取り上げられた携帯電話はその場で床に叩きつけられ、踏みつけられ壊された。 　「勿体ねえな、最近買ったばっかりだってのに」 　「そいつの口がきけないようにしておけ」 　いつの間にか鼠の中で「ボン」から「そいつ」に成り下がったようだ。もともと呼び名なんて何でも構わないのだが、面白い程こいつは分かりやすい。力や金に媚びて踊らされている。 　「なあ、お前が思っているほど俺には価値はないよ。親父に連絡したところで、大した額は引き出せない」 　「黙れ」 　鼠はなぜか苛々としているようだ、ことは上手く運んだのだろうに。大男は先ほどの動きはなんだったのだろうかと思わせるような緩慢な動きで部屋を横切って出て行った。 　「身代金目的の誘拐じゃない。だとすると？｣ 　「煩い、黙れ！」 　明らかに苛立った様子から、何が不都合でも起きたのだろうと勘ぐってしまう。そろそろ一時間経つかもしれないと思い始めたころ、複数の足音がドアの外から聞こえてきた。 　「誰が傷をつけてもいいと？」 　鼠が腹を蹴り上げられて宙へ飛んだ。小汚い事務所に似つかわしくない身なりで入ってきたのは、箱崎聖人だ。名は体を表すどころか名ばかりで、聖人とはかけ離れた残忍な面をもつ男。箱崎組の一人息子で、実の親でさえ手を焼く傍若無人さは、この界隈では有名だ。その箱崎が床に転がる俺を見た途端、ポケットに突っ込んだ手を出すこともせず、鼠を蹴り上げたのだ。 　「す、すみません」 　虎の威を借る狐だと思っていたら、既にあいつは虎の胃袋の中に収められていたらしい。鼠は腹を抑えてふらふらと立ち上がった。 　「颯真、怖かったか？」 　優しい言葉を俺にかけながら頬についた擦り傷を指先でなぞる。この傷は後ろの木偶の坊がつけたと言うべきかと思ったが、別に鼠をかばう理由もない。 　こいつの目が嫌いだ、人の命など虫けら同然に考えているこいつの生気のない目が嫌いなのだ。ああ、だから俺はお前が嫌だと何度言ったら分かるのだろう。 　 　箱崎聖人と初めて会ったのは、まだよく世の中の事が分からないガキの頃だった。 　宇津木を、いや成世を取り上げられた悔しさで親に反発した時期があった。自分はもう大人だと勘違いして、夜の繁華街で痛い目にあった。目の前で安い傘の骨を折るように仲間の一人が腕をへし折られた。あらぬ方向に曲がった腕でのたうち回るそいつを見た時には、胃の中の物が全て出て来きそうになった。 　そんな俺たちを薄ら笑いを浮かべてこちらを見下ろすしていた男、それが箱崎聖人だった。 　『お前は、お友達のように泣き叫ばないの？』 　『泣き叫んでも解決しないんだろ、じゃあ無駄だ』 　『お前、名前は？』 　あの日から、俺は箱崎のお気に入りらしい。ただ、大人の事情がそこに加味されると話は違ってくる。親父と箱崎の親父は利害関係が全く一致しない。そう、互いが互いに消えて欲しいと思う存在なのだ。 　「颯真、そろそろ俺のものになればいいのに」 　「何度でも言う、ごみ溜めで野垂れ死んだ方がマシだ」 　「そうか？この世界は十分ごみ溜めだぞ。そうか、嫌か。俺の物にならないのなら壊してしまう方がいいのか」 　そう言うと箱崎は高らかに笑った。その笑い声が無駄に広い事務所の中で反響して跳ね返ってきた。