56 / 91

第56話 母と子

 ――素敵です。頑張ってください。  頑張って、なんて変だったかなぁ。でもそれが一番ピッタリくる、伝えたい言葉だった。  急にメッセージなんて送って変な人って思われなかったかな。名前、本名で送っちゃったし。タユって、ローマ字で。  俺ってわかっちゃったかな。  同じ名前の人って会ったことないけど、でも、聡衣さん、友達多そうだから、もしかしたら一人くらい俺と同じ名前の人がいるかもしれないよね。  どうだろう。  紹介し終えたのかなぁ。  聡衣さんの家族、どんな感じだったんだろう。  すごいなぁ。 「…………ん」  小さな物音で目が覚めた。カチャカチャって、小さな食器の音。それから水音。ジャーって。 「……」  毛布? あ、膝掛けだ。 「こんなところで居眠りしてたら風邪引くわよ?」  お母さんの、膝掛け。 「ご飯の準備してくれたのね」  帰ってきてたんだ。  両親は医療に携わる人だった。お父さんは医師で、お母さんは看護師。いつも忙しそうにしてた。  たまに、お母さんが休みでうちにいてくれると嬉しくて。明日は休み? 仕事? なんて訊いて、仕事って言われると少し落ち込んだりして。  仕事柄、なのかな。  きめ細やかな人って感じ。  子どもの頃は帰宅すると、ご飯をセットして、できる手伝いを片付けて、宿題して。  テレビゲームは禁止な家だったから、テレビ見たりして。そのうち、テレビを見ながら寝ちゃう。  気がつくと、そっと毛布をかけてもらっていた。目が覚めると今みたいに、お母さんは忙しそうに家の中を歩き回りながら声をかけてくれる。  風邪引いちゃうわよ? って。  その背中を見るとホッとしたっけ。  あ、お母さん、帰ってきたんだって。 「お母さん」 「……なぁに」  大事な家族に引け目があったんだ。 「……ごめんね」 「……」 「心配かけて」  きっと「普通」になって欲しかったはずなのに。  謝ると、お母さんは黙ったままキッチンで食事の支度を続けてる。  勉強を頑張って、大学を出て、お医者さんになって、その間に男女の恋愛をして、いつか結婚もして、家族を。お母さんもお父さんとそうやって家族を作った。いつもご飯の支度をして、仕事をしながら、俺のことをいつだって大事にしてくれてた。  俺は、どこか、悪いことをしてるような気持ちがあった。  男の人が好きなこと。  そんなに医者っていう仕事に興味がないこと。  でもやりたいことなんて特に見当たらなくて。きっとどんな大人だって、この仕事に従事したいとずっと思っていました、なんて人ばかりじゃないでしょう? 中学から高校へ、高校から大学へ、その時ごとに出てくる選択肢を取って選んで、進んだ先がそこだった、そんな人はたくさんいるでしょう?  そういうもの、なんじゃない?  そうやって進んでいくのだって別に悪いことじゃないだろうし。 「俺、好きな人がいるんだ」 「……」 「付き合ってて……それで、その、その人に会ったりしてて」 「親に隠すような」 「お母さんたちに言わずにいたのは、その人がダメとかじゃなくて、俺が、その……まだ、えっと。でもっ」  恋は悪いことじゃないって、教わった。 「でも、俺、悪いことは、してないよ」 「……」 「してない、です」  そうだ。恋は悪いことなんかじゃない。  キスも。抱き合うのも。  ちっとも。  悪いことじゃない。 「すごく素敵な人なんだ。優しくて、その、ちゃんとした、人だよ。真面目で、仕事、すごいんだ」 「社会人なのね」 「! あ、うん……そう、です」 「たくさん」 「ぇ?」 「たくさん笑うことのできる人? 汰由が一緒にいて、たくさん笑える人?」 「……ぅ、ん」 「……そう」 「あ、あのっ」 「まだお付き合い始めたばかりなんでしょう?」 「え、ぁ、はい」  お母さんはずっと俺に背を向けたままだった。いつもそうだったっけ。本当に忙しい人だから、料理をしている時が一番じっとして。他は動き回っているから。俺が今日何があったか、こんなことをした、同級生の晶君とこんなこともした、って、話をできるのはこうして料理をしている時が一番多かった。  背中に向けて、構わず、つらつら話していると、そのうち振り向いて。  ――そうなのね。  振り向いてくれたお母さんはいつも笑顔だった。どんな時も、笑顔だった。 「ちゃんと誠実なお付き合いなら、ちゃんと周囲にも誠実に話しなさい」  お母さんが、振り返ると。 「真面目な方なら、貴方も真面目に、誤魔化したりせずに」  いつも。 「話しなさい」  笑顔、だった。 「わかった?」 「っ、はいっ」  その顔を見たら、急に涙が出てきて。 「それに、貴方、お父さんもお母さんも医者で看護師なのよ? 関係ないわよ。医療に携わる人間にしてみたら命は同じに大事。だから、年齢も性別も関係ないわ。貴方が危惧してるようなことなんて」  なんの涙なのかわからないけれど、でも。 「あ、それから」 「っ、はい」 「貴方はやっぱりお母さんにそっくりよ」 「?」 「親子は似るって話」 「ぇ、? なんで、急に」 「わからなかったら、お相手の方にもそうなのかなって聞いてみたらいいわ」  涙が滲む。  でも、気持ちは、晴れた。雨が降り続いていた雲が風で流されて、真っ青な空と太陽が顔を出してくれたみたいに、清々しくて、雨粒がキラキラ輝くみたいに、晴れやかな気持ちだった。

ともだちにシェアしよう!