15 / 24

銀花姫 15

またやってしまった・・・。 猛の様子を見ながら、雪は長い黒髪をなびかせて、ちょっとバツが悪そうに俯(うつむ)いて、上目使いで猛を見る。 湿った空気が二人の間を走って、猛は履き古した黒の革靴を履いた足で、その距離を縮めた。 「駐車場でも走るなっていつも言ってるだろ」 「ごめんなさい・・・」 雪は大人しく謝りながら、猛を見上げる。 子供の時から何度も何度も注意されていることを、また言われてしまった。 わかってるけど、今は猛とのことが頭から離れなくて、恥ずかしさのあまり逃げ出したくて、思わず走ってしまっていた。 猛はそんなことをわかっているのか、いないのか、わからないけれども、呆れたように大きく息を吐き出して、入ってきた他の車が駐車していることを確認して、雪に声をかける。 「今なら大丈夫だから、行くぞ」 「うん」 なんとはなしに差し出した猛の手を、雪が反射的に握って、指を絡めて握りしめて、二人はそのまま手を繋いだままビルの入り口に移動する。 思わず手を差し出してしまっていたが、まさか雪が手を握ってくれるとは思っていなかった猛は、冷静を装っていたが、心の中で叫びまくっていた。 だから! だから!! さっきの上目使いといい!! 毎分、毎秒、可愛いを更新すんなよ!! さっきよりも強めに歯を食いしばることになって、猛は近い内に歯医者に行ったほうがいいか考え始めた。 雪はそんな猛の心情なんか知らないので、子供の時によく手を繋いで学校行ってたな、なんて思い出しながら、猛の背中を眺めていた。 前を歩く猛の背中が大きくて、とても安心して通学路を歩いていた頃を、何となく思い出していた。 大きな犬を飼っている家があって、その犬に吠えられるのがすごく怖かったけど、何故か猛にだけは吠えなかったから、猛の手を強く握って全身委(ゆだ)ねて歩いたことを、思い出す。 結局あの頃と何も変わってない・・・ボクは猛に守られてばかりいる・・・。 雪の足が遅いことをわかっているので、猛は雪の歩調に合わせてゆっくり歩いて、ビルの入り口を潜ってエレベーターのボタンを押した。 事務所はテナントとして入っているので、ビルの五階にある。階段で上がるのは猛は全然平気だが、筋力のない雪には到底無理なので、素直にエレベーターを待つ。 手を繋いだまま待っていると、不意に後ろから声をかけられた。 「おはよう」 「あ、ひーちゃん、おはよう」 後ろで交わされる挨拶に猛が振り返ると、少し疲れた感じの緋音がサングラスを外していた。 蒸してるから暑いだろうに、緋音はレザーパンツとTシャツに、細い嫋(たお)やかな体をレザーのジャケットで包んで佇んでいた。 がりがりに細いから筋肉もないから、暑くないのかも?と猛は自分を納得させていた。 それに雪じゃないから、猛はそこまで興味がないし、わざわざ気に掛ける気もなかった。 緋音のことは珀英が全部管理しているから、猛にとってはどうでもいいことだった。 曇天(どんてん)で光が弱いけれども、瞳の色素が薄くて光に敏感な緋音は外では常にサングラスをしている。 屋内に入ったからサングラスを外したのだろう。肩からかけているバックにサングラスをしまって、緋音は二人を後ろから見据える。 そんな緋音を振り返って、雪はにこにこ笑いながら話しかける。 「なんか、ひーちゃん既に疲れてない?」 「え?いや別に・・・そんなことないけど」 「そう?珀英くんとなんかあった?」 「な?!・・・何もない!」 さっき駐車場に入ってきてた車、緋音だったのか。 猛はそんなことをぼんやり考えて、二人の会話を聞いていた。 雪が揶揄(からか)うように緋音にそんなことを言うと、緋音が意地悪く笑って、猛と雪を交互に見る。 恐ろしく色気のある瞳を細めて、形の良い薄い口唇を楽しそうに引いて笑うと、緋音があざとく小首を傾げて言った。 「オレのことなんかよりも、そっちだろう?」 「え?」 「手なんか繋いじゃって、何かあったの?」 「え?・・・あ、いや、その!」 緋音が指摘したせいで、雪が手を繋いでいることの意味を悟って、子供の頃とは違うことを自覚して、慌てて猛の手を振り払った。 子供の頃は、雪がどんくさくてよく転んだりするし、迷子になりやすかったから、いつも猛が手を繋いで学校に行ったり遊びに行ったりしてくれていた。 手を繋いだ時にそんな記憶が蘇って、思わず懐かしくて、雪はそのまま手を繋いでいただけだったけれども。 他人から見たらそうじゃないってことを、別の意味を持つことを自覚して、恥ずかしくて思わず振り払ったけれども。 それはそれで猛に対してひどい事をしているんじゃないかと、色々なことが頭の中を駆け巡って、雪の中で消化不良を起こしていた。 「ないない!何もない!・・・その違・・・そのあの」 しどろもどろに、言い訳にもなっていないし、説明にもなっていなくてパニックになっている雪を見て、猛が雪を庇(かば)った。 「緋音、雪を揶揄って遊ぶな」 猛が溜息をつきながら緋音を諫(いさ)めると、緋音は細い肩を軽くすくめて、 「はいはい、ごめんなさい」 「ったく・・・お前いい加減にしろよな」 「はいはい・・・ほんとモンペだな」 「はぁ?」 「何でもないでーす」 おどけるように少し高い声で言って、ぺろっと紅い舌を出す緋音を、猛は思わず睨(にら)みつけて、雪はきょとんとした顔で見る。 緋音がわざと聞こえるように言った言葉に、猛は苦虫を噛み潰した顔で黙り込む。 雪は猛が不機嫌なのは自分のせいじゃないかと、相変わらずオロオロしていた。 そんなことをしていたらエレベーターが到着したので、三人はぞろぞろと乗り込んで、無言のまま五階まで上がっていった。 どうせオレはモンペですよ・・・ってか珀英くんだって相当だと思うけど?! 絶対オレなんかよりも珀英くんのがひどいと思うけど!! 猛は心の中で緋音に対して毒づきながら、軽く溜息をついた。

ともだちにシェアしよう!