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溺愛クリスマス おまけ7 行ってきます。

 聡衣さんはきっと手のお手入れとかもすごくしっかりしてるんだろうな。あといい匂いしてた。なんていうと変な人みたい  あの高級料亭の個室で、隣の席に座らせてもらった。俺がたまにだけど、晶たちの飲み会に参加するような居酒屋さんとは全然違っててさ、義信さんが連れて行ってくれる優しい雰囲気のレストランとも違っててね。格式高くって感じのお店。だから席は少しずつ、心地良いくらいの距離感で離れてる。それだと感じないけれど、でも、内緒話をしてる時、そっと香る、爽やかで柑橘っぽい、けれど、少し甘い感じのいい匂い。  ――旭輝はね……。  こっそりと久我山さんとのことを教えてくれる時にだけ、聡衣さんがその口元を手で隠す時にだけ感じる香り。  あれはハンドクリームなのかなぁ。  とにかく素敵で。耳打ちされると少しドキドキしちゃうくらい。その綺麗な人の整った指にいつも輝いてる金色の指輪。 「……」  指輪、かぁ。  そう思いながら、そっと自分の手を義信さんのお部屋の寝室の天井に向けて伸ばした。パッと手を開いて、その薬指をじっと見つめる。  義信さんは海外からの電話が来ちゃって、ちょっとリビングに行ってる。ほら、微かにだけど、英語が聞こえてくる。理系の俺はちょっと苦手な英語。  かっこいい人。  その人が指輪を、くれるって、約束してくれた。  俺が大学を卒業したら、くれるって。  金色かな。  銀色?  聡衣さんたちはどうやって金色を選んだんだろう。  お店に行ってから選んで決めたのかなぁ。  お目当ての指輪を買いにお店に行ったのかなぁ。  俺の指にはどんな色のが似合うのかなぁ。 「……」  義信さんは……金色かな。なんとなく、銀色じゃない感じ。黒系も似合うんだけど、明るい色の服もすごく素敵に着こなすからかな。髪の色が優しいブラウンだからかな。金色、でもあんまりキラキラがすごくない感じ。 「ピンクゴールドがいいかなって思うよ」 「! 義信さん」  びっくり、しちゃった。  いつの間にか電話は終わってて、寝室のところで腕組みをしながら立っていた。 「指輪、汰由の肌の色にはピンクゴールドが似合う」  見られちゃった。指輪のことを考えてたとこ。まだまだ先のことなのに。もう、もらえる気満々でそのことに頭がいっぱいになってたとこ。 「知り合いに指輪をハンドメイドで作ってる職人がいる。そこにその時は頼もうかなと思っていたんだ。二人で何かデザインして」 「わ」 「楽しそう?」 「はいっ」  元気に返事をすると義信さんが笑って、いつも元気な、いい返事だ、って頬にキスをくれる。 「その前にはご両親にちゃんと挨拶をしよう」 「は、はい」 「緊張する? でも、心臓が飛び出そうなほど緊張してるのは僕もだよ」  義信さんが緊張してくれるんだ。 「大事な汰由をこんな男にって、お父さんに門前払いされるかもしれない」 「し、しないですよっ、うちのお父さん」 「うん、そうだね。汰由を育てた方だ」  笑いながら今度は頭のてっぺんにキスをくれた。 「きっと優しくて寛大な人だと思うよ。汰由のお母さんが大好きになった人なんだ、とても思慮深くて、おおらかな気がする」 「え、えぇ……そんな仏様みたいな感じじゃないです、よ」  いつもお母さんにネクタイ直されちゃうし、苦手なご飯も食べなさいってお母さんに叱られるし。そう暴露してしまうと、じゃあ可愛いお父さんなんだといい感じに解釈してくれてる。そうかな。うーん、って考えながらベッドに戻ってきてくれた義信さんの一番近くに寝転がった。 「そのあとは、僕の実家だ」 「!」 「イタリアだから観光もいっぱいして、買い付けもして」  大丈夫かな。 「大丈夫。汰由のこと絶対に気にいる。心配なのは汰由に会いたいからって帰国しそうなことくらい」 「えっ」  義信さんが頬杖をつきながら、にっこりとイタズラっぽく笑った。  何か楽しみなことを待ってウキウキしている子どもみたいに。 「僕はそれまで、汰由に呆れられてしまわないように頑張らないと」 「そんなっ、頑張るのは俺ですっ。アルバイトも、大学も、それから料理だって」  他にもたくさん。肌のケアとか頑張ってみようかなって。聡衣さんみたいに素敵な人になりたい。髪とかもサラサラになるように。あとは、あとは――。 「ずっと」  ぎゅっと抱き締められると、身体も心も、深く奥のところから幸せってなれる。貴方のすぐそばにいられるだけで、世界で一番。 「ずっと汰由が好きだよ」 「はい……」  幸せって、思う。 「俺も、大好きです」 「やばいやばい」  課題のレポート、一つ、もう出しちゃったんだけど、一箇所付け足したいんだ。ふと昨日、あ、これも付け足した方が絶対に良いっていうの、思って。まだ教授のところだよね。早く行って、説明して、付け足させてもらおう。 「やばいいいい」  駅を降りていつもの道を駆け足。  きっと前髪は大変なことになって、見事におでこが全開だろうけど。いいや。義信さんに見られるわけじゃないから。朝はまだアルコイリスは開店準備中の看板がぶら下がっている。  一月の終わり。お店の素敵なお庭にはまだ花の咲く気配はないけれど、あと、二ヶ月もしたら、たくさんのお花が咲くんだ。春の綺麗なお花たちが。俺が義信さんに出会えたのは春がおわった梅雨の時期で、だから、春のお庭を知らないけど。まだここを意識して通ってなかったから、あんまり覚えてなくて。  お家だと思ってたくらいだし。 「……」  庭先を眺められるように、素敵な出窓のあるお家って。  アルコイリスの中をちょっとだけ見せてくれる窓。アルバイトに来る時は、中に義信さんがいるのを確かめて、あ! って嬉しくなれる窓。朝、大学に行く時はまだ義信さんがいないから、どこか知らんぷりされてる気がする、ちょっと寂しい窓。でも――。 「!」  でも、最近、知らんぷり、じゃなくなった。  窓の内側、お店の中から、外へ「おーい、行ってらっしゃい」って言ってるみたいに、俺の分身が座ってる。  クマのブリキのオモチャ。太鼓を叩いて、ドンドン、って。  本当はオーナメントなんだけど、でも、こうしていてもいいだろう? って義信さんが窓際に居場所を作ってくれた。そしたら、汰由がいるみたいで楽しいからって。  毎朝、そのブリキのクマを見ては、ちょっと嬉しくて。  ちょっと楽しくて。  ちょっとだけくすぐったくなる。  アルコイリスに陣取った俺の居場所に。 「行って来まぁす……」  そして、そんなブリキのクマに朝の挨拶をすると、俺はぴょんって気持ちが跳ねて、大学に向かう足取りが少し、楽しく弾む。 「って、やばいいいい」  そして、俺は、最善レポート提出目指して、駆け足した。  ちゃんとした大人になれるように。  貴方の、パートナーに。 「レポートおおおお!」  なれるように。

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