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第29話 最低で最高で
「汰由、おいで」
びっくり、した。
強い口調も、強い腕の力も、全部、いつもの義信さんと違っていて、びっくり、する。雨の中、傘はさしているけれど、その足元はびしょ濡れだから、きっと走ってきてくれたんだって。
「あ、あのっ」
「失礼。彼を迎えに来たので、連れて帰ります」
「あのっ」
そのまま腕を掴まれて、引っ張られて、まるで引き剥がすように、その迷子になっていた人の隣から、義信さんの隣へ連れ去られて。
その場から義信さんと立ち去った。
振り返るとカフェを探していた人はポカンってしてて。
俺も、ポカンってして。
俺の傘も、ポカンってしてそうで。
「汰由、もっと君はちゃんと」
「今の」
「あぁ、今の男は、一体」
「道」
「……」
「案内してたんです。カフェの行き方」
「……」
今度は、義信さんがポカンって。
「それで、俺も行ったことのあるカフェだったから道、教えようと」
そして、真っ赤になった。
「!」
今度は、口元を手で覆い隠した。
「あの……義信、さん?」
あんなに強い口調も、強い腕も、それから。
「あぁ、もう、嘘、だろう?」
こんなに慌てる義信さんも見たこと、ない。
「僕は、てっきり」
こんな義信さん、見たこと、ない。
「君がまた変な男にナンパされてるか、もしくはあのバイトをまだしてるのかと……はぁ、最悪だ。頭に血が上った」
どうしよう。
「最高、です……」
「汰由」
「だって俺」
嬉しくて、死んじゃいそうだ。
「義信さんのこと、好きなんです」
「……汰由」
「だから、最高」
こんな。
「汰由」
嬉しすぎて涙が出てきた。
泣いてるってバレたら恥ずかしいけれど、引っ張られた時に少し濡れちゃったから、それだって言って誤魔化せるかな。
嬉しくて、たまらないんだ。
ねぇ、だって、追いかけてきてくれるなんて、思いもしなかった。
「君のは、勘違いだ。年、幾つ離れてると思ってる?」
「知らない、です」
「十二だよ。一回り違うんだ。君にしてみたらおじさんだ」
「十二……三十二歳」
「あぁ」
俺が男の人と歩いてるのを見てあんな顔をして引き離してもらえるなんて、思いもしなかった。
「初めての相手だったから、そんな気がしてるだけ」
あんなふうにさらってもらえるなんて、思いもしなかった。
「もっと近い歳で、魅力的な相手が見つかるよ」
ねぇ、この人のものに。
「好き、なんです」
「……」
「義信さんが、好き。好きです」
なれるかもしれないなんて、こんな最高なこと、思いつきも、しなかった。
ナンパされているか、もしくはあのバイトを実はこっそり続けていたと思ったって、義信さんの自宅までの道で教えてくれた。義信さんのうちは、アルコイリスのある駅の改札じゃなく、反対側の改札から出て、歩いて五分くらいのところ。こっちにしたのは、アルコイリスのある方と違って、駅からすぐ住宅地が多くて静かだから落ち着くんだって。
その五分、俺はドキドキしながら歩いてた。
「濡れちゃったね。ごめん。今、お風呂をつけたから、沸くまで、ソファに座っていて、コーヒー淹れようか」
「……」
「紅茶もあるけど、どっちが」
言うこと、きかなかった。
「義信さんがいい、です」」
ソファには座らずに、後ろから義信さんに抱きついて。ぎゅって。
「汰由」
「好き」
「……」
「好きです」
コーヒーも紅茶もいらないですって。
「歳、三十二って教えなかったのはね」
貴方がいいですって。
「君におじさんって思われたくなかったんだ」
「そんなの」
「二十歳の君に夢中な三十二歳はちょっと怖いだろ? そのくらい」
「……」
ぎゅっとしがみついていた俺の手に義信さんの手が重なる。
「君が好きだ」
ちゃんと抱きしめてもらった。
「汰由? どうし、」
「……あは、嬉しすぎて」
だって、今、言ってくれたんだもの。俺に、夢中って、そう貴方が言ってくれたんだもの。
「義信さん、覚えてる?」
「?」
「キスは好きな人としなさいって、その方がとても気持ちいいからって」
「……あぁ」
「キス、して」
ちゃんと。
「義信さん」
「あぁ」
「……ン」
唇が触れただけで蕩けそうになる。
「ん、ふ」
触れて、重なって、開いて。
「あっ……ふ」
絡まる。
舌が柔らかく絡みついてく。
「ン」
離れると、切なくて、身体の奥がきゅっとした。
「キス」
名残り惜しい唇の感触を味わうように、きゅっと柔らかくほぐされた唇を噛み締めて、そう呟くと、腰を抱き締めて、身体をしっかりと触れ合わせてくれた。
「どうだった? 汰由」
「嬉し……」
もっとしたくて、身体を預けて、今、重なっていた、触れ合っていた唇をじっと見つめる。
「義信さんにファーストキス、してもらえた」
「……」
「気持ち良くて、溶けちゃうかと思った」
もっとしたい。
キス。
もっと。
「それは困るな」
「あっ」
「僕も汰由とキスしたくて仕方なかったんだ」
「あン」
もっと。
「キス以外のことも、したくて、仕方なかったんだ」
「ン、ぁ……」
「だから溶けずにいてもらわないと」
もっと、この人のものになりたい。
「汰由、好きだよ」
耳元でそう囁かれただけで、震えるほど気持ち良くて、今から、この腕の中であの晩みたいに抱いてもらえるんだって思っただけで溶けちゃいそうで。
「俺も、好き、好きです。義信さん」
しっかりしがみつきながら。
「ン」
教えてもらったばかりで、覚えたばかりの気持ちいいキスに自分から舌を伸ばして、舐めて、しゃぶりついた。
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