっている繁華街にもお洒落なお店があるけれど、入ったら出て来れなさそうって思ってしまって。
お洒落、だ。
味わったことのないこのお店の雰囲気にぽかんとしながら、壁から天井までを眺めた。壁紙も模様があるのって、なんか窮屈そうなのに。そんな感じがちっともしない。
天井は鮮やかな赤、ピンク? とにかく綺麗。それなのに圧迫感がない。そこから窓が――。
「……」
窓……雨宿りしていた俺って、こっちの内側、室内から見ると、なんだか。
「絵画みたいでしょ?」
そう呟いたのは義信さんだった。
窓を内側から眺める俺を眺めるみたいに、壁に寄りかかりながらにっこりと笑った。
「ほら、ちょうど今の時期は植えてある植物がよく伸びてるから、フレームみたいになって。向こうの向かいのビルの植木もちょうどいい背景になるんだ」
「……」
「雨が降ってるのか、って窓を見たら君がいた」
あの時、濡れた髪をカバンの中から取り出したタオルで拭って、メガネを外した。
「それで気がついたよ」
「……」
「汰由だ……って」
じゃあ、あそこでメガネを外さなかったら、きっとずっと知らないまま、だった?
「すごい偶然があるんだと思ったよ」
あそこで濡れてもメガネを拭わなかったら、タオルを持っていなかったら、メガネケースを大学に忘れていたら。
「汰由があそこの大学生だったなんて」
雨が降っていなかったら。
「ここの通りをあそこの大学生がよく通るのは知ってたけど」
義信さんがそばにいるのに気が付かず、けれど毎日すれ違っていた、なんて。
「医大生、すごいな」
「……」
「何かトラブルとか、だった?」
「……ぇ?」
「誰にもいうつもりはないけど、でも医大生の君があんなアルバイトをしていたわけ」
「!」
「よっぽど何か金銭的に困ってた、とか」
そ……っか。
義信さんはこんな地味で真面目そうな医学生が、あんな、つまりは身体を売るようなことするわけないって思うんだ。何かよっぽど金銭に困ってるとか、言うに言えない理由があるとか。とにかく何かのトラブルで仕方なくやってるって、そう。
「あ、あのっ」
そう思ったんだ。
「そう、なんです。お金に困ってて」
義信さんが難しい顔をした。それは大変なことだけれど、あのアルバイトはしちゃダメだろうと諭したいって顔。
「でももうあのアルバイトはしませんっ」
しない。二度と。
今回は本当に、ものすごく運が良かっただけで、あんなのいつか本物のトラブルに巻き込まれる。だから、もうしない
しないけど。
「だからっ、あのっ」
「……」
どうしたんだろうって顔、してる。
「あのっ、俺をここで働かせていただけませんかっ?」
どうしちゃったんだろうって思った。
義信さんも。
そして俺も。
俺こそ、そう思った。
そんなつもりこれっぽっちもなかったし。むしろ、ここに来るのだってすごく勇気がいったんだ。本当の俺なんてこんなもの。
だったのに。
「ここで、」
「いいよ」
「え?」
でも、ポンって言葉が口から出てきた。
ここでアルバイトさせて欲しいって。
なんでだろう。
その理由を自分の中から見つけ出そうとしたけれど、すごく、すぐに義信さんがいいよ、なんて言うから。
いいよって、すぐに返事をしたから、わけ、わかんなくなって。
「いいよ。アルバイト、一人ちょうど抜けてしまって、少し困っていたんだ」
「あ、あのっ」
「だから、汰由がそれでいいなら」
「え」
「こちらは人手不足解消。君は金銭的に少し……楽になる、かな?」
「あ……」
義信さんは笑ってくれた。笑って、レジ? かな。小さなカウンターへ行くとガサゴソと、引き出しを探って、メモを出した。
「知咲(ちさき)君」
「え?」
どうして俺の名前。
「あのっ……ぁ、学生証」
「そう。それですごく驚いた、素敵な名前だなぁとは思ってたけど、本名を素直にいうとは。何時でもいいけど、何時から大丈夫そう?」
「えっと……」
「大学が終わってからで充分だよ」
「あ、の」
じゃあ、と少し考えてから、講義が全部終わって、大体、いつも俺がここを。
「じゃあ、五時……で」
「了解」
いつも俺がここを通るのより少し早い時間を伝えた。
「五時……知咲汰由君」
そう、とても綺麗な字で綴られたメモが、レジカウンター脇のコルクボードに、透明な青色のビーズ玉が先端でキラキラしているピンで留められた。
「それでこれが名刺」
「! す、すみませんっ」
アルコイリス……オーナー、国見義信、そう綴られ、淡い、けれど瑞々しい新緑色と優しい桜色で彩られた名刺が、まるで、はらりと花びらみたいに、俺の両手に音もなくやってきた。
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