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第64話 幸せな朝

 包容力があって、仕事だって、小さなお店だけれどファンがたくさんいる素敵なお店を作り上げちゃうすごい人で、カッコよくて、きっと貴方にできないことなんて一つもないと思うくらい。  本当にすごくて。  でも、朝がとっても苦手で、ちゃんと大人の義信さんになるまで少しだけ時間がかかっちゃうって、どのくらいの人が知っているんだろう。 「……」  ほら、こうしてイタズラをして、鼻先に触ってみてもちっとも起きる気配がない朝寝坊な人だって知ってる人はどのくらいいるんだろう。  朝、弱いんだよ?  全部が完璧なのに、朝だけがとっても苦手。  柔らかくて、少し長い髪に触れてもちっとも気が付かない。触り放題、なんて胸の内で大喜びしながら、じっとその寝顔を見つめた。眉毛の形も、鼻も口元も顎のラインだって。 「わ……」  思わず、声が出ちゃってた。その声に義信さんが目を覚ましてしまわないかと、慌てて口をキュッと閉じて様子を伺った。  でも、すごい。髭、生えてる。  ちょっとだけだけど、顎のところ、触ったら少しチクってした。  すごい、すごい、ちっとも気が付かなかった。  俺は生えないんだ。ちっとも。でも義信さんは朝になると少しあるんだ。すごいすごい。大発見。  新発見、しちゃった。  ね。  貴方のこの無防備な寝顔を知ってる人も。  たくさん、かな。  あんまり多くなかったらいいのになぁ、なんてさ。  出会うまでのことなんてどうにもならないし変えられないのに。でも――。 「ょ……し、のぶ……さん」  でも、これから先は俺が独り占めできたらいいなぁ、なんて。 「……そんなにかまわれたら起きるよ」 「!」  一瞬のことだった。  急に義信さんの口元がキュッと笑った、と驚いたら、もうクスクスと声に出して笑って。起きたと告げながら、そのちょっぴり生えた顎ひげごと寝顔を隠すように枕に顔を埋めた。 「僕の寝顔、楽しめた?」 「あ、あのっ」  眩しそうに目を細めて、そっと、義信さんの寝惚けて、いつもよりも温かい手が俺の頬を撫でる。  世界で一番気持ちいい温もりだと思った。少し普段よりも暖かくて、この温もりに包まれること以上に安心できる場所なんてないと思えた。 「じゃあ、今度は僕が汰由の寝起きを楽しもう。時間は……」 「!」  その温かい手が俺の頭上へと伸びて、ベッド脇の時計を手に取った。 「……汰由は早起きだね」  二度寝、できる時間だと思う。お店の準備時間を考えても、まだ寝ていられるはず。 「汰由の髪、寝癖つかなそうだ……」  でも、まだ眠い? 寝ぼけてそうな、ふんわりとした笑みを口元に浮かべながら、まるで独り言みたいに呟いて、俺の髪を撫でてくれる。確かに寝癖はつかない、かも。そして義信さんの髪は寝癖がついちゃいそう。  見てみたいな。  寝癖のついた義信さん。レアだから、きっとドキドキしちゃうし。写真に撮って宝物にしたいなぁ、なんて。 「サラサラ……」  俺は義信さんの髪の方が柔らかくて好きだけれど、こうしてちょくちょく触ってくれるから、気に入ってもらえてるの、かな。 「お母さんと同じ髪質なんです」 「あぁ……そう言ってたっけ……確かに」  確かに? やっぱり寝ぼけてる? 確かにって、ちょっと不思議な言い方。 「そうだ。俺、お母さんに似てるそうです。あんまりそう思ったことなかったけど」 「?」 「よく友達の晶にもそう言われてたんです。でも、この前、付き合っている人がいるって打ち明けた時にお母さんにも似てるって言われて」 「……」 「実感なかったら、相手の方、義信さんにも訊いてみたらいいわって……」  なぜかそこで義信さんが真っ赤になった。今、まだ早い時間で、でももう夏がすぐそこに来てるこの時期だと部屋は明るくなりかけてる。だから、今、真っ赤になったのがわかった。 「義信さん?」  真っ赤。そんなとこ見たのは、あの日以来、義信さんが、俺がまた怪しいアルバイトをしているんじゃないかって、道を尋ねた人をその相手だと勘違いしちゃった、あの時。 「実は……」 「?」  何? 何か……。 「君のお母さんにお会いした」 「え?」 「アルバイト先の店長としても、一度ご挨拶したほうがいいと思った。汰由が諭された時」  それって。 「先週、汰由が食事に誘ってくれた店の定休日、その日だよ」 「!」  そういえば、あの日はお母さん、帰りが遅かったっけ。あの日は日勤だったから早く帰ってきているはずだったのに、遅くて。  そう、その日に言われたんだ。  ―― 貴方はやっぱりお母さんにそっくりよ。 「汰由のお母さんにバイトと大学の両立は約束しますと伝えた」  ――親子は似るって話。 「そうしたら、君のご両親の話を聞かせていただけた。とても仲が良いと」 「……」  うちの親は……そう、同じ医療に携わる二人で。お母さんの初恋だったって、聞いてる。高校生の時に出会って、そこからずっとお父さんだけで。お父さんが医者になると言うから、お母さんは……。 「似てると言ってた。汰由とお母さんが」  ――わからなかったら、お相手の方にもそうなのかなって聞いてみたらいいわ。  小さい頃、訊いたことがある。どうして看護師になったのかって。  ――お父さんを支えたかったの。もちろん、人を助ける仕事に誇りは持っているわよ。  そう教えてもらった。 「汰由のお母さんは一途で、そのお母さんに似ている汰由も……」  うん、そうだよ。すごくすごく一途、だよ。貴方しか好きにならないもの。 「……困ったな」 「?」  ベッドのスプリングがわずかに傾く。 「大学まで送るよ」 「……ぁ」 「早起きな汰由」  そこ、昨日、キスマークをつけてもらった場所。 「あン」  そこを昨日と同じくらいに強く口付けられた。 「汰由にも、汰由のお母さんにも、勝てないな……」  見えないけれど、きっとまたそこに印をつけてもらえた。 「ぁ……義信さんっ、あぁっ……ン」 「汰由」  指が入ってきて、その柔らかさを確かめる。充分、昨日たくさん可愛がられたそこは柔くて、指でさえとろけるくらいにまだ気持ちいいのを欲しがって。  指にもしゃぶりつく。 「ン……」  そして、深い口付けを交わしながら指が抜かれて、そこに、貴方の熱が触れる。 「義信さんっ」 「うん」  貴方を独り占めしたい。今までの貴方は無理だけれど、ここから先の貴方を独り占め、したいの。 「好き」 「あぁ、僕もだ」 「あ、あぁっ……あ、ぁ」  ――お母さんは、一途なの。 「汰由が好きだよ」  日差しが入り込み始めた朝のベッドで、貴方に丁寧に口付けた。 「好きだ」  髭がちょっとチクチクする義信さんが優しく優しく俺のことを抱き締めてくれて、その耳元のそっと囁く。  貴方のことを一途に、大好きですって。  そう打ち明けたら、その腕がとても強く俺のことを掴まえてくれた。苦しいくらいで、切なくて、甘くて。 「ぁ……ン」  なんて幸せな朝なんだろうって、思った。

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