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銀花姫 19
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「ああ・・・そうか・・・」
思わず呟(つぶや)いてしまったオレの言葉に、緋音が反応した。
「なに?なんだ?」
「ああ・・・いや・・・」
オレは斜向(はすむ)かいに座って、黒縁のメガネをかけて、綺麗に整えられた柳眉(りゅうび)を寄せて、鋭い視線を向ける緋音に、何でもないと軽く首を振る。
今日は次の新曲の打ち合わせに事務所に集まっていた。
そろそろ梅雨が明けようという時期で、じめじめした湿度はそのまま気温が急上昇を始めている。
そんな中でいい年した男が何人も集まっているから、会議室のエアコンはかなりのフル稼働で仕事をしている。
エアコンにばかり仕事をさせられないので、オレ達はそれぞれが作曲してきたものを一通り聞いて、どれにするのか決めて、曲の方向性とか歌詞の内容なんかを話し合っていた。
話し合っているのだが、オレは少し前から気になっていたことが、ずっと頭の中を占めていて、その問題をどうしたら解決できるのかを考えていて。
考えて考えて、寝ている間もずっと、飯食ってても歩いてても風呂入ってても、ずっと考え続けて。
考え続けていて。
ふと・・・この瞬間に答えがわかってしまって、思わず口走ってしまっていた。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったのか・・・本当にオレはバカだな・・・。
軽く溜息をついて、チラリと隣に座っている雪を見た。雪は少し不安げに首を傾げてオレを見ていた。
オレはその不安を取り除こうと雪に声をかけようと口を開きかける、と。
緋音の凛(りん)とした鋭い声が響いた。
「なんか言いたいならちゃんと言えよ。言わなきゃわかんねーよ」
緋音は普段かけている黒縁のメガネをして、すっぴんだけれども恐ろしく艶やかな顔立ちはそのままで、気の強さが滲(にじ)み出ている瞳で、オレを見据(みす)えていた。
「え?・・・いやいい」
「言えよ。いつもは言うくせに、なんだよ」
「そう・・・だよな・・・」
オレと緋音のやりとりを、ハラハラしながら見ている雪が視界の端にいて。
たしかに、言いたいことは言ってきた。曲のアレンジとか、歌詞とか、衣装とか、ステージセットとか、よりよい物を作ろうと、みんなで意見を言っていた。
オレがはっきり言えずに濁(にご)してきたのは、雪に関することだけだった。
雪との関係をどうするかとか、雪との今後のことをちゃんと考えているのかとか、そもそも雪をどう思っているのか、そういったことを全部、濁して、逃げて、後回しにしてきていた。
こんなんじゃあダメだよな。
こんな調子だから、雪を不安にさせて、泣かせたりしてしまう・・・もういい加減はっきりさせないとな。
オレは思い切ってちゃんと言おうと、腹をくくった。
オレは、緋音とオレが喧嘩を始めるんじゃないかと心配している様子の雪を振り返って、真っ黒な真っ直ぐな瞳を見つめて。
「雪。結婚しよう」
「・・・ふぁ?」
「ぶっ・・・げほっ!!はぁぁぁぁ?!」
雪もメンバーもマネージャーも、スタッフも、みんな何がなんだかわからない状況。
そんな中で緋音が飲みかけていたコーヒーを盛大に吹き出した。
「ちょっと、ひーちゃん!!」
「お前なにやってんだよ!」
「いや・・・だって・・・猛が」
「もう〜!書類びちゃびちゃじゃん!」
翔とかマネージャーとかが、緋音の吹き出したコーヒーの片付けをする。
打ち合わせの書類がコーヒー塗(まみ)れになったので、きれいなのをコピーしたり、テーブル拭いたり、コーヒー淹れ直したり。
翔が緋音を叱り飛ばしたり、緋音がすごい平謝りして、スタッフの女性がゴミ袋持ってきてくれて、そこにマネージャーがコーヒーで濡れた書類を、ガシガシ入れてたり。
外野がごちゃごちゃやっている間も、オレと雪はお互い見つめ合っていた。
周りの喧騒が全部遠くにいってしまって、オレ達の間には、お互いの呼吸音と心臓の音だけが揺蕩(たゆた)っていた。
大きな漆黒の瞳を、きょとんと開いて、小首を傾げて、オレを見たまま固まっている。
何を言われたのかまだ理解していない雪の瞳を見つめながら、オレはここしばらく悩んでいた日々を思い出していた。
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