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第19話 酔っぱらい金魚

 ご飯美味しかった。  普段、大学の付き合いで飲むレモンサワーとは違っていて驚いた。  飲んだことのない味で、美味しくて。たくさん飲んじゃった。でもまだ飲めたし。もっといられたらよかったのに。見えないサッカーボールでも蹴ってるみたいに足を放り出して歩きながら、そんなことを考えてた。 「汰由……」  足、つま先のところが、ほら、ふわふわする。 「酔ってる。気をつけて」  言いながら、二歩くらい先を歩く俺のことを笑って嗜めてくれる。  こういうの、すごくさ。  なんか。  いいなぁ。こんな人が彼氏だったら、どんな心地なんだろう。  義信さんを恋人にできた人って、どんな人なんだろう。  義信さんと付き合えたら。 「……大丈夫ですよー……」  いいなぁ。 「大丈夫……にはあまり見えないな」  こんな人が俺の彼氏だったらすごいなぁ。  優しくて。 「大丈夫ですってば」 「普段、飲みに行ったりしないの? 友達とか」 「あんまり。課題とかけっこう多くて。あ! 子どもっぽいなって思ったでしょう?」 「……思ってないよ」  かっこよくて。  いいないいな。 「明日、遅刻してかまわないよ」 「しませんっ」  包容力あって。 「いいよ。今日、飲ませたのは店長の僕だから」  そうだ。あの時だってさ。  俺のこと、サッと、サーっと助けてくれた。  その時もめちゃくちゃかっこよかった。  あの晩、してもらった。  一度、してもらえた。 「遅刻なんてしないです」 「遅刻しておいで。実はいつも真面目に仕事をしてくれる汰由のおかげで、進捗捗ってるんだ。だから」  だからって、二度目とか……無理だよね。  もう一回なんてさ。  どう言ったら、誘えるんだろう。 「ちゃんと朝、起きられます」  だって、遅刻したら、義信さんと一緒にいる時間短くなるじゃん。だから寝坊も遅刻もしないし。  それより、今、ホテル。 「水、買ってこよう」  行きませんか  なんて。  言えたらいいのになぁって。  誘い方なんてわかんないよ。 「平気、です」  そうだ。遅刻しちゃうから、このままこの辺りで泊まって、そのまま出勤、とかしませんか? とか? 無理でしょ。言えっこない。  断られたら、その後、気まずいし。  アルバイト先の店長だし。  バイト、しなければよかったかな。  なんて、バイトさせてくださいなんて言ったのは自分なんだけどさ。  だって、あそこでカードキー受け取ったら、それでおしまいだろうから。  アルコイリスに、次、お客さんとして入る勇気なんて俺にはないし。あの道を通る度にただ気まずい気持ちになるだけでさ。で、大人な義信さんは特にきっと気にかけてなくて。俺ばっかり気にしてて、それもまた俺の中では微妙っていうか。  話しかけ方もわからない。  そういうの得意な人っているけど、俺には無理っていうのは、自分でわかっててさ。  なんでだろうね。友達の作り方とかわからない。小学校の頃から箱の中で過ごしてたから、新しい出会いなんてほとんどなくて。中学、高校、大学って節目節目で新しい外部からの入学生っていたけど、そこに率先して話しかけにはいけなくてさ。  あの時だって、カードキーもらった時だって、なんで急にあんなこと言い出したのかわからないんだ。  本当に勢いだけで口が勝手にもうそれ以降のこととか、その先とか考えずに喋っちゃてたし。  お酒の力を借りて、今日も、あの日の「汰由」になれたらいいのに。  なれないかな。  今、平気です、なんて言っちゃったけど、やっぱり酔ってますって言って、どこかで休憩して行きませんか? って。今なら――。 「平気そう、ではないし。そんな千鳥足で返したら、親御さんに、なんて店で働いてるんだって叱られるよ。おいで」  今なら。 「おいで、汰由」  義信さんはそこでコンビニを見つけちゃった。  少し早歩きでその中へと向かっていく。  そして、俺も一緒に中へ。薄暗かった外から、煌々とした灯りでお店の隅々まで照らされる明るい店内にやってくると目がその明るさにあわてて瞼を数回パチパチって。  眩しくて。  そしたら、なんだか魔法が解けてしまったみたいに、ふわふわしていた足元がぎゅっとした。  酔いが覚めちゃう。  明かりに、「ダメでしょう?」って、諭されたような気がして。 「はい。お水」 「……あ、あの代金を」  ちゃんとしないとって叱られたような気がして。 「いいよ、気にしないで」 「でも」 「メガネがないせいかな」 「……え?」 「汰由」  そうだったって、気がついてしまう。 「君は不思議な子だ」 「……」  俺は真面目で地味な奴なんだって。 「気を悪くして欲しくないんだけど、俺っていうのがなんだか似合わないなぁって」 「……俺?」 「そう。真面目で良い子って思えたり」  そんなことないよ。悪い子だよ。 「今日はあどけない酔っ払いさん」  悪い子になりたいんだ。  本当は。 「どんな子なんだろうって思うよ」 「……」  どんな子。  悪い子になりたい子。  でも、どんなでもない子、かな。 「…………普通の大学生です」 「そんなことは」  なく、ないよ。  本当に普通の平凡な大学生なんだ。 「さっきの電話、大学の友達、晶っていうんですけど、医者にずっとなりたくて。人を助ける仕事がしたいって。すごいですよね」 「……それは汰由も」 「俺はそんなんじゃないから。全然。そういう志みたいなのじゃないんです。親が医者で、だから俺も医者じゃないとダメって」 「……」 「ただそれだけなんです」  俺って自分のことを言った時、お母さんはすごく嫌そうな顔をしたのを覚えてる。  嫌な顔をするだろうなって思いながら言ったから。悪い子になりたい俺はささやかな悪さをしたんだ。 「俺、って自分のことを言うのも、ちょっとした反抗っていうか。抵抗っていうか」 「……」 「エリートとか、お医者さんとか、親がそう言うので。でもそんなんだからダメなんですよね。親戚とか親にもやっぱりわかっちゃうみたいで。テンションの低さっていうか。やる気、みたいなの。そんなんでどうするの、みたいな雰囲気っていうか」 「……」 「本当の俺は、全然……」 「……」 「全然で……」  箱の中にいたら楽ちんで、金魚鉢の中にいたら、ご飯ももらえて。いつでも同じ水温の綺麗で安心安全な水の中を漂っていられる。  でも持て余すんだ。  好奇心を。  矛盾してるよね。  好奇心が溢れそうなくらいなのに、そのくせ怖がりで、不器用だなんて。だからこの箱の中にいるのが一番ってわかってる。わかってるけど――。 「って、すみませんっ、明日、遅刻しないので安心してくださいっ。小物の品出し頑張ります!」 「……」 「お水、飲んだら酔い醒めました!」  わかっているけれど、あの晩、義信さんに抱いてもらえたあの晩が忘れられないくらい自由で、心地良くて、最高に気持ちよかったんだ。

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