37 / 91

第37話 指先から誘惑

 それはちょっとした好奇心。  どんな顔するのかなぁっていう。  タイ料理の美味しいお店に連れてきてもらって、生春巻き食べながら、ふと、湧き出た好奇心。  だって、俺の知っている彼は完璧っていうか。大人でカッコよくて、包容力抜群の人だから、なんだかとても違和感があって。  だから気になっちゃって。 「……義、君」  そう俺が呼んだらどんな顔するかなぁって。 「……………………」  あの。  生春巻きの具、全部、落ちましたよ。 「……………………な」  生春巻きなのに何も巻いてないから、生春、かな。中身のエビもニンジンもパクチーも全部、落ちちゃいました。 「な、なんで、汰由?」 「圭佑さんとお話した時に」 「は? 佳祐は君の前でそう、呼んだの?」  コクン。  そう頷くと、なんてことだって吹き出しがぴったりなくらい、頭を抱えて俯いた。 「あの」 「いや、驚いた」  俺はそんなに驚かれたことに驚きました。 「佳祐はそもそも人見知りで自分から誰かに話しかけるってそうそうないんだけど。河野君と付き合うようになって変わったなぁ。」 「?」 「これは僕のミスだ」 「あの」 「佳祐に君のことをペラペラ話したから、きっと君のことは特別扱いって思ったんだろうね」 「?」 「なんでもないよ。大事にしているって話」  よくわからなかった。義信さんはただ独り言みたいにそう言って、一人で納得しちゃった。 「佳祐にね、惚気たから」 「!」  なんだか逆襲された気分。  俺が義信さんの困った顔見たかったはずなのに、今、俺の方が困って真っ赤になって俯いてる。  惚気って……あの、その、それは、俺と、の、ことを、ってこと?  その言葉に今度は俺が生春巻きの具ぜーんぶ落っことしちゃって、しかもそれがチリソースの上で。そのチリソースがたっぷり絡まった生春巻きの具サラダをパクパク食べた。 「辛いだろう?」 「だ、だ、だ、大丈夫れす!」 「大丈夫じゃなさそうだ」  義信さんが笑いながらペーパータオルを差出してくれる。  やっぱりどこまでも、いつでもかっこいい彼にお辞儀をしながら、そのペーパータオルで口元を拭った。  タイ料理なんて初めて食べた。義信さんはいろんなお店を知っていて、色んなことを教えてくれる。  今日は、お店が終わった後、デートしてもらえたんだ。  お母さんが今日は夜勤で、だから夜遅くても大丈夫ですって言ったら、嬉しそうに、誘ってくれた。  じゃあご飯食べに行こうって。  俺はきっとそんな義信さんの数百倍嬉しくなってた。  何食べたいって訊かれて、なんでも大丈夫ですって答えたら、義信さんがすごく笑ったから。 「義君って呼び方、可愛いなぁって思ったんです。なんか、そう俺が呼んだらどんな顔するのかなぁって」 「……」 「だから、ちょっとイタズラしてみました」 「それ、禁止」 「ええぇっ! なんでですか?」  ちょっと、俺もそう呼びたいなぁなんて思ったのに。  義信さんが、はぁって溜め息をついてから、その溜め息を溢した口元を大きな手で覆い隠した。 「罪悪感がすごいから」 「ざい……あの、それは佳祐さんしか」  そう呼んじゃいけない? 義君って、何か特別な。 「そうじゃなくて」  やっぱりあんなに可愛い人だから特別なのかなって思った。お姉さんのお子さんだっていうし、もしかして義信さんにとってすごく大事な存在で。 「親戚のおじさんになった気分」 「おじっ!」 「実際、十二も離れてたらおじさんだ」 「そんなことっ」  ちっとも思ったことない。義信さんは確かに歳だけなら離れているけれど。大人の男の人って感じで。 「若い君に悪いことばかりしている悪い大人って気がして」 「……」 「実際そうだけど。汰由が学生証を落とした時も相当驚いたよ」 「二十歳、だから?」 「まさかそんなに若い子だとは。犯罪ギリギリだって」 「!」 「ちょっと前までお酒も飲めない年齢だ。可愛いけれどどこか大人っぽいから。年下だとは思ってたけど、まさかひとまわりも違うとは思ってなかった。だからね」 「……義君はおじさんじゃない、です」  困った顔、してる。  その困った顔が可愛くて、笑ってしまうと、困った顔のまま笑ってくれた。 「俺、少しヤキモチやいてたんです」 「佳祐に?」 「心狭いですよね。佳佑さん可愛い人だし、さすが義信さんの親戚って感じで、顔整ってて。だから俺なんかがヤキモチって変なんですけど。俺自身もそんなふうに思うなんてびっくりで」 「……」 「義信さんのこと」  独り占めしたい、だなんて。  交際、なんてしたことない。  だから、これをされて嬉しいのかどうかもわからない。  束縛、なんて。 「変な訳ないだろ?」 「……」 「僕はいつも思ってるよ」 「?」 「汰由のこと」  長い指がそっと俺の指を掴んで、絡まる。 「きっと汰由が思ってくれているような可愛いのじゃなく」 「……」 「思ってるよ?」  ただ指同士で触れ合っているだけなのに、それはとても、とっても、気持ち良くて、ゾクゾク、しちゃった。  今すぐ、この人のことを独り占めしているって実感できる方法で、満足したくて。 「あ……義信、さん」  喉が鳴った。  今日のデートはご飯だけ、なのかな。  今日、したいな。  セックス、したい。 「あの……」  上手な誘い方すら知らない俺はただ、義信さんの長い指を掴みながら、キュッと唇を結んだ。  結んで開いて、また、結んで。  言葉を探しながら。 「っ」  長い指にしがみついて、指先から伝わらないかと正面にいる彼を見つめた。 「汰由を独り占めしたいって」  彼も俺を見つめていた。

ともだちにシェアしよう!