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ヤキモチエッセンス編 4 まずは名刺を

 昨日はなんだか得した気分だったなぁ。  義信さんは俺のお父さんとお母さんのこともすごく大事に、丁寧に思ってくれてる。基本、どっちかがうちにいて、ご飯を一緒に食べる機会があるなら、必ず、夕食の時間くらいには帰宅できるようにしてくれる。だから、夜、お店が終わった後にデートできるのは、うちにどっちもいなくて、俺が夕飯を一人で済ませる時くらい。  で、そんなお店が終わった後のデートがない時は、義信さんは接待だったり、買い付けの商談を海外とオンラインでしてたり。お店が開店している間にはできないことをしてたりするんだ。  だから、昨日、急遽でおうちご飯じゃなくなって、なおかつ、義信さんにお仕事の約束が入ってなかったなんて、すごくすごく、すごーくラッキーだった。  帰りに送ってもらったんだけど。その時もふわふわしちゃうくらいに優しく大事にしてくれるし。  ――汰由、大丈夫? 少し無理をさせた。  そう言って、頭にたくさんキスしてくれて。大きなあの手に頭を撫でてもらえると、気持ちがふにゃふにゃに柔らかくなる。蕩けて、あの人の膝の上にしがみつきたくなる。ずっと、頭を撫でてくださいって、擦り寄りたくなる。  ――明日は大学終わったら、すぐに来れるかな?  もちろんです。嵐でも雷でも、ひょうが降ってきても、一目散にアルコイリスに向かいますって答えたら、そんな悪天候の時は電話するようにって笑ってた。迎えに行くからって。お店を一時クローズさせてまで? って思うけど、そんなふうに大事にしてもらえると嬉しくてたまらなくて、えへへ、なんて笑っちゃった。  義信さんは過保護だけど。  あの人にそうやって過保護に、大事に、してもらえるのが、嬉しくて、ニヤニヤ――。 「あ!」  大学の構内に入ってすぐ、朝、みんな少し俯きがちだからかな。  頭がひとつ飛び出てる人を見つけた。  きっと、昨日の、隣に座ってた人だ。  雑誌の。  オシャレ、したいのかな。  アルコイリス、のこと宣伝したら、買いに来てくれたりするかな。  義信さんくらいに背が高い人だから、きっと似合うと思うんだ。そして、アルコイリスの服を気に入ってくれたら常連さんになってくれるよね。そしたら、ちょっと俺もアルコイリスに貢献できたことになるんじゃない? かな。 「……あっ」  そしたらさ。 「あっ、あのっ」  そしたら、義信さんの役に立てたってことになる、よね。 「お、おはようっ」 「……ぇ」 「あ、あのっ、昨日、同じ雑誌持ってた、隣の席の」 「え、あ、うん」 「あ、うん」  変な会話になっちゃった。ダメだなぁ。そもそもはすごく人見知りっていうか、人付き合い上手じゃないんだ。俺って接客業には全然向いてないタイプでさ。だから聡衣さんの天性の才能、接客の、すごく羨ましいし、義信さんのいつでも誰にでも優しく丁寧に、しかもそれをナチュラルにやっちゃうところもすごいなぁって思う。あと、蒲田さんの、あの、無条件に可愛いところとかさ、好印象しかなくて羨ましい。  俺にはそういうのちっともないから。  けど、思い出してくれた。  昨日、話しかけた謎の隣の席の人って感じだろうけど。  やった。ちょっと、進歩。 「あ、あの、俺、アルバイトしてて」 「……ぇ」 「あ! いや、怪しいバイトじゃなくて、洋服の、アパレル? のバイトしてるんだ。えと……」  名刺、お財布に入れておいたから。この人が怪しいぞって、逃げ出しちゃう前に渡さないとって、大急ぎでカバンの中からお財布を引っ張り出した。 「こ、これっ、お店の名刺」 「……」  素敵でしょ? この名刺にも一目惚れしちゃったんだよ。初めて、義信さんに出会ったあの日に。 「す、すごく素敵な服とか小物とかあるからさ」 「……」  突然過ぎたかな。  何、こいつ、って思われるかな。 「あの、もしよかったら、見に来てよ」 「……」 「俺もまだまだなんだけど、でも、コーデとか一緒に考えられると思うし。それに、あ、そうそう、今週夏物がたくさん入荷するからっ、来週とか来てくれたら、色々選べると思うよっ」 「……」 「それじゃっ」  大丈夫、かな。  あんま上手な宣伝じゃなかったかな。今週夏物が入荷するから来週おいでって、じゃあ、今週はお店の中、空っぽってこと? って思われちゃったりしなかったかな。  でも、名刺見れば素敵だなって思ってくれると思うし。  俺の宣伝はあまり効果ないかもしれないけど、あの名刺パワーはすごいから。 「……よし」  とりあえず、うん。  頑張ったぞ。  そう、大学のタイルを踏み締める一歩は大きく、なんだか、自分の中で力強く、なれた気がした。 「……名刺を?」 「はい! 渡せました!」 「……」 「夏物、買いに来てねって」 「……そうなんだ」  来てくれるかな。 「すごく背高かったから、これ、このサマーニットとか似合いそうです」  うん。来たら、これ、紹介してあげよう。雑誌にあった着回しコーデにはなかったサマーニットだけど、俺、すごく好きなんだよね。こういうニットって。義信さんがよく着てるんだけど、ドキドキしちゃうんだよね。腕まくりをした時の、腕の筋肉とかさ。あ、あと、胸とか背中の筋肉がさりげなくだけど、ニットだと感じられて、「あ、かっこいい」って見惚れちゃうんだ。 「……ふふ」  義信さんが選んで取り揃えたニット。  どれもカラーが素敵だったから。見映えがよくなるように、綺麗なグラデにして、綺麗に畳んで、一番良く見える、上段に丁寧にそっと並べた。

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