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第54話 良い子

「…………暇」  つい、そう自分の部屋で呟いた。  ずっとここ最近は忙しかったから、すごく暇に感じてしまう。今まではアルコイリスでバイトして帰ってきてから大学の課題やって、夜にデートができた時は翌日の隙間時間をフルに使って。お母さんのシフトで夜勤の日ってわかったら、すごく遅くまでお店に居残って。そうしてると義信さんも気がついてくれて、一緒にいてくれてた。そうやって夜のデートをいつでもできるようにって、出された課題は即座に済ませてた。  けど……。 「……はぁ」  時間に余裕があると、なんか、気合いが入らないっていうか。メリハリがないっていうか。急がなくてもいいとわかっちゃうと、脳みそがボケちゃうのかな。急がないどころかのんびりになる。  義信さんには話した。  そしたら、あの日から、お店が閉店したその時点で俺は「ちゃんと」帰ることになっちゃった。でも、俺が意固地になって何かを主張してもきっと今の状況は良くならないでしょ? お母さんのあの怪訝な顔は笑顔には変わらないんでしょう?  そのくらいはわかるよ。  それに――。  ――すまないことをした。うちがその辺り自由だったから。そうだね。汰由はとても大事に育ててもらっているんだ。  義信さんのこと悪く言われたくない。ちゃんと俺のこと大事にしてくれているもの。それに義信さんはお店を経営している人なんだ。そんなのちょっとだって悪い印象がついたら絶対に良くないでしょ。  だから、良い子に……。  そう思うけれど。  やる気なんてちっとも起きない頭を勉強机に乗っけて、一向に進まない課題が書かれたノートを下敷きにしながら、この課題を片付けようと手をつけてから何度目かの大きな溜め息を吐いた。  だって、もっと会いたいんだもの。  もっと、義信さんと――。 「ただいま」 「はーい。お母さん、おかえりなさい」  一緒に、いたいんだもの。 「あれ? 最近、また真面目キャラに戻しつつある感じ?」  その明るい声が誰なのかなんて見なくてもわかる俺は、ちらっとだけ視線をそっちに向けてから、すぐに自分の手元へ戻した。 「……真面目キャラでしょ。元々」 「あはは。自分でキャラって言っちゃってるじゃん」  だって、そうなんだもん。あれは「キャラクター」だから。  晶は笑って、俺の隣に座るとテキストブックを机の上に広げた。 「何? 汰由ってば、おばさんになんか言われたの?」 「……なんで」 「いや、わかるでしょー! 汰由のお母さん、汰由に似てすっごい真面目じゃん。最近の、あれよあれよと変わっていく汰由のキャラ変にそりゃ、おいおいってなるでしょ」 「……」 「俺だったら、知らないって言って、彼女と遊ぶけどね。まぁ、うちの親はそこまで厳しいわけじゃないから何も言わないだろうけど」 「……でも」  彼女、じゃない。  彼氏、なんだもん。 「もう二十歳だよ? 毎日、速攻で帰宅してるほうが心配でしょ。友達もおらんのか? ってさ」  年上で。三十二歳。 「汰由は良い子だからなぁ」 「……」 「男なんだしさ。大丈夫だよって言えばいいんじゃない? 過保護だからなぁ。汰由のお母さん」  過保護、か。  ――汰由、危ないから、気をつけてね。  転ぶ前にお母さんが危ない道を教えてくれる。急な段差も、石ころだらけの道も。  ――汰由、忘れ物はない? 明日の予定は確認した?  失敗しないようにっていつも先を案じてくれる。  ――汰由。  だからいつだって俺は。  ――汰由もきっとお父さんみたいな素晴らしいお医者さんになれるわよ。  コクン、って頷いているだけでよかったんだ。ジャングルジムは落ちたら大変。この前にもそのジャングルジムの一番上から誤って転落した子どもが急患で運び込まれてきて。だから、その高いところまでなんて登らなくて大丈夫。運動は習い事で覚えなさい。落ちても怪我をしない高さまでしか登っちゃダメ。  危ないもの。  そう、いつだって、俺は。 「汰由も本当、真面目」 「……」 「社会人経験積んでるんだよって言っとけばいいのに」  でも、俺の中で、これは経験とかじゃなくて。  多分、晶にしてみたらこういうところも真面目なんだろうけれど。 「あ、でも、今日ってバイト休みの日じゃなかったっけ?」 「うん。まぁ」 「じゃあ、箱入り息子も今日は久しぶりのデートができるじゃん」  そう思った。  思ったんだけど。 「……」 「? あれ? まさかバイト以外の外出禁止とか? え、じゃあ、俺とご飯食べに行くって言えば? 俺、おばさんに電話くらいしたげるよ?」  ご飯くらい一緒に、って思ったんだけど。  そう思って、義信さんに、今日、会えませんか? って、大学の後、少しでも会えないかなって思って、色々言葉を選びながら、誘ってみたんだけどさ。 「違う」 「じゃあ」 「今日は予定があるって言われちゃったのっ」 「……」  だから完全に会えなくなっちゃったんだ。今日なら、少しくらいデートできるかなって思ったのに。 「やっぱ……変わったね。汰由」 「?」 「今までなら絶対に、ぜーったいにさ、こういう時とか、仕方ないね、って言うだけだったけど、今はさ」  晶が自分の頬を指でツンと押した。 「めっちゃ不機嫌って顔してる」  そして、俺のあからさまな不機嫌顔に反比例するように、高らかに笑った。

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