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第20話 木漏れ日
金魚鉢の中にいたら、安心、安全。
親に迷惑をかけることもないし、親にとって良い子でいられる。たしかに外は怖くて何も知らない俺には怖いことがたくさんあって。でも、鉢から飛び出したら彼に出会えた。
義信さんに、出会えた。
――メガネをしてないからかな。
昨日のあの時間もなかった。
――わぁ、メガネ! 汰由、優等生っぽい。
メガネをかけたきっかけはそんな何気ない一言からだった。ものもらいができたんだ。目のところに。それを誤魔化すために伊達メガネをして学校に行ったら、晶が優等生っぽいって。
伊達メガネだからもちろんただのガラス。でも、鏡の中にいた俺は確かに優等生のように見えた。
それがきっかけだった。
もちろん親は目が悪くなったの? って訊いてくる。だから、うん、って答えて、親戚からもらったお年玉でメガネを買ってくるって嘘をついて、伊達メガネをしていた。
そうしたら、ほら、「優等生の汰由」になれるでしょ?
良い子に、見えるでしょ?
これは俺の優等生スイッチ。
「魔法のメガネ……」
これをしてれば優等生。
していない俺は……。
「……」
俺は。
「お、おはようございます」
「おはよう……二日酔い、大丈夫?」
アルコイリスに行くと、義信さんが今日はいつもと同じ、涼しげで柔らかくて触り心地の良さそうなサマーニットにリネンパンツで商品整理をしているところだった。
「あの、品出し、します」
「あ、うん」
いつもと同じ。
昨日の続き。食事の帰りにも言っていたウイメンズの小物の品出し。スカーフとかあと。
「日傘……?」
「あぁ、それ可愛いんだよ。傘の布の端が少し変わっていて。開いてごらん」
「? ……わ、ぁ」
降りたんである時からレースっぽくて綺麗だろうなって思ったけれど、広げてみると、イメージしていたものよりもずっと繊細で綺麗だった。布の端はレースじゃなくて、葉っぱ? かな。無数の葉っぱが折り重なっているようなシルエットで切られていて、それが折り重なるとまるでレースみたいに見えていたんだ。
「日傘だからね。日差しが当たると地面に木漏れ日のようなシルエットが出る……んだそうだよ? 今回買い付けた海外の担当者が勧めてくれて、まぁそう大量なわけじゃないから仕入れたんだ」
そうなんだ。素敵っぽい。
「少し、外で広げてみたら?」
「え。いいんですか?」
「もちろん。興味を持ってくださったお客様には実際に外で見てもらおうと思ってるから、むしろ試しておかないと」
「!」
すごい。
どんなふうになるんだろう。
オープンは十一時。今の時間は十時半だから、日はやや真上、かな。ラッキーなことに今日は快晴なんだ。梅雨時期であんまりスッキリとした晴れ間は最近なかったから、とても貴重な一日。でも、久しぶりのフルパワーな太陽光は強烈で、五月でこれなら夏になったらどうなるのだろうって心配してしまうほど。その日差しの下で日傘を広げた。
ワクワク、した。
「わ、ぁ」
そして、ドキドキもした。
「これは素敵だね」
「!」
ドキドキ、する。
足元、強い日差しに照らされていたアスファルトの上に木漏れ日ができてる。
ほら、布の際に穴も少しだけ開いていて、それがまた葉と葉の隙間のように見せているんだ。
義信さんもその足元を見て、笑っていた。俺は大急ぎで強い日差しを遮ってあげないとって、手を高く挙げて、義信さんもその日傘で隠してあげた。この時期の陽は一年でも一番紫外線が強いっていうから。
そして、自然と相合い傘になってしまって。その、近くて。
「はい。すごく素敵です」
ドキドキする。
「うん。良い買い物になった。彼にあとでお礼を言って行こう」
近くて、傘のせいかな。声が、低く、傘の内側にこもって聞こえてくるのがくすぐったいというか。
「これっ、素敵すぎて俯いて歩いちゃいそうです」
「あはは、それも良いかもしれない」
俯いて歩く時はきっと落ち込んだ時。悲しいことがあった時。寂しくてしょんぼりしてしまうことがあった時。そんな時にこの日傘があったら、ちょっと気持ちが和らぐ気がした。
俯いた視線がワクワクしたものに変わる気がした。
木漏れ日の下で少し休憩しているように。
葉に遮ってもらった薄ら陽にホッとひとやすみしているように。
「これ、お客様にも広げて見ていただきたいですね」
「……そうだね」
木漏れ日の中、好きな人とのひとときを――。
「メガネ」
好きな人とのひとときを楽しむように。
「今日、してないんだね」
好きな人との小さな時間を――。
「あ……えっと」
「いつもと違うから、ちょっとドキドキする。汰由は睫毛が長くて綺麗だね」
「……ぇ」
「さ、中に入ろう。そろそろオープンだ」
スルーだと思ってた。お店に入った時、何も言われないから。
今日、メガネしてないことなんて。
「は、はい」
急に、傘の下、影の中で内緒話みたいに言うから、メガネあってもなくても気がつかないよね、っていうかそんなのいちいち気にしないかって。
少ししょんぼりしたんだ。
些細なことだよねって。
俺にとってはちょっとした変化だったんです、なんて、義信さんが知るわけないんだしって。
なのに急に言うから、何にも言えなかった。
突然そんなことを言われて、何も、ちゃんと返事できなかった。
義信さんに続いて、急いで傘をしまいながら、今日はしてこなかったはずなのに、動揺した指先が思わず、メガネをなおすようにこめかみに触れて。
――いつもと違うから、ちょっとドキドキする。
「……」
――汰由は睫毛が長くて綺麗だね。
日傘で陽は遮られていたはずなのに、強い日差しに照らされたみたいに。
「っ」
頬が急に熱かった。
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