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第28話 迷子

 常連さんが教えてくれたんだ。あの時、すごく気になって、それで、義信さんがいない時に少しだけ話をして。  話すのが好きな方だったからたくさん教えてくれた。  スーツを着ているけれど可愛らしい方って。  いつも大体スーツを着ていて、それがすごく似合っているのに、どことなく可愛くてあどけなくて、ほっとけなくなっちゃう感じの人って。  そう、教えてくれた。  この人が、その人だって、すぐにわかった。 「……あの」  だって可愛い。  ほっとけなくなるっていうの、すごくわかる。  そして、その人は何も返事をしない俺ににっこりと微笑みながら、首を傾げた。その仕草だって、もちろん、可愛くて。  愛される人って、きっとこういう人って思う。 「どうかしましたか? 雨、すごいですね。スーツが濡れちゃって。風邪引かないようにしなくちゃ。今度、バーベキューに」 「佳祐!」 「はい? 何? 義、」 「ああああ、あ、そうだ!」  慌てている。  俺、こんなに慌ててる義信さん初めて見た。大きな声も、初めて聞いた。 「どうしたの? 今、」 「いいからっ、なんだっけ、用事があるって言ってたのは」 「あ、うん、あのね。今度先生に……」 「ああああ、はいはい、わかった、あっち」 「あっち?」 「そう! あっち!」  気まずい、感じ。  俺にあんまりこの人のこと見せたくないっぽい。 「佳祐も忙しいだろうから、ほら、早くしないと」 「あ、うん。ありがと」 「また、そのうちね」 「う、うん」  佳祐、そう呼ぶんだ。呼び捨てでとても親しそう。その佳祐さんはまるで押し出されるようにお店を出て行った。  そりゃ、そう……だよ。  きっと、俺のこと、隠したい、よね。 「……」  変なアルバイトに手を出して、変なトラブルに巻き込まれるようなの、なんて。  直感、だけれど。  あの人は義信さんの大事な人、でしょ?  俺となんて、一夜だろうと、したことあるなんて知られたくない、でしょ? 「ふぅ」  溜め息をつきながら義信さんが戻ってきた。  そうだよね。好きな人には勘違いされたくないもん  あんなに慌てたところ、初めて見たし。大きな声も初めて聞いた。 「あ、あの、義信さん、ここの棚、綺麗に直せました」 「あぁ、ありがとう……はぁ」  そんな大きな溜め息も、初めて聞いた。  俺は、あの佳祐さんが羨ましくて、同じくらい大きな溜め息が溢れてしまいそうになるのをどうにかして堪えていた。  あのくらい、可愛いかったらよかったのに。  でも、あのくらい可愛くても、あんなアルバイトとかしちゃうようじゃ無理かな。  かっこいい義信さんの相手としてこれっぽっちも似合わないもんね。  とても上品そうな人だった。  優しくて、品のいい感じの人。  義信さんにお似合いだった。  俺なんて、どうしたって勝てないくらい。 「……」  アルコイリスに入るのかな。  俺のこと隠したいっていうのはあっただろうけど、それでも話もさせてくれない雰囲気だった。  だから、もしかしたら、あの人を雇う、とか?  俺に最近、休んでいいよってよく言うけれど、それは休んで欲しいんじゃなくて、やめてほしい、とか?  やだな。  気持ちが捻くれて可愛くないことばかり考えてる。そんなことを考えるようじゃ、それこそ義信さんに好きになってなんてもらえないのに。  あの人みたいな愛らしさなんて持ってないんだから、今以上に捻くれて可愛くない子になったらそれこそダメなのに。  あの人とはまるで正反対な自分が本当に……。 「……ぁ」  溜め息をつきながら、急に丸まりかけた肩からカバンがずり落ちそうになって、ふと、気がついた。  本、忘れて来ちゃった。  紳士服の勉強の本。 「……」  ほら、ない。  どうりでカバンが軽いと思った。  少しずつだけど、接客の時にこういうの使えそうとか色々勉強してたのに。  ―― 楽しそうに何を読んでるのかと思った。  バカ、みたいだ。  俺じゃなくたって、義信さんのお手伝いができる人なんて他にたくさんいるのに。  あの人はそんなの勉強しなくたってわかってそう。  シャツの袖はジャケットの袖から少し見えるくらい。  ウエストまわりはこぶし一つ分開くようにする。  着丈はお尻がぎりぎり隠れるくらい。  肩はひとつまみできるくらい。  そんなのあの人は知ってるでしょ? わかってる。  きっと、義信さんが欲しいのは俺じゃない。 「っ」  そう思ったら急に胸が苦しくてたまらなくなった。辛くて、悲しくて。バカなんじゃないのって、どうしょうもなく自分のことを卑下したくて。小さく、小さく、折りたたんで、くしゃくしゃにしてどこかに。 「あの、すみません。ここのお店に行きたいんですが」  駅のところで、引き返して本を取りに戻るわけでもなく、このまま帰るでもなく、駅前の混雑した中で、ポツンと突っ立っていた。  知らない男の人が、カフェ、かな。道を訪ねてきて。 「あ、えっと……そこは」  ここのカフェ、少し有名なとこだ。でも、道がわかりにくくて、お店も奥に引っ込んでてわかりにくい。晶が友達に教えてもらった二人で行った時も迷ったんだ。 「この道をまっすぐ行って」 「はい……」  その先、三つ目の角を左に曲がって、Y字になる道があるからそこを右に曲がって、坂を……。 「途中まで案内しましょうか」 「え、良いんですか?」 「はい」 「助かります。取材で約束してる時間に間に合わなそうで、困ってて」 「良い、ですよ。全然」  どうせ、暇だし。 「えっと、この道を真っ直ぐで……」 「あ、はい」  彼が俺の示した道の方を指差して、歩き出したのに連れ立つように俺も一緒に――。 「汰由!」  歩こうとした時、だった。  名前を呼ばれてびっくりした。  この声、は。 「汰由!」  そして、もう一度名前を呼ばれて、振り返ったところで、すごく強く腕を掴まれて、引き戻される。 「!」  転びそうだったけど、転ばなかった。足がもつれたけど、受け止めてもらえたから。  この腕は。  心臓、止まる。 「……ぇ」  だって、そこには息を切らして、いつもすごくかっこよくて上品に笑ってくれる義信さんが。 「おいで」  すごい慌てて、痛いくらいに俺の腕を掴んで、そう、激しい口調で言ったから。

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