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第53話 普通の恋愛

 少し、気が緩んでた、かも。  少し、はしゃいでた、かも。 「……最近、どうしたの?」  急、じゃない。きっとお母さんにしてみたら、急なこと、じゃなくて。少しずつ、だんだん、思っていたことなんだと思う。 「ねぇ、もう二十歳すぎてるからとやかく言うべきじゃないと思うけど、でも、やっぱり心配になるの」 「……」 「アルバイト、じゃないの?」 「えっ」 「お洋服屋さんでアルバイトじゃないの? どんなアルバイトをしたら、汰由」  そこでお母さんは言葉を喉奥にしまった。  でも、その視線でなんとなく今胸にしまった言葉はわかった。アルバイトで遅くなったはずなのに、シャンプーの匂いがする。そんなことあるのかしら? っていう、疑問。  違う。  疑惑、だ。 「ちゃんとしていれば何も言わないつもりでいます。でも、何も言わない。説明しないのは、言えないからじゃないの? 何か、言えないようなことをしてるからじゃないの?」  説明って。 「ねぇ、汰由」  付き合っている人がいて、その人のところでアルバイトをしていて、洋服のお店で、その人は男の人で、同性で。でも、すごく良い人なんです。俺のこと助けてくれたんです。俺が――。  どこからどう説明していいのかわからなかった。  突然すぎて。 「お母さんには言えないの?」 「……ぁ」 「晶君のところに行っていたっていうのはどうなの?」  それ、は。 「確かめたりはしてないわ。晶くんのお家に尋ねたりなんてことはしません。でも、お母さんは少し……」  嘘、ついてるっていうことが、仕草も返事もぎこちなくさせてしまう。  罪悪感がきっと、顔に、出ちゃう。 「一番の仲良しなのは知ってるけれど、そう頻繁に勉強会なんてしてなかったじゃない? それを急にここで……大学の勉強についていけなくなってるのなら、それはそれで言ってもらわないといけないでしょう? ねぇ」  ねぇ、ねぇ。  そう上手な言葉を探す俺の頭の中でその「ねぇ」が何度も何度も答える邪魔をしてくる。 「汰由……貴方一体、どこで何をしているの?」 「……ちゃんと勉強、して……ます」 「今日はどこにいたの?」 「……今日は、アルバイトで」 「貴方はアルバイト後にどこで何をしていたの?」  そこで電話が鳴った。お母さんが持っている病院からの専用電話に。 「……はい、もしもし」  心底ホッとしちゃったんだ。これで、とりあえずはって。 「はい。すぐに向かいます」  心底。 「……汰由、お母さん、急に病院戻らないといけなくなったから」 「……はい」  ホッとなんてしたら、いけないのに。 「貴方は一貫教育の中で育ったから、アルバイト、社会人経験にいいと思ったけれど、このままではアルバイト、考えものだと思います」 「えっ! あのっ」 「ちゃんと説明できないようなら」  やましいことなんてしてない。ただ、俺は。 「やめた方がいいと、お母さんは思うわ」  ただ――。 「行ってきます」  ただ。 「いってらっしゃい」  ただ言葉がそれ以上続かなくて、なんて言えばいいのか、どれを言えばいいのか、わからなかっただけなんだ。  それだけなんです。  そう胸の内では叫んだけれど、胸の内で叫んだだけで、お母さんには何も返事ができなかった。  ちゃんと言えば理解してもらえたのかな。  ちゃんと話したら、わかってもらえるの、かな。  俺が同性愛者ってこと、男性の恋人がいるってこと。その人の経営するお店でアルバイトをさせてもらってること。  突然言ったとして、俺が付き合っている相手がもしも仮に女の子だった時と同じリアクションをしてもらえるのかな。  でも、多分、同じリアクションはもらえないでしょ?  お母さんは最近の俺のこと、良くなんて思ってなくて。  あのきつい視線はあのまま年上の義信さんに向けられてしまう。非難を全部向けられちゃう。  俺はいいよ。  嘘ついたし。  お母さんを不安にさせたし。  でも義信さんは俺のこといつだって大事にしてくれて、家族のこともちゃんと考えて……。  なのに、俺のせいで、なんて。 「お疲れ様。汰由」 「……! ぁ……」  結局その晩、お母さんは帰ってこなかった。それで俺は大学に行って、帰りにアルコイリスでアルバイトがあって。 「お疲れ様ですっ、あ、えっと……今日は俺っ」  帰ったら多分お母さんはいるだろう。 「ちょっと買い物頼まれてるので」  昨日の話の続きが待ってるかな。  嫌だな。続き、話すの。  嘘は……よくないけど、じゃあ、どう言ったらいいんだろう。嘘をつかずにそのままを話せばよかったのかな。全部をそのまま話していたら、あんな怪訝な顔をされることはなかった?  全部を話してさ、受け入れてくれるの? 男女の恋愛と同じように? そうなのね、って言ってくれるの? 「急いで帰らないと、で」 「…………汰由」  帰りたくないな。でも、帰らなくちゃもっと事態は――。 「汰由、どうかした?」  ただ好きな人と一緒にいたい、それだけなのに。  歳が離れてるから?  同性だから?  その二つくらいだよ?  俺がしているこの恋愛と、大学の同級生がしている恋愛の違いなんて。 「……汰由」  ねぇ、そうでしょう? 義信さん。

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