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第35話 常連マダムの瞳がキラリ
今年の梅雨は長引きそうですって、今朝、テレビのお天気予報で言ってたっけ。
「じゃあ、これにしようかしら」
「はい。かしこまりました」
「そういえば、国見さんは?」
「あ、今、海外の取引先さんとオンラインミーティングしてらっしゃってて。呼んできますね」
「あらあらいいの。お邪魔しちゃうわ」
そして、今日はそんな梅雨らしい一日で、しっとりと肌が水に浸ってしまったような湿気混じり空気が漂っている。雨も朝からずっと小雨が続いていて、元気なのは紫陽花と、その紫陽花の葉っぱの陰でゆっくりしているんだろう虫たちくらい。
それから――。
「それから汰由君とおしゃべりたっぷりできてラッキーなの」
「! いえ、俺、おしゃべり下手で」
「そんなことないわよ」
常連のマダムさんがにっこりと笑って、グレーヘアをふわりと揺らした。
「いいわねぇ、汰由君はサラサラストレートヘアだから湿気なんて気にならないわね」
今日はその湿気のせいで気持ちが晴れないからと、楽しそうな花柄の折りたたみ傘を選んでくださった。
「でも、お客様はクセが素敵な感じです。俺、すごいストレートだから、いつでも真っ直ぐで……ちょっと、クセのある髪って憧れるんです」
「まぁ」
「お客様に似合ってらっしゃいます」
「うふふ。上手ねぇ」
マダムが嬉しそうに肩をすくめながら、会計を終えて包んで手渡した傘の袋につけて差し上げたリボンに笑ってくれた。
選んだカラーは赤色。
マダムは赤い色が好きって言ってたから。
前にそう教えてもらったから、リボン、つけて渡してあげたんだ。時間のある時にって少しずつ作って溜めておいたリボン。
小さなものだから、すごいささやかだけど、ちょっとしたサービスになるかなって。
小さくても、ついてたら嬉しいかなって思って。
それに気がついてくれたのか、マダムがリボンの切れ端を指先で摘んでから、崩れたり潰れてしまわないようにと、そっと、そーっとご自身のエコバックにしまってる。
「素敵なお店ね」
「はいっ」
「うふふ、素敵なお店には素敵な人が集まるものなのね」
そこに俺が入っていいのかって、戸惑って上手に頷けなくて、でも、素敵な人が集まるのは確かにそうだと思うから、自分のことはとりあえず置いておいて、って、心の中で思いながら笑って。
「聡衣君っていう、汰由君の前にここで働いてた人もとっても素敵だったの」
「あ、はい」
知ってる。インターネットでのミーティングとかで義信さんが話しているのを何度か見かけたことがある。ネット回線越しに聞いた声だから、本物の声とは少し違うだろうけれど、でも、艶のある色っぽい感じもする綺麗な声だった。
顔は、ちらっと見ただけ。
ブログとかもしてるらしいんだけど、なんか、自信なくしちゃいそうだから見たことないんだ。
絶対に俺よりもスマートで、美人で、素敵な人だと思うし。
「お仕事もすごくできる人って伺ってます」
アパレル経験者で、バイヤーとしても良い目を持ってる人って言ってた。アパレル業者が集う展示会に一緒に行ったことがあって、スーツは得意じゃないから、すごくその時にも助かったんだって、義信さんが教えてくれた。
「この前、あんなこと言っちゃったけど」
「?」
「国見さんがあの人を雇うと思ったわ、なんて、言っちゃったでしょう?」
「……あ……はい」
スーツの可愛良い、人。甥っ子って言ってた。エリートで、お姉さんのお子さんで。お姉さんとは年が離れてるって。海外生活が長かったから外国語が堪能なんだってことも教えてくれた。
「でも、国見さんはすごくすごく汰由君に働いて欲しかったと思ったの。だからとっても余計なこと言っちゃった」
「そんなこと」
「でも、汰由君がいる時の国見さん、とっても嬉しそう」
「ぇ?」
「だから夕方来ちゃうの。ご機嫌国見さんが見られるから。お夕飯の支度しないとなんだけれどね。うふふ」
うふふ、ふ。
「さ、帰らないとだわ。可愛らしい汰由君とお話できて、雨のジメジメ気分も吹っ飛んじゃったわ」
「い、いえっ」
「それじゃあね。国見さんによろしくと伝えてください」
「は、はいっ、もちろんです」
マダムはにっこり笑って、俺へ手を振ってくれた。それから乾いた鈴の音を響かせながら、お店を出て、紫陽花が雨宿りをしている屋根の下で空を見上げてから、鮮やかな色の傘を広げた。
あの傘も、ここで買ったのかな。
赤色が雨を降らす灰色の雨雲さえ驚いてしまいそうな鮮やかさで、楽しそうに猫がその赤い傘の中で散歩している。
お店の中から見ると窓の向こうが絵画みたいに見える。そこから常連さんがまたこっちを見て、ニコって笑いながら、その絵画の外へ散歩に出かけた。
「楽しそうだったね」
「! 義信さん」
「お店番、ありがとう」
「いえ」
嬉しそう、なのかな。
「電話、終わったんですか?」
「あぁ」
ご機嫌、なのかな。
俺がいない時の義信さんって、どんななのかな。
「君が大学でたくさん学んでいるんだろう間は、なんだか留守番している気分だよ」
「……」
「早く来ないかなぁと、時計を気にしながら、花の水やりをして、お客さんと話をして、そして夕方五時すぎ、そこの窓に君を見つけて」
窓空の景色が絵画みたい。
「内心、大はしゃぎしている」
そこを通り過ぎた俺を見つけて、はしゃいでくれるの?
「そんな一日中を過ごしてます」
そのうち、ちょっと見てみたいな。
「これで今、汰由の考えてることへの返答になってる?」
「……はい」
俺の存在で貴方の表情がパッと変わるところが見てみたいな。
そう思いながら、雨模様とは逆に、青空みたいな、虹みたいな嬉しそうで、世界がパッと明るくしそうな笑顔を見つめていた。
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