深夜過ぎにようやく帰宅し、相模(さがみ)は手早くシャワーで汗を流すと、浴室から出て水がしたたる髪をワシャワシャとタオルでふきながら、書斎へ行き半裸でノートパソコンを開きメールをチェックする。 　ほとんどが仕事関連のメールばかりだが、ふと相模の目がとまった。 　経営面で面倒を見ている大学から送られたものだが… 　＂杉山マキ＂ 「彼だ！」 　年甲斐(がい)もなく浮かれ、胸をドキドキとはずませて、相模はあわててそのメールを開いた。 ＂初めまして、杉山マキと言います。 大学で僕がアルファの男性に襲われた件で、ご助力いただいたと大学職員の方に聞きました。 本当にありがとうございました。 どうしてもお礼が言いたくて、本来なら直接お会いして言うべきですが、相模さんは忙しい方だと聞き、不躾(ぶしつけ)ではありますがメールにしました。 襲われて大学に相談した後で、もしかしたら相手に逆恨みをされ、嫌がらせをされるのではないかとずっと不安だったので、今は心からホッとしています＂ 「こちらこそ、君の役に立てて嬉しいよ」 　微笑みながら、相模はぽつりとパソコンの画面に向けてつぶやき… 　メールアプリを立ち上げ、添付されたマキのアドレスに返信した。　 　マキのためにしたことは… 　相模にとって、けして些細(ささい)な気まぐれや、親切心からというわけではない。 　だからと言って、マキに一目惚れしたからというわけでもない。 　相模にとって、マキは妻の代わりだった。 　数か月前…　自殺で妻を亡くし強い後悔の念で、相模自身が深く傷ついていた。 　友人と深夜まで大量の酒を飲み、泥酔した妻は、マンションのベランダから柵(さく)をよじ登り、飛びおりたのだ。 　相模はちょうどその時、海外出張でドイツにいて、日本本社に残した秘書の1人から連絡を受け…　妻が亡くなったことと経緯を知った。 　真夜中の自殺だったために、翌朝まで妻は誰にも気づいてもらえず…　冷たいコンクリートの上に、1人ぼっちで転がっていたと。 　数年前… 　婚約者に恋愛感情も思い入れも無く、相模は決められていたから、義務を果たすつもりで結婚した。 　妻のフウカは女性のオメガで、女子高を卒業してすぐに相模と結婚したために… 　社会経験が無く、世間知らずで、いつまでも大人になり切れない、子供のような女性だった。 『私はエイジさんの奥さんになれてすごく嬉しい！！　だって婚約して初めて会った時から、ずっと好きだったから！」 　頬をそめて少女のように笑うフウカを、相模も結婚当初は愛しいと思っていた。 　それまで勤めていた英国にあるフランス系企業を、結婚を機に退職し、日本へ帰国した相模は…　家業を手伝い、重役として働くようになった。