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第34話 キラキラ紫陽花

 義信さんの住んでいるマンションはアルコイリスと大学のある駅とは反対口にあって、大学までは距離にして……徒歩二十分、くらいかな。  部屋から義信さんと一緒にアルコイリスまでゆっくり歩いてきたから、もう少し時間かかったけど、でも、距離はそんなになくて。  ――気をつけて。行ってらっしゃい。  朝、そう言って見送ってくれる義信さんのそばに、今、お店の入り口で満開に咲いている紫陽花が綺麗だった。  こんな時間からお店が開くの? なんて驚いていそうな紫陽花は、昨日一日中降り続いていた大好物の雨雫をたくさん花びらの上に溜めて、キラキラ輝いていた。  本当は大学まで送るなんて言ってくれてて。  大丈夫です。一人で歩けるし。  そう言って断ったけど。でも、心配してもらえることがくすぐったくてたまらなかった。  最初の夜もすごく心配性で、寝なさいって言われた。  俺が気持ち良さそうにするから、つい調子に乗ってしまった、なんて言って笑って、触れてくれる。触れられると、もっと触れてもらいたくなって、それで……。  ――困ったな。また触りたくなってしまう。  苦笑い、してた。  大事にされていて、くすぐったい。  好きになってもらえて、すごくくすぐったい。 「あー、おはよ。大学でグレちゃった汰由君」 「! あ、晶っ」 「どうしたどうした? この前といい、どこで何してんだよー」 「昨日は、ホントありがと」 「いいけどさぁ」 「……」  晶のうちには何度も泊まったことがあって、っていうか、晶のうちくらいしか泊まったりってしたことないから、必然的にこういう時、お願いしちゃうんだけど。 「それに、もう大学生なんだし。外泊くらいあるだろうし。汰由のお母さんホントマジで過保護だもんね」 「……うん」 「……彼女できた?」 「!」  その言葉に、キュって、頬に勝手に力が入った。 「わ、マジで?」 「あ、あ、ああの、あのっ」 「いーじゃん、いーじゃん」 「あのっ」  彼女。  彼氏、だけど。 「また手伝うよ」 「う、うん」 「そんで?」 「え?」  それで、って? 「っぷは! 真っ赤じゃん」 「! ここれはっ」 「あはは。ついに汰由にも遅い春が来たかぁ」 「ちょ、晶、声でかい」  晶は久しぶりの青い空に手を伸ばして、パッとその掌も広げた。 「なんか、楽しそう」 「!」 「バイトもしたり、なんか、最近の汰由、すっごい」 「うん」  俺は晶みたいに、バンザーイ、なんてするようなキャラじゃないし、気恥ずかしいからしないけど。でも。  昨日、好きな人と、したんだ。  すごくすごく気持ち良くて。  今朝もしてもらったくらい。  あの人の、義信さんの恋人にしてもらえて、今、すごく嬉しくてたまらない。  あの人が俺の恋人になってくれて、今、走り回りたいくらいで。 「楽しいよ」  気をつけて、行ってらっしゃい。  そう言って見送ってくれた義信さんを思い出すだけで、指先まで嬉しさが伝ってきて。 「あ、すご……ここ、紫陽花、こんな咲いてたっけ」 「……」  青い空も、大学までの道のりも、それから紫陽花も、紫陽花を濡らして輝かせた昨日振り続けた雨も、その雨を降らせた灰色の雲さえも。 「うん。綺麗だね」  好きになっていく。  ――今日は、無理をさせたから。  バイトお休みなんて言わないでって思った。  ――走ったりしないように。歩いて来るように。  でも言われなかった。大学の講義を終えて、スマホを見たら、義信さんから絶対に、絶対に歩いてくるようにって、お小言もらっちゃった。 「お、おはようございます」  いつもはこの挨拶を言うだけで、胸のところで気持ちがはしゃぐ。  やっと会えたって、やった、義信さんだって。 「やぁ、おはよう」  でも今日はこの挨拶の言葉を言ったのが二回目だから。 「ちゃんと歩いてきて、えらい」 「!」  くすぐったかった。 「汰由……」 「!」 「今日は座っていていいよ?」 「だ、大丈夫です」  朝まで一緒にいられた。  大学の間もずっと貴方のことばかり考えていました。優しい声、優しい指先、それから、優しさの混ざった甘い、の。 「これ、片付けますね。棚に戻せばいいですか?」  シャンプーが義信さんのお家のを使ったからか、髪がいつもよりも柔らかい気がした。肌も、なんだか違う気がした。  貴方の部屋に泊めてもらったから、全部が貴方とお揃いで。泊まったのだから当たり前なのに、朝ご飯も同じものを食べた、なんてことすら嬉しくて。 「その仕草」 「?」 「耳に前髪をかける仕草」  今、屈んだ拍子に、普段よりも柔らかい気がする髪を耳にかけた。 「昨日のえっちな汰由を思い出すな」 「! っ、っ、っ」 「真っ赤だ」  だって、だって。  今日一日、ずっと嬉しくて、ずっとじっとしていられなくて、ずっと口元が緩んでしまって。晶に何度もデレすぎだって怒られた。 「走って来ちゃダメだよなんて言ったくせに」 「? 義信さん?」 「汰由に早く会いたくて仕方なかったんだ」  今日ずっとはしゃいでた。  デレデレって。 「俺も、です、」  貴方に会いたくて仕方なかったんです。そう言おうとしたけれど、棚の前でしゃがみ込んでいた俺と同じように腰を屈めた義信さんがキス、してくれたから言えなくて。 「仕事中になんて……悪い店長だね」  今、義信さんもそんな顔をして、嬉しそうで、デレデレで。 「俺も悪い、アルバイトの人ですね」  その緩んだ口元にキスをした。

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