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第14話 カランコロン
「まずは畳み方ね」
「は、はいっ」
アルバイトの仕事内容は商品棚の整理整頓、それから接客。レジの打ち方はとりあえず、また慣れた頃に。今日はアルバイト一日目。ゆっくり覚えていて、って言ってくれた。
いっぺんにやっても覚えられないかもしれないし、レジ付近には義信さんがいるから対応できるよって。
笑ってくれる。
俺は、覚えるのは、得意だけど。でもアルバイトしたことないから緊張しちゃって。
それが顔に出ていたんだと思う。
義信さんが俺の頬を指先で押して、笑った。
――そんなにカチコチにならないで。
そう言って笑ってた。
「ここを、こうして……腕の部分を折って、それから」
「はいっ」
一人でお店をやっているとデスクワークをする時間がどうしても確保しにくくて、夕方、商品整理が追いつかないことがあった。だから、夕方にそれをしっかりやってもらえるだけでとても助かるんだと話してくれた。商品が乱れた棚には品出しできないし、お客様もそんな棚からは何も欲しいと思えない。
品出しするためには商品の整理から。朝、そこから始めるとなると、品出しが完了しなくて……と、ズルズル予定がずれ込んでいってしまう。
とても大変そうです、って感想を言ったらまた笑われて。
「上手、上手」
「! 本当ですか?」
義信さんはよく笑う人。
それにつられるのかな。
俺も、よく笑ってる。
「さすが医大生。飲み込みが早い」
「!」
そして、よく笑うからかな。
気持ちが柔らかくなる。
「じゃあ、ここの棚をお願いできるかな」
「はいっ」
義信さんはそういうとレジの方へ行き、そこに置いてあったタブレットで立ったままそこでデスクワークを始めた。
チラリとその様子を覗き見して――。
――カランコロン。
そこで、扉にぶら下げている鈴が来客を伝える呼び鈴を響かせた。
お客さんだ。
「い……いらっしゃいませっ」
緊張のあまり声がひっくり返りそうになったけれど、そのお客さんに挨拶をして、一歩だけ前へと、足を踏み出した。
案外、本当に忙しいんだ。
商品整理をして、接客をして、レジもして、デスクワークも……。
小さなお店だけれど、これはとても大変そう。
だってつまりは、受付、案内、診断、会計を一人でやるようなものでしょう? ここに包装や裾直しが入ってくるのなら、医者が薬剤師の仕事もしないといけないようなものなわけで。あれもこれもで目眩がしてしまいそうだ。
初日だからと言うのを差し引いても、すごく大忙しで。商品整理だけでいいのかな、なんだか申し訳ない気がするけれど、なんて、最初思っていた自分に「違うから全然」と教えてあげたくなる。
あっという間に時間は経ってしまって、今、もう――。
そこでふと視線を時計へと向けた。
もう、ほら、閉店間際になってしまってる。
「……」
その時計の下。
レジのところに義信さんがいた。
デスクワークの最中。
話している時と違う、たまに手を止めて、なんて打とうか考えてるのかな。そんなふうに手を止めている時は少し無表情にも思えるけれど、でもたまに口元が緩んでいたり、難しい顔をしてみたり。
背、すごく大きくて、あの晩、ホテルでネクタイを直してもらった時、彼のスーツ姿に見惚れたけれど。こういうラフな格好もよく似合っている。
かっこいい。
薄手のニットは肩の辺りがベージュ。それが胸の辺りから段々とグラデーションで優しいオレンジ色に切り替わっている。男の人が腕まくりしてるのがかっこいいって、思ったことなかったけど。
「……」
あ。
何か、あったのかな。ちょっとだけ驚いた顔をして、それから、レジのところにあるカレンダーへ視線を向けて。その後、今度は俺の名前をメモして貼り付けたコルクボードに視線を向ける。それから何かを書き込んで、またタブレットで何か始めて。
「……そんなに見つめられると緊張してしまうんだけど」
「! す、すみませんっ。あのっ、何してるのかなって」
見過ぎ。
気がつくよね。
勘のいい人だもの。あの晩だって、ほとんど何も聞かずに状況を判断して、すぐに俺のことを助けてくれたくらいだもの。
「そろそろ時間だね」
「……ぁ」
そう、なんだ。
もうそろそろお店が閉まる時間。
俺はそこまででいいって言われていて。だからお店が終わる頃に上がらないといけなくて。
「あの、でも、まだここの棚」
「もうそこ一つだけなら充分だよ」
最後、仕事帰りかな女性が来たんだ。母の日だけれど、義理のお母さんに渡すもの選べてなくてって言って。すごく急いでいるようで、その人のプレゼントを一緒に選ぶことに忙しくて、気がついたら、ひと区画がすごく乱れてしまった。そこを直してた。
「お客様、すごく喜んでくれていた」
「! い、いえっ、俺、とにかく急いでるようだったから必死で」
「ありがとう」
「!」
「そこはいいよ。後で僕がやっておく」
「! あ、あのっここ、片付けたらダメですか? あ! あの残業代とか出さなくていい、です! でも、俺、遅いからっ、義信……あ、店長みたいに速くできないから、せめてここだけでも終わらせて」
そしたら――。
「あの……すみませんっ……遅くて」
「いや、真面目だなってびっくりしただけ。それから店長なんて呼ばなくていいよ。呼ばれたことないんだ。あんまり店長っぽくないだろう?」
そしたら、ここの棚の整理を続けたら。
「……たし、かに」
「ここ、そんなことないですって言うところだよ?」
「! す、すみませんっ」
「っぷ、冗談だよ」
まだ、あと少しここにいられるって思ったんだ。
「それから」
「は、はいっ」
「残業代はちゃんと出すよ」
まだここにいたいって、思ったんだ。
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